« 幸せを呼ぶ龍宮物語  第一章より | トップページ | ご質問 王仁三郎の雛形経綸 »

2013年4月29日 (月)

ご質問 霊格を上げるには

『高次元の御霊をもっている人は…またそういう世界に帰るために必要なこととは』
との問い等

ご質問が多いので分けてお話いたしますが、
何度も言ってきましたが、次元というものをこの世の物差しで測ってもなんの意味もそこには見いだせません。「頭の中」だけで考えても、理解にまでは至りません。それだけは再度申し上げておきたいと思います。次元のお話は幸せを呼ぶ龍宮物語にも出ておりますのでその際にお話出来たらと思います。

このご質問にはすでに何か枠組みとでもいうようなそうしたもので判断したいというお考えがチラホラ見え隠れしているようにわたしには思うのです。次元が高いから素晴らしいとか低いからその人はダメであるとか、そういう類でお考えである以上は御霊についてはどんなにお話しても理解できないのではないでしょうか。古くからある御霊とそれよりも新しく誕生した御霊があるだけと言えば、あなたは納得されないでしょうか?(^_^;)

喩えに引っかかってもらってはまた困るのですが、二歳、三歳や小学生くらいのお子さまを見て、こんなやつらはダメだ何もわかってないといって虐げたりするでしょうか、ご自分のお子さまにもそういう接し方をされますか。なかには自分の子供を言うことを聞かないからといってカッとして殺してしまう親もいますが、そういうのは除いて、時にわがままを言ったり、イタズラをしたりして叱ることはありましても、おそらくよろこびの心で子供の生長を見届けようとするのではないでしょうか。


御霊というのは今はたとえ幼くても、やがてはどのような方でありましても、たとえ地獄で頑張ってる方でありましても、そのへんのゴロツキであっても、飲んだくれのおっちゃん、おばちゃんであっても一つの惑星を預かるだけの大きな御霊になっていくことが約束されているのです。ただ生長には個人差があるというだけのことであります。どのような方でありましてもその御霊に神の属性をすでに持っているというのが「神の子」と言われる所以であります。今現在どのような段階にいる人でも、生まれる前には玉依姫が仰っているように程度の差はあれ、みなさん全員が「美しき心情」をもってこの世に出てきているのです。それがこの世に出てくるための条件でもあるからです。

この三次元で生きているというのはどの方も人として生きており、いろんな経験を通して修行しているわけですから、次元がどうのこうのというのは通用する世界ではありません。ご質問者様が仰る高次元世界から目的を持ってこの世に来た人はいったいどのような生活をしているのか、さぞ崇高なイメージをお持ちなのかもしれませんが、イメージを壊して大変申し訳なく思いますが、おそらく街ですれ違っても全然わからないはずです。普通です。人間としての感情、おこりもしますし愚痴も言う、人間としての生活をごくごく普通に送ってます。またご質問者様からご覧になれば非常に子供っぽくみえるかもしれませんね。

高橋信次師、出口王仁三郎師、天乃河ます美、はるみ姉妹、こういう方々を見まして共通している点というのは子供っぽさがあるという点なのかもしれません。

高橋信次師や出口王仁三郎師、このお二方の人間性を良く知っている方からすれば、みなさんおそらく大きな子供がニタ(~0~)としてごろんと横たわっているイメージと言えば、そうそう(^○^)、と思う人たちも多いはずです。何というか少年ぽさというのがありますね。天乃河ご姉妹にしても、普段は猫語でしゃべってるような感じで?やはり…(^_^;)女子高生のような感じですかね(^○^) どうでしょうか…安心しましたでしょうか、それともがっかりしたでしょうか。

ただ、子供っぽいにしても、どのような現世の人よりも心の機微というもの、人の悲しみや苦しみ、人から理解されない人たちの心情というものも奥まで理解していながら、表面的には子供っぽさを持ち合わせているということです。
「子供っぽい」とはどういうことなのか、これをこの三次元の言葉を使えば純粋無垢で天真爛漫ということですね。これをいくつになっても持ち続けているということです。高橋先生にしても出口先生にしても天乃河姉妹にしても、明るくて楽しいですね。しかしいざ霊天上界と同通いたしますと、ガラリと変わり、何とも言えない威厳と気品、そのようなものが備わりますので、子供っぽさからそれこそ何千歳とも思えるような雰囲気にも変わります。

つぎに三番目のご質問ですが、霊格を高めるにはということでございますが、これも上、下のお考えでおりますとまったく意味がないわけなのです。ご自身を知り、他者を知り、神を知りたい、という念いがあってはじめて歩める道です。

一つの団体に属し、そこの書が最高のものだと思い、それを広めることが覚りへの道だと未だに思っている人もいますし、自分たちこそが選ばれた少数の人間だ、神々は自分たちだけに特別の任務を与え期待しているのだ、だから自分たちは選ばれた人なのだと思って頑張っている人がもしいるのなら、その時点ですでに悟りから離れて狭い狭い空間に入り込んでいると気づかなくてはほんとうはいけないのですね。どこそこに書いてあることを一字一句間違わずに伝えなければ、と思っている人もいるようですが、そういうところにすでに争いの種が入り込んでいるということをどうか知って頂きたいと思います。

この世の上下の価値が好きな人は人よりも抜きんでることを願って頑張ります。特に霊格を上げたいという意識は自分の方が他人と比べて優れた人間だと思わせたい意識ですから何年、何十年と関心を寄せることが出来るわけです。
そして自分が信じた団体に入り、これこそが本物だと思い、ある特定の限られた方法論、あるいは伝統的な戒律にもとづいてその団体なり創始者に少しでも近づこうとして努力を始めます。こういう人たちの特徴は大変難しいことに取り組んでおりますし、細かいことが気になっていきます。そしていつしか人に対してはジャッジする傾向へと変わっていき、自分自身に対してもジャッジしてしまい、抜け出せなくなります。

まず自分を収めるところからはじめませんと、全く無意味ですし、三次元に出てきた意味すらございません。霊格を上げるための修行方法云々といいますが、方法論は過去にも出てます。高橋信次師の八正道でも一霊四魂によるものでも、ヨガであってもいいのです。まずご自分の心の泥を落としてみることです。修法というのは続けてこそ、その真価が現れてくるものなのですが、

ところがちょっと皮肉な言い方をしますと、ほとんどの人は実践などしてませんね。したとしても、ちょっとだけの期間ではありませんか、そのうちにこれは自分には向いていないようだとか、自分は谷口雅春師の光一元でいくのだとかいろいろ理屈をつけるだけではないでしょうか。あれとこれを対比させてみて気づいたこととか、そういう二次元の紙面上あるいはPCの画面上で独自の理論を立ててみたり、そういう遊びに入り込んでいる人の方が圧倒的に多いように思います。結局枠組みを創らないと安心出来ないのではないでしょうか。そういう方々はほんとうに幸せになっているでしょうか? 

まずは自身についているこの世の価値観によって出来た泥を落とすことからはじめるのが「正道」であるということは私も同意です。八正道や一霊四魂によって自身の軌道修正をし続けてみてわかることは何か、それはやってもやっても
ダメな自分がそこにあるということです。なかなか抜け出せないんですね。

自分が創り上げている崇高な自分のイメージになるために、まず何をして何をしてはいけないのか、そういう枠組をつくるのでしょうけれども、しかしいくらやってもやっても自分には実行出来ないといういう結論に達するでしょう。時に人に対して愛を表現することが出来ることがあるかもしれません。しかし、怒ったり、人を恨んだりすることもあったり自己憐憫になったかと思うと、非常に大胆で強い行動をとる自分に感心する時もあるかもしれませんが、しかしやってもやっても常に振れ続けている心をどうしようもなく感じてしまいますね。

 

そしてこういう人たちのために谷口雅春師が一段脱皮をさせるために光明思想を出されたのですけれども、これも今となっては自己実現のための道具として使うか、一時しのぎの鎮痛剤的な使い方をする人が多いです。

やってもやっても自分が一日中調和の取れた状態でいることは難しく、外からのちょっとしたことで乱れてしまいがちになる自分というものを知った時に、ほんとうはそこで学ぶことがあるのです。それは「謙虚さ」ということです。
自分がそうであれば、人に対してキツイことは言えない、人をジャッジすることなど到底出来ない、そう思って本当の人への温かさが出てこないといけないのですね。寛容さというものを身につけないといけないのです。これが最初の段階ではないでしょうか。

たとえ霊的知識があり、これらはカルマによっての出来事であろうと結論付けたとしても、それで何か解決するでしょうか、何も解決などしないはずです。
そして、頭で神の理を知ることなど出来ない、頭で御霊を知ることも出来ないとすべての無駄な努力を放棄する段階が必要なのですね。ここまでが一つのスタートラインなわけです。

そういう時に異次元世界への扉が開く準備が出来たと言えるのです。異次元への扉に入る時は、何かを得ようとして、あるいはわずかばかりなものを得たとしてそれを捨てまいと常にグーの手をしていては、新たなものは何ひとつ受け取ることはできないのです。手は常に開いた状態でいないと、新しいものは受け取れません。喩えで言いましたけれど、これが執着を捨てるということですね。そしてこういう心境になって参りますと、すべてをありのままに受け入れようという思いになります。自分の運命も自分の欠点も愛するようになりますと自分と違う考えの他者も受け入れようという心境に自然となって参ります。この「受け入れる」ということが自然と出来ますと「美しき心情」を取り戻しているご自分に気づくはずです。そしてここから先が御霊のアセンションのための第二段階になるわけですね。

わたくしの悪い癖で何やら長々と書いてしまいましたが、以上を参考にしてみてください。玉依姫は今回三次元を卒業していく御霊への手助けも考えておられます。玉依姫のお考えというのはいろいろと伺っておりますと、従来の宗教のような教えの反対からみなさんにお教えしたい、というお考えをお持ちのようにわたしには思えます。こうしたこともこのブログの中でおそらく玉依姫から直接にお聞きできると思いますのでお待ち願えたらと思います。

           出雲 拝

« 幸せを呼ぶ龍宮物語  第一章より | トップページ | ご質問 王仁三郎の雛形経綸 »

コメント記事」カテゴリの記事

コメント

私は高橋信次先生に、お会いしてはいませんが、信次先生の言葉は本物だと感じています。
が、少しでも高橋信次先生、佳子先生のお話だすと、皆がみな偽者だよ、気をつけなさい、大丈夫?病んでる?と言ってきます。先生たちの写真をホームページでみて、悪魔、と言ってきた人もいます。

なのでこのブログで信次先生がでてきていてビックリしました。


私はいろいろありましたが、お二人の先生がいなかったら殺人などもしていたかもしれないところ、先生たちが教えてくださっていることでほんとに幾度となく救われて生きてきました。

このブログの内容は他にはない感覚です。アンチ信次が多いなか、どうしてそのような根拠?になっているか教えていただけたら幸いです。


コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1282412/51427005

この記事へのトラックバック一覧です: ご質問 霊格を上げるには:

« 幸せを呼ぶ龍宮物語  第一章より | トップページ | ご質問 王仁三郎の雛形経綸 »