2016年12月28日 (水)

御霊のアセンションを目指して

このブログに向かうのもほんとうに久しぶりとなります。学習会にお越しになられた方々にはご一緒にいろいろな学びをし、これからの時代に向けての準備などをお話させて頂きました。


このブログにもご質問等を沢山頂き、まだ手つかずのままお答えしていないものもございますのでそれにお答えしていきますが、地震等のことについてはこれまで起きれば大きいという日を注意、警戒として出して参りましたが、やはりなんと言いましょうか、それを嫌う方々もいらっしゃるようでありますので、 ブログには書かない触れないに徹していきたいと思っております。


学習会参加者の皆様方にはすべてをお話しておりますし、玉依姫の予言通り時代が変わってきたこと、世界が変わってきたこと、そして天変地異と龍宮界の関係について、これから先のことについて、そしてどうして地震や地殻変動について言い始めたのか、詳しくすべてお話してきました。それはもはや予言ではなく「確信」であるということがご理解出来たことと思います。


さて、今日はこちらに寄せられたご相談やご質問を拝見させて頂いて、玉依姫の大切な言葉をもう一度書かせて頂こうと思いました。この言葉を元にもう一度ご自身を振り返って頂きたいからでございます。


それは、

「美しき心情」です。

美しき心情

言葉に勝り

肉体に勝り

時に君子にも勝る

ゆえに神の有する処なり


この言葉は数百年後には神秘力がある真言として、唱えられ親しまれるようになっていくでしょう。わたしも辛くなることがあり、時々この言葉を唱えることがありますが、その度とても不思議な感覚を覚えます。意味についてはこのブログでも玉依姫が語って下さっておりますのでそちらをご覧になってくださいませ。

こちらでは御霊のアセンションを目指す方々に向けてわたしなりに違った角度からお話させて頂こうと思います。

わたしたちはなぜこの現世に生まれてきたのでしょうか‥


それはこの世で幸せになることが目的でもなく、不幸になるためでもなく、神に近づくためであるということなのです。

そしてその前には自らの御霊に近づくことです。御霊はほんとうに偉大性を持っております。古来より神の子であるとか仏性が宿っているとか尊(みこと)であるとか言われてきておりますが、私たちは肉体ではなく御霊であるということなのです。そしてその御霊にはどの方にも美しき心情が備わっております。これこそが神より分かれてきた証でもあるのです。美しき心情とは純粋な汚れのないものであり、神の念いである「大いなる愛」です。これが私たちの御霊の中に始めも終わりもなく汚れることも無くなることもなくあるのです。


これがあるというのが私たちの御霊が神により創られ神の一部であるということなのです。神の一部であるということは私たちの御霊にとって神は必要不可欠であり、神にとって私たちの御霊は必要不可欠であり、私たちの御霊は神のものであるということなのです。球体に中心の印をすればそこが中心となります。その球体に無数の中心が作れるのですね、このようにすべての御霊が神のひとり子であり、その双肩に大宇宙を担っているということです。


これを谷口雅春師は生命の実相と表現し、出口王仁三郎師は「神人(ひと)は天地経綸の主催者である」と表現しました。仏教ではこの世のすべてのものは

川の流れのごとく流れなっていくものとする「空」がありますが、その奥にある

超実体「空」とでも言うべきものが神と御霊との関係性であります。


美しき心情とは神の念いそのものであります。この世の知識を駆使して地位や名誉を手に入れこの世では素晴らしいとされる世界で業績を上げましょうとも、

美しき心情にストレートに従いそれを表現して見せた名も無き人のほうが実ははるかに高い境涯にあるということであります。実際にあちらの世界の高次元に行けばこの地上では無名でり知られていない人の方が圧倒的に多いのです。



この美しき心情を覆い隠すものが、この三次元の人間が作り上げた価値尺度やそこから生まれる執着やとらわれです。

それを取り除いていく作業が必要になります。ご質問のなかで般若心経についてのものが複数ございましたのでそのご質問に答えながら書いて参りますが、

先に結論だけ申しておきますと、般若心経はこの世の苦しみを取り除き、超実体「空」とでもいうべきものをその御霊で知るための真言を教えたものでございます。



ガテー ガテー パーラーガテー パラサンガテー ボーディースゥ゛ァハー


この真言と同義なものが美しき心情であるというふうにお考えくださればよいです。「美しき心情」をみなさまも時々唱えてみてくださいね。


やがて皆様方は何故にこの時代を選びこの時代に生まれてきたか、はっきりとおわかりになる日が来ます。皆様方が御自身の御霊にそして神に近づいて行かれることを強く念じて今日のブログを終えさせて頂きます。





         出雲   拝

2016年1月 2日 (土)

新年を迎えての初心

人の世の


壽ねがいて


門に松


松はまつれど


ひとのよのまつり




私達人間が住むこの世界では、皆さん幸せである事を願い年始めには門に松を飾りあやかろうとするのが常ですが、私達人間は待つにあらず、やがては落葉し土に帰る落葉樹のような身の上です。


彼方の世界からすると所詮は一夜限りの飾りのように短い一生でありますね。
ですから、良い事も悪い事もありますが、一喜一憂する事なく静かに確かに生きていきたいものです。




         玉依姫





年始めにあたり、もう一度この次元に肉体を持っている意味を今一度思い出し、初心に帰ることが大切であります。



私達は、この次元に自身の御霊をより一層向上させ一段御霊の次元を上げようとして生まれてきております。
ですから、この世ではどのような方々でありましても、良いことも悪いことも半分半分であり、その中で御霊を磨いているのです。良いことがあった時には、感謝の心で謙虚になれる方は幸いです。



そして悪いことがあった時にそこからいろいろな教訓を得て、それを智慧に変えていける人は幸いです。悪いことがあった時に大変重要なことがございます。
それは人それぞれに持って生まれた課題が違うのですが、その人に背負えない問題は絶対に出てこない、ということなのです。これを絶対に忘れないで頂きたいのです。



常々申し上げております、天上界の視点を心の一部に置いてこの次元でのご自分の人生を見つめてみてください。
この次元はあちらの世界よりみましたら、ほんのわずかな期間にしかすぎないのです。



年頭にあたり、もう一度幸せを呼ぶ龍宮物語をパラパラでも構いませんから読んでみてくださいませ。





         出雲  拝

2015年12月 9日 (水)

ご質問

「私は高橋信次先生に、お会いしてはいませんが、信次先生の言葉は本物だと感じています。…悪魔、と言ってきた人もいます。なのでこのブログで信次先生がでてきていてビックリしました。このブログの内容は他にはない感覚です。アンチ信次が多いなか、どうしてそのような根拠?になっているか教えていただけたら幸いです。」との問いについて

アドレスがないので久しぶりにこちらに書かせて頂きました。高橋信次師は九次元界にお戻りでございます。これは玉依姫からの情報です。あちらの世界でもよくお話をなさるそうであります。

翻って、この次元に立ち返って、余裕がおありなら、ご生前の著書、「心の発見」三部作、「心の原点」をお読みになられれば自ずと偽物か本物かおわかりになられるでしょう。この現世の人間が理性的に考えても理路整然と
しかも、わかりやすく書かれているのがおわかりでしょう。その後、「幸せを呼ぶ龍宮物語」をお読みになれば何が本物で何がそうでないのか、腑に落ちるでしょう。

 

 

また、高橋信次師の悪魔についての著書もあります。まさにあなた様が周囲から言われてきた手口そのものが悪魔の手法でもあります。ほぼ九割正しいことを理性に訴えかけながら、残りの一割で引っかけてくるのがいつものやり方であります。

 

 

もし高橋信次師が唯一、悔やんでいることがあるとすれば、それは次元構造をこの三次元に降ろしたことです。このブログでも何度も何度も申し上げている通り、あの世の次元構造というのは、この世的な上か下かの差別とは全くかけ離れているのです。

 

 

 

高橋信次師はもちろん後世に残る功績をのこされました。しかしそれが確立されるにはまだまだ時間がかかるでしょう。イエスも迫害され殺されました。その弟子たちも次々と殺されていきました。当時は偽預言者として扱われたからです。釈迦も当時は今で言えばただの新興宗教扱いでした。イエスも釈迦も教えが確立されるまで数百年以上もかかっているのです。

 

 

高橋信次師も谷口雅春師も出口王仁三郎師もまだ100年も経っていません。いつの時代も本物の神理を残した人達がその名を刻むのは時間がかかるわけです。今回の玉依姫とて同じでございます。こちらの龍宮界も偽物だと言う方々もおります。こっちの龍宮界が本物だ、どうだこうだとか、そして玉依姫とコンタクトを取っている人も何人も?いるそうであります。

 

 

ですから現在進行形で、というわけにはいかないのです。それどころか男性高級霊たちは迫害される方が多いです。出口王仁三郎師は弾圧され投獄までされました。高橋信次師を悪霊扱いされてもそれは時代性でもありますね。致し方ありません。

 

 

高橋信次師は心の偉大性とその法則性、そして次元との関係を詳しく説かれました。心をまあるくするために「中道」の大切さを口をすっぱくして言われ続けられました。そのためには八正道が大切ですよ、と言い続けてこられたのです。

 

 

谷口雅春師は心の法則と神の一部である自身の自覚を持つことの大切さ、いえ神そのものである自分を信じる大切さを教えられました。そのために自らの「実相」を常に見つめることと人の「実相」を見つめることの大切さを教えられました。本来あるべき真実の姿とは、神の属性そのものである。ということですね。

 

 

出口王仁三郎師は神の国をこの世にうつしだす具現化をこころみ、御霊の偉大性や今までにない未来型の教えを教えられたのです。そして「万教同根」、あらゆる正しい教えは根はひとつということを言い続けられました。どのような説き方の違う教えも目指す目的地は同じであることをすでに知っておられたからです。これは当時とても画期的な考えであったのです。

 

 

今現在、世の中は揺れながら動いておりますが、正義と称していろいろなデモを国会前でやっていたり、さまざまな国々でデモなどやっておりますが、以前ご質問がありました中で神はどちらの味方についているのかとお聞きになられる御方がいました。その時に私はこのようにお答えさせて頂きました。もし、高橋信次師、谷口雅春師、出口王仁三郎師、そして玉依姫がお答えになるとしたら、逆にあなた方にご質問なさるでしょう。「あなた方はほんとうに平和を望んでいるのか? ミロクの世を望んでいるのか? 望んでいるのならどうして『平和』に意識を向けない?」この意味を是非あなた様にお考え頂きたいのです。

 

 

正義を振りかざし、あいつは間違っている間違っていると人を批判し争いの想念を生むことは結局は地球環境をその悪想念で破壊し続ける行為に繋がり、気象の大変化を生み出すだけです。ほんとうに正しく高橋信次師の言う中道をしっかり理解され、谷口雅春師の光一元を理解出来ていたら、このようなご質問はないはずなのですね。二元対立的に物事を見ても何も根本はわかりません。

 

 

そしてもう一つ申し上げておきたいことがございます。それは教えにおいていろいろと争うのは、枠組みを設けた団体にあります。この枠組みを作りますと、自分とこの教えだけが正しくて他は間違っていると本来御霊が持っている自由な個性を押しつぶされ、視野が狭まってしまうのです。これまではそれで良かったかもしれませんが、これからは団体やひとつの教えに固執するのではなくて、ご自身の「御霊で立つ」時代なのです。それがアクエリアスの時代なのです。そのことをどうか知って頂きたいと思います。また詳しくは学習会にてお話する予定です。

 

 

 

 

          出雲  拝

2014年7月22日 (火)

先祖供養とまつりの意味

【先祖供養についていくつかお聞きしたく…】とのご質問について





先祖供養を軽んじているのではないかというご指摘でありますが、そうではありません。危険なことが多いので、下手な先祖供養はしなさんな‥と申し上げてきたのであります。



これはどういうことかと言いますと、ご質問者様には大変厳しいことを言うようですが、やはり、動機がどちら側にあるかにかかっているのです。その動機が心からの愛に根ざして見返りを求めないものであれば、問題はございませんが、先祖供養すれば、運勢が良くなるだの、こうしなければ自分や家族に障りが出るだの、何代前の先祖が迷っているから自分たちはうまくいかないのだとか、そんな欲や恐怖心が根底にあっての供養は、残念ながら、天国に届く供養ではなく、地獄やその辺の不浄仏霊が感応する供養となり、良くなると思ってやった供養がますます悪くなっていく縁を創る行為となるのです。




これまでいろんな方々の先祖供養のあり方を観ておりましても、そういう方々があまりにも多くいらしたので、先祖供養などはあまり言わないようにしてきたわけです。先祖供養を運気アップのための風水グッズ的手段のようにお考えであるなら、そのお考えを改めて頂きたいと思います。




また、お墓参りに行くという言い方を一般的にしますが、ほんとうは「先祖参り」が正しいのです。お墓の墓石に先祖が居たらそれはそれは大変です。(¨;)
先祖参りやお仏壇で先祖をおまつりする時は、先祖に感謝をするのが正しい供養です。では何に感謝するかですが、「幸せを呼ぶ龍宮物語」を手元にお持ちであれば、第三章P143からP144を見て頂きたいのですが、そこに玉依姫はこのように仰ってます。




…そして鏡の前に立って、日々、貴女の肉体に御礼を言ってください。いずれは別れる肉体に、御礼を言って、一日を始めてください。貴女の御霊が丸い水晶になる間、貴女方を守ってくれている肉体、三次元に存在する事を証明してくれている肉体でもあります。四次元の未熟霊などからも、肉体が、貴女方の御霊を守ってくれているのです。ですから、今、生きることを共にしている肉体にも、日々、感謝する事です。




これは先祖供養の根本なのです。御霊を向上させるために肉体舟を与えられたことへの感謝が根本になくてはならないのです。両親があって肉体を与えられ、そのまた祖父母があり、祖祖父母があり、先祖代々があって、現在のご自分があるのです。


ですから、自分の両親を貶し、バカにするようなことを言いながら、先祖供養など出来るはずもなく、うちのばあちゃんボケた、爺ちゃんボケたといって蔑むような態度で先祖供養が出来るわけもありません。生きている自分の身内に孝を尽くす心であって、はじめて正しい先祖供養が出来るのです。



肉体舟を与えられ、この家系に生まれ、御霊修行をさせて頂いていることへの感謝をし、肉体があるうちに必ずや御霊を向上させてまいります、という誓いをするのが、それが真実の先祖供養であります。





「…あなたは先祖供養はどうでもよいと考えているのですか?‥」とのご質問でありますが、その前に、わたくし個人的にはこの先祖供養という言葉がどうも好きになれないので、以下「祖霊まつり」という言い方をさせて頂きます。
どうして「まつり」という言葉がつくかと言えば、「まつり(祭)」というのは、「真釣り合わせる」という言葉からきています。それはどういう意味であるのかと言いますと、調和するということなのです。


神と地上に生きている人間とのまつり、すなわち調和、夫と妻とのまつり合わせである調和、企業や組織とその従業員との「まつり」であるところの調和、国家と国民との「まつり」であるところの調和などを言うのです。ですから、神社でお祭りがあったりしますが、あれも神と人とを身近に結びつけ、調和させるためにあるものです。御神輿などもそうです。国政に携わることも「政」と書いて「まつりごと」と読みますし、祭りとは本来そういう意味合いがあるのです。ですから、わたくしは、あなた様がおっしゃる先祖供養はどうでもよいどころか、最も重要と考えている一人でもあります。



前回のブログにも書いたと思いますが、国を滅ぼすのに核など使わなくても、各家庭を破壊していけば、国が滅びるということを言いましたけれども、逆に家庭を調和させ、発展させていくことは国を富ますことになるのですね。祖霊を祭り、祖霊に感謝をしながら、家庭を営んでいくことは、家門高く富み栄え、国を栄えさせる原動力となります。


さて、ここまで書いて一部の御方々は、三百年以上も経った祖霊などは生まれ変わっているのではないか、だからそういう霊たちにはまつりなど必要ないのでは、とお考えになっているかもしれません。
祖霊まつりというのは、先程から申し上げている感謝の心を持つおまつりであり、それはどこに向かっているのかと言えば、祖霊にも届き、さらにその感謝の念いは神に向かっていくのです。神に向かった念いは、もし迷っている先祖がいれば、上位の御神霊が導きの光を降ろすようになるのです。



また、肉体を離れた霊人は何も食べなくてもいいから、お供え物などいらないのではないのか、と思っている人達もいると思います。たしかにその通りでありますが、それは一を知って二を知らないお考えなのです。たとえどのような質素なものであっても、みかん一つ、リンゴ一つであっても、それが心からのものであれば、あちらの世界にはそれはそれは大変なごちそうとなって、現れるのです。



心からの念いはあちらの世界では何十倍も何百倍にもなって現れます。
ですから、亡くなってそんなに経っていない霊人であれば、実際にその念いとなったものを食し、その美味しさを感じているのです。悟りが進みもう三次元に居た頃の人間としてのにおいが無くなった霊人たちは、そういうことも必要でないかもしれませんが、あちらの世界では食べなくてもいいのですが、食べたいと思えばそれを味わうこともできますし、お酒なども味わうことも出来ますし、自由自在の世界です。それは三次元の物質的な食べ物など比べ物にならないほど、あちらの霊的な食べ物は美味しいのですね。


神社のお祭りは楽しいものです。盆踊りなどのお祭りも見ているだけで、何か楽しくなります。「まつり」とは楽しんで自ら調和しようとする行為であります。
祖霊に対しても神に対しても、畏れ敬いつつ、明るく、楽しく、親しむ心ですることがあちらの世界に通じる秘訣でもございます。これが「神向心」なのであります。



一昔前に各家庭には、祖霊をおまつりすると同時にどこの家庭にも神棚がありました。朝、仕事に行く前にパンパンと柏手を打ってそして会社に出掛け、学校に行ってたと思います。神棚は、自分と社会を祭り合わせる意味であったのですね。家庭においては、祖霊と共に生活し、社会生活においては神とともにであったわけです。



松下幸之助氏はこの「まつり」の本当の意味をよく知っていたひとりでした。各工場や社屋に鳥居と社を設けていましたし、自らも、朝出社して最初にすることは、社に手を合わせることでした。
現代ほど、「祭り」が必要な時代はないのではないかと、私は思います。また祭りという全てと調和する心はアクエリアスの時代そのものであるのです。もう一度、本来の「まつり」の意味をじっくりと皆様方もお考えになられてみても宜しいかと思います。大ざっぱに書きましたが、以上をご参考にしてくださいませ。





           出雲 拝

2014年7月21日 (月)

繰り返される地球規模の浄化

六月から七月にかけて、震度4から5の地震が多発し、現在は落ち着いているように見えますが、かなりの歪みが太平洋側の広範囲で起き出しているようであります。防災意識をさらに高めていくことは今後の身の処し方に出てきますので、出来るだけ多くの方々に意識的であって頂きたいと思います。



地震のことを申し上げると、中にはうんざりされる御方々もちらほらいらっしゃることはわかっておりますが、これはいつの時代でも同じことであります。アトランティスの頃も玉依姫の下生がありましたが、その時も同じくご批判は多くございました。乙姫の世界というのは、弁財天のような役割であると思われておりますが、確かに半面はその通りであります。もともとはそういう役割の部分が多くございます。しかし、玉依姫命と言われている存在の半分の部分は時代の端境期に時代が変わるということを告げ知らせるという役割と天界との通信塔としての役目を受け持っております。今回下生している御霊がその部分を請け負い、アトランティスの時代と同じ役目を担って出ているのです。ですから、楽しいことばかりではないことも伝えるというそういう役目があるわけであります。



ノアのお話をこのブログでもお書きしたことがございます。汚れきった人間界に大洪水を起こし、ノアとその家族、そして家畜や鳥のつがいを船に乗せて大洪水に備えたというお話です。人々はノアをあざ笑いました、わけのわからないことを言い、同じく人々をうんざりさせたわけであります。しかし、やがて大洪水が起き、地上の全てのものが洗い流されて行きます。このノアの方舟は現在のトルコのアララト山に漂着したとされ、実際にそうした伝説の船は学者たちによって発見されております。



ユダヤでは七月十七日を中心として、その前後三週間をノアが無事に大洪水を乗り越えてアララト山にたどり着いたとして、お祝いするシオン祭という行事があります。そしてユダヤと非常に縁の強い大和の地では京都の「ギオン祭」、祇園祭りが「エンヤラヤー」のかけ声と共にピークを迎えます。このかけ声そのものが古代ユダヤの言葉そのものであることは大変有名なお話でありますし、シオン祭とギオン祭のひびきも似ていることも、また七月十七日が祇園祭りのピークを迎えることも偶然にしてはロマンのあるお話です。



出口王仁三郎師が神懸かりとなって口述筆記された「霊界物語」にはノアの時と同じ頃、この大和の地も神代の昔、祖神国常立尊とその妻神である豊雲野尊が地に降り立ち、人々の心の建て直しをなすべくまつりごとをしていましたが、現代で言えば、政権を引きずり降ろされたと言えばわかりやすいかと思います。



それが丑寅と未申に押し込められた、として祟り神であるとか丑寅の金神というふうに呼ばれてきたのでありますが、その当時も人々の心の乱れが酷かったのです。国常立尊が隠れ神となった後、大和の地は天変地異が立て続けに起きたのです。



「霊界物語」には、天には異様の星々が出現し、太陽は酷熱を極め、暴風が吹き、至る所で火山が爆発し、地震、大津波が相次いで起こったことが記されています。これは大洪水の前に人々を改心に導くための気づきを与えるためのもの、と言うことでもございました。


「…そもそも七十五日間の天災地妖のありしは、野立彦神、野立姫神をはじめ、日の大神、月の大神の地上神人の身魂を試したまう御経綸であったのである。

…わが数億年の艱難辛苦の結果成れる地上の世界は、かくも汚れ、かつ曇りたるか。いかにしてこの地上を修祓し、払拭し、最初のわが理想たりし神国浄土に改造せむや…」 『霊界物語』



やがて、大和の地も地球意識の働きにより、大洪水が起こりました。この時期は世界的に人々の心の乱れが蔓延していたのです。



そして、現在はどうでしょうか、外国ではノアの出来事、この日本では国常立尊が引きずり降ろされた当時、地球規模で起こった大洪水の出来事の前と全く同じであると感じないでしょうか。日本を含め世界中で地震が多発し、政治の混乱、国際情勢の悪化、中国、韓国、北朝鮮、アジア周辺も、中東、ロシア、ウクライナ等、怒り、憎しみ、争いに満ちてきています。また小さくは家庭においても、家庭崩壊が次ぎから次ぎと起き始めてもいます。日本も離婚率が高くなりました。その国が衰微する原因の中心は各家庭が崩壊することでもあります。ですから、一つの国を崩壊させるのに核などいらないのです。家庭を壊していけば国は滅びます。



このように現在の時期は、ノアの時代、国常立尊無き後とすべて酷似してきているのです。
ですから、当時と同じように警告の地震が起き、人々に気づきを与えていると言えるのです。いつの時代も歴史は繰り返すといいますが、聞く耳を持つ人はほんの一握りであります。ほとんどの人達は、地上の価値に溺れてしまいがちになってしまうのです。しかし、一握りの人達だけでも構いません。天津罪、国津罪を進んで洗い清め、気づきを持ち、御霊に目覚め、心を天界に向けて、地球規模の浄化に備えて頂ける人達がいればそれで良しということであります。しかし、出来る限り大勢の人達に目覚めて頂きたいというのが正直なところでございます。





        出雲 拝

2014年6月11日 (水)

地震注意報

13日を起点にご注意してくださいとのこと。

五月は無事過ぎ越すことが出来ました。六月もなんとか通り過ぎることを望みます。

中規模程度(M5から6)クラスの地震はいつ起きてもおかしくはない状態ですし大変揺れやすくなっていることにはかわりがありませんので、日頃の防災を確認しておくことが大切です。




      出雲 拝

2014年5月23日 (金)

気づかぬ潜在意識

『……こういう潜在意識の事について話がある。
 ──あるとき二人の友人がおった。そのうち一人があるとき酒に酔うたあげく、片一方の人間をボロクソに云うた。その云われた一人は恥をかかされたから非常に怒って、今にもなぐり倒そうと思ったのだが、その友が「酒に酔ってすまん事云うがた許してくれ」と地べたにへたり込んで悪かった悪かったと拝み倒して頼んだのでこっちも腹は立ったが、その時は直って、仲直りの後の二人は親友もただならぬほどの親しい仲となってしまった。


ちょうど男同志の夫婦みたいに仲良くなったのや、人から見ても羨ましいほど仲のよい親友になってしもうた。ところがある時、その悪口云うた友人が何かの事件を起こしてその許した男が証人に立たんならん事になった。だからその男は、友人の助かるように弁護してやろうと思ったのや。その男の云い方一つで助かりもすれば罪にもなる、生殺与奪の権を握っているのだから……その日になっていよいよ弁護する事になった。ところが自分が云ってやろうと思った事は一つも云えずに、腹の中から自然に男の不利な証言ばかりが出て来てベラベラ云ってしまった。──



つまりそれは何故かと云えばケンカした時、この野郎と思った、くやしい感情が表面は仲良くなったように見えたけれど潜在意識となってそれが知らず知らずの間に口をついて出てしまったのや。ああこんな証言は云うまいと思ったが自然に腹の中から声が出た。そして青年を罪におとしてしまった。つまり、それが潜在意識なのや。  人を残念がらしたりする事はこわい事やで……。
人を恨ませる事はとても悪い事や。人を憎んだり、苦しめたりする事は一番悪い。いわゆる守護神が覚えているのだから、なんぼ仲良くしておってもいつか仇を打つのや、本人は直っておっても腹の霊が承知しないのだから……喧嘩したらいくら後で仲良うしても忘れぬものや、表面仲良う見えるけれど、どうしても腹が承知しない。ワシらでもそうや。一遍ワシらにそむいて神様から離れて行ったような人間は何ほど改心して神様の所へ戻って来ても、前のようにこちらは温かい心持ちがどうしても出ん。一遍背いたら、なんぼ神心のようになってもあかん。それだけの事はどうしても報うてくるからな。』



       出口王仁三郎





上記はご生前の王仁三郎師の御言葉であります。大本の信徒の方であれば一度はお読みに、あるいはお聞きになったことがおありであると思います。



強烈な感情を伴う想念は必ず、自身の潜在意識に種が蒔かれるのです。一旦蒔かれた種は何もしなければ、やがて自分の表面意識で意識しなくても、知らず知らずのうちに成長してしまうのです。これが潜在意識のコワさでもありますが、これを良い種に変えていけば、自身が望む方向へと、流行りの引き寄せの法則でしょうか、それが現象として現れてくるようにもなります。


今日ここで申し上げたいのは、わたしたちには心のクセと言いますか、心のある傾向性がみなさんにおありと思います。御霊のアセンションのためにはこの心のクセを直すことが大切になります。何かに拘りやすい、すぐに取り越し苦労をしてしまう、すぐにカッとなってしまう、何かにつけ人を猜疑心の眼で見てしまう、人によっていろいろだと思います。

よく、ご相談が参りますが、職場の対人関係で嫌な人がいます、どうしたらいいですか、もうあの人とはやってはいけない、離婚を考えているのですが、
どうして私だけ、返済しても返済しても次々に借金が出てくるのでしょうか、いろんなご相談内容がございますが、
そこで共通していることは、眼の前に現れている現象だけに囚われて、それが自身の心の内で育った種の結果であるということに気づかないことなのです。この種は過去世から続いているものだってあります。それをカルマと言う言葉でいうこともあります。
職場の対人関係で苦労した、だからそこを辞めて、新しい職場に転職した、最初の数年間はああ~良かったと精神的にも安定していたところが数年経てばまた同じパターンの問題が出てくる、離婚した、ああ~すっきりした、そして再婚してやっと自分も幸福になれたと思ったのにこの人も前の人と同じじゃないかとまた同じ問題を抱え込む、やっと借金を苦労して返済したと思ったらまた借金して新事業に打って出たところが時期が悪かった、あの銀行の言うことが間違っていた、政府の政策が悪いだと環境のせいにする、そういう同じパターンを繰り返す人達がまありにも多すぎます。そしてそれに気づかない人達があまりにも多すぎます。


こういう悪循環に陥っている時こそ、その人の課題が出てきている時であるのです。その時に結果として出てしまっているその問題に囚われるのではなく、内に原因があると知って頂きたいのです。そして自分の心のクセはどういうところにあるのか、それを探り当てて頂きたいのです。こういうところへご相談にお見えになる方々は、何とかしたいと思っていろいろな霊能者や占い師のところをハシゴしているはずです。でもどうでしょうか?解決しましたか?
していないはずです。



わたしは、そういう人達にその人の立場から同情し、貴女は悪くない、世の中が悪い、あの人が悪いと言って慰めお飾りをつけてお話などは致しません。

なぜなら、心の傾向性を変えられるのは貴女ご自身だからです。
まず、それを認め気づくところから始めないといけません。気づいて自分の心のクセを直していこうと決意しないといけません、そうではなくて、何とかこの問題を解決してくださいイエス様、神様、仏様といくら唱えても、何も変わりません。こういう時に祈りなど通用しないと知ってください。


この心のクセを直す!という決意を強く持ってください。そう決意した時にはご自身の御霊の一部である守護霊という存在や貴女にご縁のある御神霊がやっと自分たちの仕事が出来ると喜んで協力してくれるようになるのです。それは目には見えないし感じることが出来ないかもしれないけれども、しかしそれが真実なのです!


また、いろいろとお勉強されている方には数十年も経った心の傾向性を変えていくのに同じくらいの年数をかけないといけないと思っている人もいるかもしれません、そう思いこんでいる人にはそれだけの年数がかかることもあるかもしれません。なぜなら言い換えれば貴女がそうしたいからという解釈になるからです。ところがほんのわずかな期間で変えて行ける人達だっているのです。
例えて言えば、数十年経過したビンの蓋を開ける時というのは、最初はいろいろ試みてもなかなかあけれないこともあります。途中で心が折れそうになることだってあるかもしれません。しかし、いろいろとやっているうちになぜか開くんです。では、ビンの蓋が開いたけれども、このビンは数十年間も閉まった状態だったので、中が見えるくらい明るくなってくるのに数十年かかるのか、というばそんなことないですね、開いた瞬間から中が見えるだけの光は差すのです。
谷口雅春師が仰られている通りなのです。


ですから、ちょっとしたコツを覚えるまでは悶々とするかもしれませんが、その時こそ、意識してください。自分には守護霊がいる、御神霊がついて下さっていることを。気づき、それをなんとか乗り越えようとする者に必ず協力してくださる存在があるのです。それをよくよく覚えておいてください。

こういった問題については今後も取り上げて御霊をアセンションしていくための指針として、また自身に与えられた課題を乗り越えるために角度を変えて参考になるようなものを出して参りたいと考えております。





        出雲 拝







2014年5月21日 (水)

女性霊の本質、男性霊の本質を取り戻すこと

『貴女の死についての疑問、不安は、人類最大の永遠の問いである事は明らかであり、その問いに答えようとしたのが、世界の宗教なのです。イエスキリストという方は、霊界の存在を知っておりました。三次元以降の世界が実在する事を体験を通して知っていたのです。彼にとって既知である事を、何とか、苦しんでいる人間達に教えようとしたのです。



イエス様にしても、お釈迦様にしても、モハメッド様にしても、同様です。彼らは、自分が信じているから貴女方もいっしょに信じましょうと言ったのではなく、自分がすでに知ってる真実であるから、信じなさいと言ったのです。世界宗教の基本にあるのは、ただの信念ではありません。一人の人間の信念だけで、何千年もの間、その言葉を残す事はできません。



一人の人間が、「信じた」からではなくて、一人の人間が、真実を「知っている」から残せたのです。人の心に伝わったのです。
体験を通して知っているという事は、圧倒的な説得力を持っております。そして、私は、私のすでに知っているところを貴女に話しております。



ただ、私は、そのような方々とは明らかに違うところがあります。
私は、私の知っている真実を、貴女方に伝えようと努力はしますが、信じなさいとは言いません。それはとても単純な事です。私は「女性霊」として永く精進してきた魂であるからです。イエス様にしても、お釈迦様にしても、モハメッド様にしてもすべて男性霊です。力強い男性霊であります。ですから、大変、力強い教えであるがゆえに、後に人間の小さな利得ゃプライド、様々な争いを刺激してしまったといえるのです。



しかし、私は、争いは好みません。女性霊という御霊は、本来、あまり争うことは好まないのです。女性が、子供を生み、育むことが出来るのは、その肉体の持ち主が女性霊だからです。三次元に男性、女性が出来上がる前に、すでに霊界において、男性霊、女性霊という御霊の性質の違いがあります。



過去、人類の歴史の中で、女性霊の活躍した時代が、何度も何度も、また、長い間、続いた事がありました。非常に争いの少ない平和な時代が世界中に存在していたのです。そして、現代ほど、女性霊の特質である、同情の心、寛容の心、人を愛し育む心の必要な時代はないでしょう。』



   「幸せを呼ぶ龍宮物語」
 
 玉依姫 (通信者 天乃河ます美)



人間は御霊である、この現世は御霊修行のためのほんの一時の仮の場所であるということ、あの世の世界こそ本来の住処である、そうしたことを直に知り、また三次元を超えた霊人たちと頻繁に接触し、あちらの世界へ行き来している方にとっては、当たり前のことであり、それを知らない人達に知らしめるということは、やはり至難の業であるでしょう。



ですから、それを信じてくださいというところからはじめることしか出来ませんが、私達も健全な知によって考えていけば、ほんとうは必然と人間は肉の塊ではなく、御霊があるということに行き着くのですが、それを邪魔立てするいろんな要素がこの三次元世界には多くあります。
過去、イエスも仏陀もモハメッドも真実を伝えようとし、いろんな障害に遭いながらも懸命に活動しました。出口王仁三郎師も投獄もされ、弾圧を加えれました。男性霊というのはいつの時代でも法敵との戦いになりやすいです。



ですが、女性霊は争いは好みません。そして女性高次元霊が表に出た時というのは、まとまりやすいというのもございます。この大和の国も女性霊を頂点に立てたことでまとまりました。女性霊というのは「調和」と「育み育てる」いう光がその御霊にあるからですね。



玉依姫は「現代ほど、女性霊の特質である、同情の心、寛容の心、人を愛し育む心の必要な時代はない」と申しております。現代にはそのような心が枯渇しているということでもあります。また現代女性がこれほど荒廃した時代もかつてはなかったように思います。かつては大和なでしこと言われるほど、日本女性は世界の女性の鏡となろうとしていたこともございました。しかし現代の女性たちは世界から観ましてもワーストいくつに入っていると言います。嘆かわしいことであります。子供を育てるのも嫌がり、育児ノイローゼという言葉もあるほど、子供を育てることも大変だと言う女性が増えました。たしかに子育ては大変なお仕事です。しかしとても尊い仕事であるということは昔の女性たちにとっては常識でした。



今は全てが男性と対等でありたいと権利主張だけはします。社会に出て経済活動する上では男女平等は良いと思いますけれども、女性には欲が男性よりも勝るのでは、とわたしは思ってしまいます。体裁を気にするのも多いですし、物事の上下を気にするのも女性には多くなりました。今一度、大和撫子と言われたそういう精神を取り戻す、そうした時期にあるとわたしは思います。かつてないほど、この国に龍宮女性が多く生まれているのも、今の世の中に潤いや大和撫子の精神を取り戻そうとしているのかもしれません。男性たちのようになろう、男性を追い抜こうとするのではなく、玉依姫の「美しき心情」に述べられているように、
女性霊にしか持ち合わせていない光を取り戻すことが必要であると思っております。



また、男性にしましても、「大和心」を見失った人達が普通のように扱われていますし、世間では責任を取らない逃げ道を巧妙につくって仕事を進めるのがエリート考えであるというような世の中です。古来からあるこの古くて古くならない大和心のある生き方の基本を取り戻すことはとても大切であると思います。
女性霊のエネルギーというものは非常に素晴らしいエネルギーですし、九次元といわれる世界の方々も女性の胎内より生まれ、女性により育まれ育ってあのような偉大な教えを残していったはずです。



これからの時代に必要な精神はという問いがよく参りますが、わたしはいつも一番大切な精神は「優しさ」であるとお答えします。この優しさというのは誰にでも甘い優しさではなく、その中に寛容さを秘め、人の可能性を育もうとする優しさであります。ほんとうに優しい女性は凛とした芯の強さをもっております。そういう女性の優しさが本物であり、母性的なものを内包しているのです。そういう女性を理想として頂きたく思います。男性もまた同じく強さのある男性ほど優しいものであります。それが本物です。優柔不断ではないのですね。男性も「大和心」を理想とした生き方をするのがまた御霊のアセンションにつながります。





          出雲 拝





2014年5月19日 (月)

心の次元

『四次元の世界は、三次元の貴女方の世界と隣り合わせです。とても近く、重なっているといってよろしいでしょう。そして、その四次元の未熟霊達、不浄仏霊達は、三次元の世界に心を残している者達です。


貴女方にある、よくない心、人を羨む心、人を憎む心、人を過剰に愛する心、物や土地に対する愛着が、執着となり、その片寄った想いに吸い寄せられるように、そういう霊は集まってくるのです。


貴女方の世界で有名な霊能力者と呼ばれている方々が、たくさんいらっしゃいます。確かに、霊能力と呼ばれるものを持っている方がたくさんおります。が、そのほとんどの方々は、未熟霊との対話に、その時間をついやしているのです。


四次元以降の世界と通じる事は、そんなに難しいことではありませんが、そのような未熟霊達とばかり接触しておりますと、いいことは何一つないのです。貴女方の世界で活躍している霊能力者の九割方はその影響で、その個人の人生も全うできなくなっています。彼らの行く末は、哀しい結果を結ぶ事になりましょう。』



     「幸せを呼ぶ龍宮物語」



       玉依姫 (通信者 天乃河ます美)




わたしたちがいるこの三次元は四次元、それも下の方と重なった世界であります。ですから、少しばかり霊的でありますと、必ず未熟霊の類と接触しやすくなります。また、動物霊などとも接触しやすくなります。それとは知らずに、まるで自分が神の使いであるかのように錯覚している者達が結構な数いらっしゃいます。現在のような時期ですと、これからの天変地異を生き残るための祈願だとかいって、70万とかの金額を請求する者達もいます。こういう霊能者には引っかからないようにして頂きたいと思います。



また引っかかる方にも問題があります。一番多いのは欲である場合が多いです。昨今では除霊を商売の専門にしている方もおりますが、これも大変危険なことであります。未熟霊や地獄霊に翻弄されている霊能力者たちは、たしかに正しいことを言います、いえ、九割は正しいことを言っております。しかし、残りの一割で地獄界の考えに持ち込もうとするのですね。それも非常に巧妙です。言葉は選ばないとなりませんが、今の政治家さんや悪徳商法なみの智慧をもっておりますし、そういう者達は表向き、非常に紳士的な態度でいます。



みんさん方は「憑依」という言葉をお聞きになったことがおありであると思いますが、この憑依霊、すなわち、未熟霊や地獄霊たちのことでありますが、
この憑依霊を除霊によって取ることは可能なのかというご質問もよくうけます。
その霊能者が正しい正真世界と繋がっている場合にはそれも可能であると思います。しかし、たとえ可能であったとしても、それで根本的な解決には至りません。これははっきりと明言しておきたいと思います。



つまり、除霊とは、例えて言えば、汚物にたかるハエのようなものなのです。ハエはいくらはらっても、はらっても、次ぎから次ぎに汚物にたかります。キリがないのです。その原因はその汚物にありますね。ですから、その汚物を取り除かない限り、いくらハエをはらっても、無意味なのです。



では、その汚物にあたるものとは何でしょうか、もうおわかりの通り、何かに執着する心であったり、怒り、憎しみであったり、欲であったりということです。
それが一時的なものであればよいのですが、その念いが一点に長期間止まり続けますと、それに同通した世界の者達とビタッと意識が繋がるのです。これが憑依の仕組みです。ですから、除霊では意味がないわけなのです。自らの念いをご自身で変革していかない限り、いくらでも未熟霊や地獄霊たちがやってきます。



そうならないために、心を四次元の地下ではなく、五次元以上の世界に向けることが大事なのです。そのために正しい霊界通信や過去から高次元霊たちが残していった教えがあるのです。それを知識ではなく生活に生かすということが大切であります。わたしたちは、みんな肉体を三次元に現しておりますが、しかし、その心はみんな住んでいる世界が違うのです。これがおわかりでしょうか?



その心が地獄に生きている人もいますし、五次元世界に通じて生きている人もいます。あるいは、六次元に通じている人もいますし、七次元や八次元に通じて肉体を三次元に現している人もおります。肉の眼で観ればみなさん、同じ肉体を持っておりますが、しかしその心が通じている世界が違うのです。なぜなら、私達の本質そのものが三次元を超えた「御霊」であるからなのです。



現在、憑依で苦しんでいる人もご自身で気づき、努力精進して、自らの心がけを変えてゆけば、やがては五次元、六次元に通じてくるのです。霊能者に頼る必要もなく、ご自身で心は変えられるのです。というより、自分自身の心を変えるのは自分以外にはないからです。周囲の人があなたに変わってあなたの心を変えるということは出来ないのです。



また、その逆もあります。天国世界に心があったとしても、何かのきっかけで、人を恨み続けて、その心が地獄へと通じてしまう人もいます。心とは常に揺れ続けるものです。だからこそ、日々、日々の御霊修行だと心得て毎日を送り、幸せを呼ぶ龍宮物語で語られているような神理の視点を取り入れることがとても大切であります。



今現在、苦しみの最中、哀しみの最中にいる人もおられるでしょう。心をどうすることも出来ず苦しんでいる人もおられましょう。そういう時は、玉依姫の直々の言霊で出来ているこの「幸せを呼ぶ龍宮物語」を手に取り数ページでも読んでください。そして龍宮世界へ意識を向けてみてください。



きっと、柔らかな光が来るはずです。その光が必ずみなさんを懐かしい御霊の世界へと誘ってくれます。三次元を超えた世界からの神書とはそういうものなのです。この三次元は大変厳しい世界であります。ですが、同時に救いの光も必ずあるのです。
皆様方の霊的向上を祈りつつ。






       出雲 拝







2014年5月18日 (日)

神向心と信仰心

「神向心と信仰心の違いを教えてください。」との問い




(^_^;)あまり細かいところのみに心を止めないでくださいますよう。あえて、言うならば、
わたしは、「神向」というコトバを使わせて頂いておりますが、これは神の存在は当たり前、御霊であるというのは当然のこと、その前提に立ってさらに御霊の向上を求めている方々に対して申し上げている言葉であります。



すなわち、御霊を、そして自らの念いを天界の神々の念いに近づける、神の念いに近づけていくその道を歩むということでありますが、一方「信仰」というのは、神が存在すると信じる、御霊があると信じるという、目に見えないし感覚を味わえないけれども、それがあるとわたしは信じるという場合には「信仰心」というコトバを使っているのであると思います。、それぞれの方々にいろんな宗教的信条もあり、それぞれの信仰論があると思いますが、わたしなりの見解は上記であります。「幸せを呼ぶ龍宮物語」のなかで玉依姫は「信仰」の方を仰っておられるのですね。まだ御霊の存在を知らない方に向けて、御霊こそが貴女方の本質なのですよ、ということを初心者に対して優しく語られているわけです。
「幸せを呼ぶ龍宮物語」に次ぎのように語られております。





『まったく独りきり、無に帰する人生に、何の意味があると思いますか。無意味です。また、人々の人生は不公平きまわりないと思って思っていませんか。そんな無意味な存在を、貴女は、神が、創ったと思いますか。そのような無意味な世界であるとしたら、その「神」という存在を頼りにできるでしょうか。



また、そのような世界なら、どうして人を思いやる心、良心、発展していこうとする心が必要なのでしょうか。いえ、そういう心自体、必要でしょうか。たった一回の人生、肉体と共に貴女の本質、実在である御霊がなくなるのであれば、あれこれ悩む必要さえないのではないですか。



貴女は、死後の世界が存在する、死後も、貴女の本質である御霊が存在すると信じた方が幸せだと思いませんか。神という存在が実在していると信じた方が幸せだと思いませんか。どちらを信じるのが、幸福感、安心感を得られるか、自分なりに考えてみる事が必要です。



貴女も知る通り、人類は何千年もの間、永遠の問いともいえる、この死と死後の世界について考えてきたはずですが、結論は出ておりません。科学がいくら発展していこうと、現代科学のままでは解答は得られないのです。現代科学そのものの意識の変革が必要です。』



 
            玉依姫








このように玉依姫も高次元界から訴えているのです。まだまだ人は死ねば終わりだという人達が多数派でありますから、やはり「信仰」から入っているわけであります。「幸せを呼ぶ龍宮物語」でも仰ってますが、死にたくないという意識を持つに至る原因の一つにテレビの存在もあると指摘しておりますね。


夏になれば、心霊ものの番組が組まれますが、やはりドロドロとした恨みつらみ、自殺者の霊などが中心のものばかりが放送されます。これは本来の御霊の姿ではないものなのですが、どういう訳か、コワイもの見たさというのが多いためでしょうか、そういう番組や、また映画ばかりが先行し、正しい御霊の姿、正しい死後の世界、神々の世界を扱ったものが皆無ですね。これにはわたしも驚くばかりであります。


でも、みなさんの多くはご自分の肉親を亡くした時には、素晴らしい死後の世界があってほしいと思うはずです。ほんとうは心の根底には信じたいと思う心があるはずなのです。これを邪魔する障害があまりにも多い現世でもありますが、目に見えないものなど信じない、という人でも、心はあると思いますか、と言えばあると言いますし、愛というものがあると思いますか、と言うとあると答えます。
つまり、この日本にいる方々は実は根底では知っているということなのです。玉依姫はそれこそ、みなさんを「信仰」から「神向」へと導きたいと待っているのです。ですから、最初は「信じる」ところからはじめて頂いても大いに結構であります。是非とも玉依姫の話すコトバに耳を傾けて、もう一度この幸せを呼ぶ龍宮物語をお読み頂きたいと思います。






争いはさまざまな方面にあらわれ、偏屈頑固なる神学者、哲学者、倫理上の学説は、社会の各方面より、奇抜なる声をはなちきたりて多くの人を迷わせ、偽予言者、偽救世主はところどころにあらわれて、 あまたの人の眼をくらませ、人々はうろたえ迷いてそのよるところを知らず。
これ天より瑞の御霊くだりて、道の証明するゆえんなり。




       出口王仁三郎

2014年5月17日 (土)

ご質問 まとめ

 
「人間は御霊だということはわかりましたが、どうしても次元の高い御霊、低い御霊というふうに見てしまうのですが…」との問い




それが知で御霊があるということがわかった段階であります。それは最初の第一歩でありますけれども、その先はいくら頭で理解しようとしても、御霊の全てはわかりません。あなたは他の人の御霊は素晴らしく見えるけれども、自分の御霊はちっぽけなものだと、まだまだ次元の低い御霊だと思っているところが問題ですね(^_^;)この世の価値尺度で御霊を判断しているところにあなたの誤りがあります。



何度も何度も言ってきましたが、御霊は偉大です。例えば一本の大木を神とたとえれば、その木には葉っぱが繁っています。その葉は一見すると同じように思えますが、実は同じ葉は一枚もないのです。それぞれがみな違うのです。
一本の大木は無数の異なった葉を持つ木であります。神さまは自己反復は決してしません。あなたの御霊はユニークで特別な個性として創られたのであります。それが神のご意志だからです。あなたにしか出来ないことをさせるために。
やがてはどのような御霊の方でも、最終的には一つの惑星を預かるだけの御霊へと生長していくようになっているのです。宇宙は御霊の数だけあるのです。



おそらく、あなたにはいろんな諸問題や悩み、劣等感がおありなのだろうと推測いたします。まずはそれらを解決し、もう少し自信をつけて頂きたく思います。
三次元の諸問題は三次元を超えた、あちらの世界の視点を持つことによって、違った観方が出来るようになります。もう少し頑張って頂きたく思います。それが御霊のお勉強ですね。







「…玉依姫が地上の人間を観る時には、どのように映るのでしょうか、地獄に行くか天国に行くかもわかるのですか‥」




おかしな巷の霊能者と称する者たちは憑いているものが動物霊であったり、地獄界の者、魔界のものといろいろです。ですが、言うことはご立派であります。そういう霊能者たちは、現在その人が考えていること、よこしまなことを考えていることを言い当ててみたり、ちょっと先の未来を言い当ててみたりすることは出来るのです。



この三次元世界は地獄のてっぺんでもあり、地獄の者たちに一番近いところですから、よくわかるようであります。こういう人達に鑑定されるとコワイくらいよく当たるとみなさん言いますね。




ですが、八次元にある龍宮の玉依姫がもし、地上のあなたを観るとすれば、五千年以上前のあなた(おそらく、数十回の転生)、そして現在のあなた、そして未来のあなたというように過去、現在、未来を同時に観ることになるのですね。すなわち高次元霊の観方というのは、近視眼的でピンポイント的な見方ではないということです。もちろん、ある問題にスポットを当てて観る時もありますが、そういう時であっても、狭い観方ではないということであります。コトバで書けるのはこれが限界です(^_^;)。高次元霊たちが地上を観る時というのはそういう観方なのです。




ですから、これから起きる天変地異も近視眼的な観方ではなく、先の地球も同時に観ているのです。人類の行く末も同じです。そういう観方をしつつ、現在を少しでも善導しようとして活動しているのが高級霊界の神々であり、地上の人々を長いスパーンで良いも悪いも経験させて御霊を生長させているということであります。







「瞑想と精神統一がいくらやっても上手くいかず、雑念ばかりが出てくるのですが、どうすればいいのでしょうか」との問い



雑念は出るにまかせるのがベストです。そのうちいろんな思いが昇華されていきます。ただ、強引な意志の力を使って精神統一をし、無になろうとしているうちに変な霊的災いに巻き込まれることがありますから、悩みがある時や体調が芳しくない時は瞑想はむしろしないほうが安全です。



正道では、まずは八正道などの反省から入るのが一番安全です。それも瞑想というよりも、紙に自分の心のクセを見つけるためにいろんな思いや出来事、その時の自分の感情、腹の立つことなど遠慮なく書き並べてみますと、すっきりしつつ、自ずと自分の心の傾向がわかってきます。次ぎにその心のクセを直すために無理のない程度の新しい行動パターンを考案して実行してみるのですね。あまり霊的なものを求めて瞑想などはなさらないほうが賢明であります。
精神統一についてかつて出口王仁三郎師が信徒さんに語っておられたのがありますので、それをご参考までに出しておきます。





『雑念云うけど、鎮魂をして坐すわっておってもいろいろの事を思い出すように、無我無心になるとか、精神統一をするとか云うても、統一しようと思う心がすでにもう統一が出来ていない。無我無心になろうと思うから無我無心になれぬ。
 人と云うものはいくつにもその魂が分かれて動くのだ。あっちにもこっちにも魂が分かれて活動する。だからいろいろ思い出すのは、その分かれて活動している魂が思わせるので、それをまとめる、統一するのが本当の統一なのだ。思い出す事は良いのだ。忘れた事を思い出し、あっちの事を思い、こっちの事を思い、一時に一切の事を思い出す。それで本当に統一が出来るのだ。それが本当の無我の境きょうなのだ。精神喪失状態になるまで行くのが無我の境だと今の人間は思っているが、それは間違っている。そんな事をやって亡骸になったら大変や。 (笑声)



霊のある間は天かけり国かけりして勝手な事を思い出させる。つまり神様は天かけり国かける、その神に習うのが人間や。あっちの事やこっちの事を思うのが、それが真実で、そうでなくては死んだようなもんやないか。高山の伊保理、短山の伊保理を掻分かきわけて聞召きこしめさむ……総て人間がそうなった時には色々の事を良く思い出す。その時は伊都の千別ちわきに千別ちわきてあれもせんならん、これもせんならんと云う気持ちになって来る。それが無我の境でみんなの考えているような皆忘れて死んでしまう事とは違う。ああしよう、こうしようと云う智慧がついて来るのだ。あっちを思い、こっちを思う、それが大本の無我で今の世の中の無我とは違う。世の中の無我とは死んだ無我や。大本のは生きた無我や』




       出口王仁三郎




2014年5月15日 (木)

天変地異は人間の悪想念が原因?

『地震は人間の悪想念で起きるのではないですか…高橋先生の著書でもそういっているが、
ここでは人間の心がけなど関係ないようなことを言ってますが。』との問い





このご質問もよく頂くものの一つでありますが、
それは直接的原因というよりも「間接的原因」であるということであります。天変地異の直接的原因はそれは地球そのものの働きであります。三次元に現れている地球という惑星はわたしたち人間が肉体を持っているように生きております。
生きているからこそ、火山噴火も起こり、地殻変動も起こります。




高橋先生は台風や大雨、大雪というのは大自然を中道に戻すための作用であるとご著書では言っておられると思います。このブログでもお書きしたことがありますが、気象の変化は争いの心が原因であるということをお書きしました。ここ数年の雨の降り方、大雪、台風の強さ、竜巻など異常気象はずっと続いております。当然、こうした異常が続けば地球自体のさらなる悪影響が出ます。



つい最近わかったことでは、地磁気の高さの異常、大気層の異変などが起きておりますし、深海での異常も出てきてます。また、一部の科学者の警告として地球の磁場が崩壊してきているということを発表してます。この磁場が崩壊しますと、さらに異常気象が激しくなるとの警告もしているようであります。



異常気象が磁場の崩壊を生み、磁場の崩壊はさらなる異常気象を生み、それらが積み重なると地球自体の異変が加速され、地軸移動が起き、地殻変動が激しくなることも予測されて当然でありましょう。すなわち「間接的原因」が直接的原因を大きく刺激しているというふうにお考えになられて良いと思います。



みんさんもおわかりかと思いますが、異常気象や天変地異以外に世界中のいろいろな国で様々な出来事があります。日本でも数々も問題があります。いろんな問題や出来事があった時、それぞれの国民性もありましょうけれども、
「中道的な観方」がどうも出来ないようであります。どこもかしこも偏った見方をしております。メディアもそうです。これは根底に死ねば何もかも終わりだという、人間は肉の塊にしかすぎないという考えに根ざしているからです。その考えから欲が生まれ、利権が生まれ、「我よし」の考え中心になっていくのです。
もうずいぶん前からそんな考えは間違いであるということを高橋師も、谷口師も、王仁三郎師も伝えてきているのですけれども、それでも肉の身に翻弄されわからなくなっています。今までから何度も申し上げてきている、天上界の視点をもってこの世の諸問題を観た時には自ずと中道の観方になるのですけれども、肉体こそすべてだという考えからは何々しないと損、という発想が生まれ、肉の身の自分を守るところからいろいろな争いが心の根底に形成されていくようになります。



このブログを真摯に受け取り観てくださっている方だけでも、天上界の視点を持って、世の中の出来事を観て頂きたいと思います。
天上界はこのまま進めば大戦は避けられないと懸念しております。それを自然の力によって、回避させようと計画もしているのです。苦しい浄化の時期を迎えますが、気づいた方から御霊のアセンションをし、次ぎの文明に移行して頂きたいと切に願うばかりです。



日本は世界の雛形、この日本に起きたことは世界に拡大して起こるということ、それを覚えておいて頂きたいと思います。







          出雲 拝



2014年5月13日 (火)

出口王仁三郎から玉依姫へ

出口王仁三郎師が地上にいた頃、ある信者が、第2次大戦の空襲のことを指して「本当に火の雨が降って、大本の言う通りになりましたね」と言うと、王仁三郎師は、「筆先に出ている火の雨いうたら、あんなちょろいもんやない。ほんまに火が天から降ってくるのじゃ」と答えられました。




そして王仁三郎師は続けて、
『世界の人民3分になるぞよ”というお筆先は今後必ず到来する。日本は3分どころか2分より残らん。悪人は1人も残さんと、神様が言われる。日の雨が降るというのは、この程度のことではない。今は序の口で、本舞台はこれからじゃ。』





すなわち、どのように祈っても神が決められた立て替え立て直しは避けて通ることは出来ないということであり、人々の多くはこのまま行けば、ミロクの世に進むことができない。とくに大和民族はしっかり「身魂みがき」をする必要がある、と言い続けてきました。このことをすでに明治の頃から出口なおを通じて、「おおもとしんゆ」として伝え、王仁三郎師がその影響力を持って霊界物語に代表される預言などで人々に伝えてきましたが、当時なかなかなか人々は信じようとはしませんでした。




現在に至り、予言者としての出口王仁三郎を研究する人々は多いですが、王仁三郎師のほんとうの真意を知るものは少ないです。迫害され誤解を受けた波乱の人生でしたが、決して中途で途切れたわけではないのです。



この状態が続けば、ミロクの世を築くことが難しくなってくるということで、男神ではなく、龍宮から女神を表にたて、現在進行形から後世の人々に残すべきものを残すために龍宮から霊的真実をこの次元に降ろすために玉依姫が五割の御霊を持ち再び下生いたしました。



出口王仁三郎から続く神業は終わったわけではなく、師の熱意と念いは今も息づいており、玉依姫の神業をもって完結するということであります。やがて、時至れば、その全貌が明らかとなって参ります。一部ではこのことを隠された裏の経綸と言われることもありますが、裏も表もなく、元より計画されたことであります。
このブログではこうしたことをすべて明かすことは許されてはおりませんので、さわりだけをご質問者様に返信させて頂きました。






         出雲 拝

2014年5月12日 (月)

この世に生きるということ

『生命は永久に存続するもので、過去、現在、未来の三世にわたって生きている。吾々生物の生命は絶対不変無始無終にして、神の分霊分身である。ゆえに永遠にわたって不老不死である。…



 無限の生命、そこに吾人が絶対不断の生命を見いだして、永久に生きる事を悟った時、吾々の眼前に展開されるものはすべてが試練であり、すべてが教訓である事が覚り得られる。


 吾々が人間として世に処するその間の出来事を見ても、幾多の曲折があるので面白い。その当時は欲求に満たない、いわば一種の苦痛として痛ましい事であったその試練されたことを、時過ぎてから想い出した時に、みなそれは追憶となって美しき過去を見る事が出来る楽しさがある。


 過去の悲惨なりし歴史も、甘かりし恋路も、得意も失敗も幻の如く現実に浮かんで来るごとに、一種の愉快さを覚ゆる。そして過去から現在未来へと永遠無窮に生命が継続されつつ天国の果てなき国へと進んで行く。これが人生永遠の生命だ。


 自分は今までの体験から考えると、吾々の過去は真に美しかった。貧乏で食うや食わずの危機に立ったことも、冤罪を被って獄舎に自由を束縛されていた事も、世間のあらゆる嘲笑讒誣の的となったことも、過去の歴史の一頁として語る時、それはみな美しい、そして楽しい。


 たとえ貧乏生活でも悲惨の境遇でも、それを永続した時は勝利となって来る。勝利は常に正義である。社会から何ほど嘲罵され、侮辱され、批難されても、それ自体が永続したら、必ず末には正道として認めらるる事になる。現代人の大本に対する総ての観念も、今や勝利者として遇するに至ったのは、吾人が永遠の生命を確信して不断の活動を続けて来た活歴史の賜であるともいえる。』





         出口王仁三郎









『確かに、今、この時の、この貴女の人生は一回限りです。ただ、肉体は死とともに滅び、なくなりますが、貴女の御霊は永遠の存在であるのです。数限りない様々な人生を、新たな肉体とともに送っているのが、本当の貴女自身である御霊なのです。



この事を忘れて、後にも前にも一回限りの人生と観てしまうから、不公平感があるのです。何度でも言っておきましょう。魂は永遠の存在です。その永遠の時の中を、永遠の存在である御霊は何百回、何千回も生まれ変わっているのです。



光は、平等です。すべては平等です。光が当たらないのは、何らかの障害があるからです。動かすことの出来ない山かもしれません。いずれは消える雲であるかもしれません。人生も同じようなものです。
自分は、こんな所ではなく、違うところに住みたかったのだけれど、何かの間違いで、あるいは手違いで、こんな所にいるのだと思ったら、それこそが大変な間違いなのです。



転生の際、様々な本人の希望、このような時代に生まれて、このような環境の中で、このような人々とめぐり会い、このような一生を送りたい、という細かな希望というものも認められます。しかし、それは、三次元に肉体をもっている貴女方には理解できないような厳しい人生であったりもするのです。厳しい人生でも、その事は御霊にとっては、大切な経験であることを承知の上での事がほとんどです。』




    幸せを呼ぶ龍宮物語









この現世に居ては、いろいろな苦しみや哀しみ、別れがあります。どの方にもあります。人生全般をとってみましたら、その五割、六割が生きることのしんどさで占められているはずです。それがこの世とはいかなる世界であるのか、ということを私達に教えているのです。そしてここで、ある人々はその疑問から宗教遍歴をしたりもします。いろいろな研究や哲学思索もしたりします。




結局は、この苦しみというものを経験しないとこの世に出て御霊修行をしたということにはならないからです。と、こう言ってしまえば、ため息しか出ないのですが、
しかし、ここがまた大切なところであるのですが、現在自分自身がおかれているその環境から何を学べ、と言われているのか、天はわたしに何を期待しているか、それをじっくり考え、その環境の中にどっしりと腰を据えてみますと、いろんなことが見えてくるのです。しかし、それには「観の転回」が必要です。




ただ、単にその環境を体験するだけだと、それは人によってはさらなる悲観的人生の出発となってしまいますが、霊的真実を知った上で、その環境に身を置いてみますと、また違ったものが見えてくるようになるのです。
同じ環境に置かれても、そこから地獄への門を潜っていく者とそこから光の世界の門を潜っていく者と二極化が起きるのです。ですから、単なる体験に終わらせず、それを経験の領域にまで持っていくことが大切なのです。その時に運命の流れが変わって参ります。良い方向に変わるかさにら悪くなるかは、「観の転回」そのものにかかっているのです。



御霊のアセンションから観た場合、霊的な視点からは、苦悩の中にある時というのは、宝の山に埋もれている状態であり、それを見抜くことが出来れば、しめたものです。以前、中道についてのことも書きましたが、中道もその両極端を知らないと中道はわかりませんね。


これからわたしたちが体験し、経験するであろう、地球規模の出来事も、同じくそこからどれだけのことを「観れる」かそれにかかっております。地獄を見る人もありましょう。気づきを得る人もおりましょう。いろいろであります。






         出雲 拝








2014年5月11日 (日)

ご質問 まとめ

『地球規模の出来事といわれるものは、地殻変動、地軸の移動、隕石の衝突など多岐にわたると思いますが、この中でどれが起きると思われますか。いつ頃それが起きるのですか、』との問い



そのすべてが起こります。最終的には日本が雛形となっておりますので、日本に起きたことが世界に拡大して起こります。すでにその型は出始めており、海外でも大きな天変地異が近々あるということは伺っております。時期を明言するのは非常に難しいですが、カウントダウンに入っていることだけははっきりと言えます。







『韓国船沈没事故は〇〇神社の仏罰であるとの噂がありますが、どう思われますか、』との問い




そうです、とだけ申し上げておきます。それから、これまで何度も申し上げてきていることですが、自然界が動き出しておりますので、山や海など、特にそこがパワースポットだといって、むやみやたらに行くことは御法度です。







『…御霊で知るということをよく言ってますが、その意味がよくわからず?…』
との問い





では、ご質問者様が学ばれている精神世界のコトバで申し上げましょう。それは
ハートで知るということであります。マインドはいろいろと判断します。これは知的判断のためのものであります。そのマインドを表現し伝えるために日本語などの言葉があります。言葉は三次元の事象を指し示すための道具です。この三次元の言葉で三次元を超えた御霊のことやあの世のこと神々の世界のことをすべて伝えきることが出来るのか、と言えば無理なお話であります。三次元を超えた世界のことは三次元のマインドで理解し、それを言葉で説明するのは出来ることではありません。せいぜい全体の三割程度くらいであります。それを補うのにいろんな喩えでお話したりしますが、それでもやはり不完全燃焼であります。


いわゆる悟りというものも、マインドで知るのではなくハートで知ったことであり、それを全て説明し尽くすのは無理です。昔から悟りは悟った人のものであると言われるのはそのためです。
では、御霊で知るということ、あるいはハートで知るということは大変難しいことなのか、と言えば全然難しいことではありません。これは何度も言います。
全然難しくないのです。なぜならそれが自然な姿であるからです。自然な姿というのは、あなたご自身が御霊であるからなのです。御霊でないものなど誰一人としておりません。ハートは三次元を超えた知性です。
あなたがわからないと仰るのは阻んでいるものがあるからです。何がそれを邪魔しているのか、それは大きく分けて大体三つくらいあると思います。
一つは何か執着がある、二つ目は、何か自分に不利益なことがあった場合に、それを人や環境のせいにしていること、すべての出来事は自らの内が原因であるということを真に知らないことです。三つ目は自分を愛していないということです。劣等感があったり、自分のマイナスのところにばかり意識が向くことです。


だいたいこの三つがあるとマインドからハートへの橋渡しが出来ないのです。
あなたが学びをされている書物にも書かれていると思いますが、そうしたものを「手放す」という表現をしていると思います。正道の神理では八正道による反省があったり、一霊四魂による禊ぎをしたりしますが、これは同じことなのです。正しい大宇宙の理法は、同根であります。わたしたちはそれを「万教は同根である」という言い方をよくします。
ですから、まずあなたが握っているそのマインドを手放してください。そうすれば御霊で知るということの意味がわかります。必ずわかります。手放すということは、非常にアホらしいほど単純な作業です。そのような単純な作業でハートが全面に出てくるのです。まずマインドでグルグルと堂々巡りしないで、それを手放してください。八正道や一霊四魂が難しければ、セドナメソッドなどでもよいのです。そしてそのハートで本物の天上界の神書である「幸せを呼ぶ龍宮物語」をもう一度読んでみてください。どれほどの光の量があるかそれがわかるようになります。









『龍宮界の男性霊の高次元の方は何人くらいそちらで活動しているのですか、それから高級霊が出る時、縁のある魂はみんな次元が高いのですか』との問い





龍宮出身の男性霊は残念ながら誰一人集まって来ておりません。今回の玉依姫の神業の後を継ぐ者は今後、出てこられるものと思います。それまでの基礎創りはわたしたちがしていくことになっております。龍宮の男神たちの共通したものを言えば、女性霊の影響を強く受けるというのがあげられると思います。それは母であったり、縁のある女性霊であったり、同じく龍宮の女性霊であったりいろいろです。もうひとつは、地上に出た時は、繊細さと剛胆さの両面を持ち合わせているのが特徴なのかもしれません。日本武尊、素戔嗚尊、出口王仁三郎が龍宮の男神の代表であります。



ご質問者様に申し上げておきたいのですが、ご自分が龍宮出身なのかどうなのかそのことばかりが気になるようなら、いったんそんなことは忘れて頂きたいと思います。わたしたちはみんな肉体を持って三次元に居るのです。ここに居るということで、どこの霊域だとか、そういうことに意識があるというのは、先程のご質問のようにハートが出ていないことの証であります。誠の龍宮の男神は、自分が龍宮であろうがなかろうが、そんなことにあまり関心を示さないのが真実です。そして自分の三次元での仕事をその御霊に深く刻み込んで出ておりますので、
来るべき時が来れば、剛毅さを全面に出して、活動を開始するものです。
時に、それが荒々しく映ったり、誤解を招くこともあります。何れにせよ非常に苦難な道を歩むことになることを覚悟して地上に出てくるということであります。

また山岳系や天狗系の方は紆余曲折があったりしますが、霊的カンがよく働き、
三次元に強いというふうに思いますし、仙人系は研究熱心です。とにかく一つのことに没頭できる素晴らしさがあります。キリスト教系や仏教系に属している方々の仕事は過去のご自分たちの宗教に区切りを付けるのを任務としてこの次元に出てきていることが多いです。

翻って、霊域や次元にかかわらず、御霊に近づきハートを開いた方々は必然と自分に出来ることをなしていこうとするようにごく自然になっていきます。地球という星を愛し、自然を愛し、そして自らを愛する者にこそ、実は玉依姫の眼差しは注がれるのです。そういう方にこそこの龍宮に集まって頂きたいのが本音であります。




それから縁についてですが、たとえばイエスにも兄弟がいましたけれども、では他の兄弟が全て次元が高いか言えばそうではありませんね。むしろ他の兄弟たちはイエスのことがよくわからなかったはずです。幸せを呼ぶ龍宮物語の著者の周りにも龍宮出身ではなくても縁のある方々はおられます。縁というのは次元というよりも過去世に由来していることが多いですね。ですが、もっと大切な縁とは、今世ではじめて出会う縁だとわたしは思います。そういう方々ははじめてであるがゆえに、戸惑いがあったりすることもございますが、わたしたちの御霊のアセンションを後押ししてくれる場合もあります。ですから、どのような人とどのような関係になったとしても、自分にとって苦しみの関係であったとしても、
学ばせて頂く縁というのは大事であります。振り返って全ての縁に感謝を持てるようになれれば御霊のアセンションは間近であります。






         出雲 拝

«地震警戒予報