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2013年1月17日 (木)

一霊四魂2

わたしたち一人ひとりの御霊は唯一の神より分かれてきた尊い御霊であります。それを称して「尊(みこと)」と言います。そしてその御霊は一霊四魂から成り立った考えがあります。一霊とは直日の霊とも言い、御霊の内奥にある神より創られたままの純粋な部分、谷口雅春師による生命の実相の部分です。

そしてこの「直日」は三次元で生きている時に人間として生きて感得される時には、「良心」という形で現れます。そしてこの良心に照らして、反省する心を抱かせます。しかし、ここの部分がすでに覆いをかけられ、曇ってしまっている人もいます。よく犯罪を犯し続けていると最初のうちは良心の呵責がありますが、だんだんと罪悪感が薄れます。そこまでいかなくても、間違った価値観を持ってしまってもこの部分が曇ります。そして曇っていることに気づかないでいるのが通常ですね。

そのために間違ってる価値観、人間としての正しい正道、それを教えるために過去幾人もの高次元霊たちが地上に肉体を持ち、人々に御霊の存在をそして人としての正しい道を教えてきたのです。

この日本でも神道として教えられてきた正しい生き方として直日の霊に照らし、良心に照らした上でさらに三次元で神の子として「尊」として生きるために四魂といって、荒魂、和魂、奇魂、幸魂の四魂を正しく発展的に働かすことを教えられてきました。

荒魂は「勇」です。忍耐力、実行力をはたらかすということです。弱さに打ち克つ心、忍耐力、正しいものごとを断行していく力です。これがもともと強い人、弱い人があります。これが弱い人は意識して強くあるために忍耐を培う、行動力を身につける、そういう努力目標があるはずです。そこに個人としての修行もあります。そして「恥じる」という心を持つことです。良心に照らして、こういうことをするのは神の子として恥ずかしいことだ、というそういう心を持つことが大切です。この恥じるという心を持つ時、荒魂は正しくはたらきます。

和魂は「親」です。親しむですね。これは「調和」するということです。人と調和する、大自然と調和する、平和を推進させるということですね。人からの言動や行動に憤ることなく、憎むことなく人の心を和らげ、すべてを結びつけて「愛」そのものにしていこうとするはたらきです。この和魂をよりよくはたらかせるためには、「悔いる」という心を持つことによってより発揮されます。
この場合の悔いるというのは、もっとあの時、自分はこうすべきであったのではないか、そうすれば○○さんの御霊はもっと輝いたのではないか、そういう積極的な反省の心ですね。高次元の方が地上に出て、使命を全うし天上界におかえりになられても、もっとあの時、あの場面でああするべきであったのではないか、ああしておくべきであったのではないかと悔やまれると聞きます。これは決して縛りではありませんね。慈悲そのものであります。もし皮肉で悪いコトバで言えば、天使の「欲」(^◇^;)でありますね。

幸魂は「愛」です。愛とは自分と他者とは繋がった存在、もっと言えば一つである、生きとし生ける万物すべては自分と一つのものという意識が愛の根本です。
この幸魂をよりよくはたらかせるためには「畏れ」というものが必要です。
この畏れの中には秩序正しさがあります。先の和魂の「調和」と重なる部分もございますが、神を畏れ敬うこと、大自然の秩序を畏れ敬う心、この心を中心に据える時、愛はもっとも力を持ち、自ずと次ぎに説明します奇魂が発揮されるのですね。

奇魂は「智」です。この奇魂は荒魂による実行力、和魂による調和していこうとする心によって、そして幸魂による愛する力によりいっそう覚るレベルが上がっていくのがこの奇魂だと思います。この奇魂の「智」は不調和のあるところに調和を、争いのあるところに平和を、暗さのあるところに明るさをもたらす智慧をもたらすのです。そして何が間違っており、何が正しいのか、正しさの基準というものもその時々で千変万化することもあり、また異説邪説を簡単に見破る力を発揮することが出来ます。

人それぞれ、どれかが優れていて、どれかが芳しくない場合もありますね、
たとえば、調和的な御霊の方は荒魂の実行力、断行力が弱かったり、実行力はあっても、奇魂が足りなかったために争いの種になったり、ということもあります。この四つをバランス良く、しっかり育てて、劣っているところは大いに修行科目としていくことが大切です。そしてこの四魂がしっかり生長し円満にはたらくような段階になった御霊を「伊都能売魂(いずのめのみたま)」と言います。
難しいコトバを使ってますが、簡単に言えば、寛容さと包容力を持ち自分から離れて公のためにいろんなことを考え行動できる御霊ということです。
仏教で言えばいわゆる菩薩の状態になった御霊ということですね。
この四魂はそれぞれ循環して大きくなり御霊の生長へとつながっているということです。

これが一霊四魂による修行であり、それを仏教の八正道に当てはめれば、どこに正見、正語、正思…という八項目が当てはまるかおわかりだと思います。
この一霊四魂は「大和心」を取り戻すための身魂磨きのためにあるものです。

こうした修行をしながら、畏れをもって神に向かい、柏手を打ち、禊ぎ払いをしている時に霊的な体験あるいは、神格の内流によるインスピレーションが天下ったり、時に高級霊の神姿を見たりする人もいます。

               出雲 拝

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