« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

2013年1月

2013年1月19日 (土)

清潔主義

ご質問なされた方へお書きしますが、理論立ったことはもうあまり好みませんので、簡単に書いておきます。もっとも基礎の部分、土台の部分はご自身の心を天上界に向けるということ、そのためにはまず「意識」することから始まります。

そしてその次には清潔主義を基本とすることです。その中で一番大切なことは、心の清めですが、それを始めながら、身体も清めること、身の回りの環境も清めることも大切ですね。家の中が散らかっていないか、自室がおありの方であれば尚更すっきりさせることも大切です。

今、風水であるとか、物を思い切って捨てることを勧めているのが流行っているそうですが、それも理にかなっていることではありますね。それによって金運がどうとかという占い系のことはぬきにしましても、ご自身の身の回りの環境をきれいに、掃除が細かいところまで行き渡り、無駄なものを排除してシンプルにすっきりさせるとそれは精神にも良い影響を与えることは間違いのないことであると思います。瞑想したり、内観したり、禊ぎ払いの祝詞をあげたりする時は、部屋を清潔にしてからしますと、かなり奥深くまで入っていけるものです。これはやってみられたら誰でも一目瞭然です。

「清める」というのは何をさておいても一番最初に行うのが正しいことであります。これが大宇宙の摂理でもあるからです。大きくは新たなアクエリアスの時代のためには大浄化が必要ですし、まあそこまでのことを言わずとも、大自然は絶えず浄化作用を行っています。雪が降るのも雨がふるのも風が吹くのも日が照るのも浄化のためですね。このように大自然は火、水、風、土などによりたえず清潔に保たれているのです。ただ昨今は環境破壊や人々の争いの心のために地球環境に乱れが生じてきていることはありますので、それを元の環境に戻すために非常に大きな浄化作用はこれから起きてはきます。

いずれにしましても、大自然は必ず、汚れた状態のままではいないということです。

私達の身体も小宇宙と呼ばれるだけあって、水分、栄養を取り入れ不要なものを排泄し浄化作用を絶えず繰り返しております。ですので、その自然な浄化作用をよりよく働かすためには○○○○○ドのようなファーストフードは極力さけて、
素材を生かした食材を食べることが大切です。水にしても出来れば水道水ではなく、安価でありましても天然の水を体内に取り入れるのが望ましいです。
保存料の多いものを体内に入れるのは身体の中の環境破壊をしていることですので、(あまり神経質になる必要はございませんが、)出来るだけ自然のものを食するようにした方がいいと思います。

女性であれば、花の時代をできるだけ長く保ちたいのであれば「正食」につとめることですね。体内の環境破壊を避ければ老化は止められませんが、すごくスローペースになります。

そして何よりも大事なのが心の浄化です。一霊四魂の身魂磨きでもいいですし、
高橋信次師がお説きになられた八正道でもかまいませんが、特にこれらでないといけないということでもございません。ご自身なりに天上界へと意識を向け、
「神向心」をもって、自身の良心と対話することです。

何事も形から入りますと集中しやすくなりますので、まずは、お部屋の掃除を怠らず、不要なものは置かないように家の浄化からはじめて、そしておばちゃんと子供に言われぬよう体内の浄化もしつつ、そして心の浄化に励みましょう。

日本では古来より禊ぎ払いをしてきました。それはまず目に見えるものからの浄化をまずしてから神を畏れ敬い心の襟を正すというものでした。この順序は非常に大切ですね。

心のお掃除、それは御霊のアセンションの七割を占めるお考えくださいませ。
バカバカしいと思う人もおありでしょうけれど、当たり前のことを当たり前に出来る人が御霊がアセンションしやすいのです。決して難しい理論を理解したからアセンション出来るわけでも何でもありません。

ある修行僧が尋ねました。
「師よ悟りとは何ですか」

「‥食事はもうすんだのか」

「はい、頂きました」

「そしたら茶碗を洗いなさい‥」

当たり前のことを当たり前にしましょう。驚くなかれこれがええ加減な人があまりにも多いのではないでしょうか。
もうすぐ節分です。二月四日から正式に平成二十五年巳年がはじまります。
年頭にあたって、お部屋のお掃除、身体のお掃除を徹底的にして、そしてその中で自らの御霊と対面するために心のお掃除をはじめて参りましょう。

内と外のお掃除です。(^^)

         出雲 拝

2013年1月17日 (木)

一霊四魂2

わたしたち一人ひとりの御霊は唯一の神より分かれてきた尊い御霊であります。それを称して「尊(みこと)」と言います。そしてその御霊は一霊四魂から成り立った考えがあります。一霊とは直日の霊とも言い、御霊の内奥にある神より創られたままの純粋な部分、谷口雅春師による生命の実相の部分です。

そしてこの「直日」は三次元で生きている時に人間として生きて感得される時には、「良心」という形で現れます。そしてこの良心に照らして、反省する心を抱かせます。しかし、ここの部分がすでに覆いをかけられ、曇ってしまっている人もいます。よく犯罪を犯し続けていると最初のうちは良心の呵責がありますが、だんだんと罪悪感が薄れます。そこまでいかなくても、間違った価値観を持ってしまってもこの部分が曇ります。そして曇っていることに気づかないでいるのが通常ですね。

そのために間違ってる価値観、人間としての正しい正道、それを教えるために過去幾人もの高次元霊たちが地上に肉体を持ち、人々に御霊の存在をそして人としての正しい道を教えてきたのです。

この日本でも神道として教えられてきた正しい生き方として直日の霊に照らし、良心に照らした上でさらに三次元で神の子として「尊」として生きるために四魂といって、荒魂、和魂、奇魂、幸魂の四魂を正しく発展的に働かすことを教えられてきました。

荒魂は「勇」です。忍耐力、実行力をはたらかすということです。弱さに打ち克つ心、忍耐力、正しいものごとを断行していく力です。これがもともと強い人、弱い人があります。これが弱い人は意識して強くあるために忍耐を培う、行動力を身につける、そういう努力目標があるはずです。そこに個人としての修行もあります。そして「恥じる」という心を持つことです。良心に照らして、こういうことをするのは神の子として恥ずかしいことだ、というそういう心を持つことが大切です。この恥じるという心を持つ時、荒魂は正しくはたらきます。

和魂は「親」です。親しむですね。これは「調和」するということです。人と調和する、大自然と調和する、平和を推進させるということですね。人からの言動や行動に憤ることなく、憎むことなく人の心を和らげ、すべてを結びつけて「愛」そのものにしていこうとするはたらきです。この和魂をよりよくはたらかせるためには、「悔いる」という心を持つことによってより発揮されます。
この場合の悔いるというのは、もっとあの時、自分はこうすべきであったのではないか、そうすれば○○さんの御霊はもっと輝いたのではないか、そういう積極的な反省の心ですね。高次元の方が地上に出て、使命を全うし天上界におかえりになられても、もっとあの時、あの場面でああするべきであったのではないか、ああしておくべきであったのではないかと悔やまれると聞きます。これは決して縛りではありませんね。慈悲そのものであります。もし皮肉で悪いコトバで言えば、天使の「欲」(^◇^;)でありますね。

幸魂は「愛」です。愛とは自分と他者とは繋がった存在、もっと言えば一つである、生きとし生ける万物すべては自分と一つのものという意識が愛の根本です。
この幸魂をよりよくはたらかせるためには「畏れ」というものが必要です。
この畏れの中には秩序正しさがあります。先の和魂の「調和」と重なる部分もございますが、神を畏れ敬うこと、大自然の秩序を畏れ敬う心、この心を中心に据える時、愛はもっとも力を持ち、自ずと次ぎに説明します奇魂が発揮されるのですね。

奇魂は「智」です。この奇魂は荒魂による実行力、和魂による調和していこうとする心によって、そして幸魂による愛する力によりいっそう覚るレベルが上がっていくのがこの奇魂だと思います。この奇魂の「智」は不調和のあるところに調和を、争いのあるところに平和を、暗さのあるところに明るさをもたらす智慧をもたらすのです。そして何が間違っており、何が正しいのか、正しさの基準というものもその時々で千変万化することもあり、また異説邪説を簡単に見破る力を発揮することが出来ます。

人それぞれ、どれかが優れていて、どれかが芳しくない場合もありますね、
たとえば、調和的な御霊の方は荒魂の実行力、断行力が弱かったり、実行力はあっても、奇魂が足りなかったために争いの種になったり、ということもあります。この四つをバランス良く、しっかり育てて、劣っているところは大いに修行科目としていくことが大切です。そしてこの四魂がしっかり生長し円満にはたらくような段階になった御霊を「伊都能売魂(いずのめのみたま)」と言います。
難しいコトバを使ってますが、簡単に言えば、寛容さと包容力を持ち自分から離れて公のためにいろんなことを考え行動できる御霊ということです。
仏教で言えばいわゆる菩薩の状態になった御霊ということですね。
この四魂はそれぞれ循環して大きくなり御霊の生長へとつながっているということです。

これが一霊四魂による修行であり、それを仏教の八正道に当てはめれば、どこに正見、正語、正思…という八項目が当てはまるかおわかりだと思います。
この一霊四魂は「大和心」を取り戻すための身魂磨きのためにあるものです。

こうした修行をしながら、畏れをもって神に向かい、柏手を打ち、禊ぎ払いをしている時に霊的な体験あるいは、神格の内流によるインスピレーションが天下ったり、時に高級霊の神姿を見たりする人もいます。

               出雲 拝

2013年1月13日 (日)

一霊四魂

「他の宗教、たとえば仏教なら魂の修行方法がありますが、日本の神道などにはそういう修行はなく、どちらかといえば他力的光明思想とお祓いがメインなんでしょうか‥」との問いについて

あまり理論的なことを書いてもあまりそこに意味を見いだせないように思いますし、もうそういう理論は書かないようにしておりますが、神道といわず日本霊域の神々のお考えは世界宗教の神々のお考えと何ら変わっておりませんし、世界宗教が出来る時には日本霊域の神々も協力してきておりますし、とりわけ龍宮界はサイドからバックアップしていたということです。以上を前置きに理論的になるのは避けられませんが、お伝えいいたします。

まず、自力、他力は地上で言われているだけのことであって、本来自力も他力もございません。
この日本霊域の正道としての修行スタイルは別名「一霊四魂」と申しまして、この理論をまとめたのが幕末から明治の国学者・本田親徳(ほんだ ちかあつ)でした。そしてそのお弟子さんには長沢雄楯(ながさわ かつたて)という御方がおられましたが、その長沢雄楯に教えを受けたのが出口王仁三郎師でありました。
この一霊四魂の考えというのは本田親徳以前からあったものと推定されますが、出口王仁三郎師によって確立されたといっても良いかと思います。

一霊というのは別名「直日(なおひ)の霊(みたま)とも言われますが、これはようするに神と直結している部分のことを言い、一番三次元に近い部分で出る時には「良心」という形で出てくる部分です。間違いがあれば悔い改めさせる働きをなす中心部分ということになります。この部分に覆いがかけられているのが現代の多くの人たちの姿であり、その覆いを取り去る目的で、仏教でも八正道やその他の宗教で反省行がなされてきたわけです。

そして四魂とは、荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)、幸魂(さちみたま)、
奇魂(くしみたま)の四つがあります。本田親徳は荒魂は「勇」、和魂は「親」、幸魂は「愛」、奇魂は「智」の働きをすると分類しております。

長くなりますので、この部分はもっと詳しく次回に委ねます。    …つづく

‥地震ですが、関東地方は注意してくださいませ。地震への備えは常にしておかれるのが賢明です。地震の懸念について申し上げると不安を煽るという人達おられますが、車に乗る時に事故に気を付けてというと不安を煽るからダメだとは言わないはずです。交通事故はいつ起きるか、あるいは起こすかわかりません。いつ自分が人身事故をするかもわかりません。地震への備えというものも同じだと思ってください。ただ極度な不安を持つ人がいますのでブログでは書かないように致します。
今はご理解を示し、危険日情報がほしいという方にのみメールにて差し上げております。

         出雲 拝

2013年1月 3日 (木)

謹賀新年

あけましておめでとうございます。いよいよ2013年になりました。みなさまにとって良い変化のある年でありますように。

さて、NHK、Eテレで「日本人は何を考えてきたのか」のシリーズ第九回で「ひろがる民衆宗教、出口なお、出口王仁三郎と大本事件」が一月六日、午後十時から十一時半に放映される予定です。

日本人の近代思想の歩みを描きながら行き詰まった現代日本の未来を探ろうという主旨の番組構成です。

是非ご覧になってくださいませ。

本年も宜しくお願い申し上げます。

             出雲  拝

« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »