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2013年6月

2013年6月23日 (日)

「幸せを呼ぶ龍宮物語」第二章に関連して

『…1年位地震や火山噴火が続き、ある満月が終わり段々月がかけていく1週間か2週間かけてだったと思います。その間、沢山の方々が船で四方八方に逃げ出す事が出来ました。

Atlantisは大陸というより、大きな島のような感じと思われた方がイメージ的に合う気がします。ですから、港が至るところに存在しておりました。船が沢山ありましたので、かなりの数の方々が助かり、今のアフリカ大陸の前の形の大陸や北極や南にもバラバラに渡っていったそうです。

ですから、ノアの方舟のようなお話しも、このあたりの実話が残ったものだと思います。Atlantisの小大陸の形は星のような形だったそうですが、どちらかというと六角形に近いかと思います。そして、そこに残る事を決断した方々が沢山いらっしゃいまして、その方々がアセンションしたと聞いております。』

          天乃河ます美

このあたりのことは、詳しく第二冊目の原稿にも書かれています。いずれ、詳しくお読み頂ける日がくると思います。(出雲 )

2013年6月22日 (土)

「幸せを呼ぶ龍宮物語」第二章に関連して

『いずれにしましても、起こるべき事は起こると思いますので、今、備えをして頂ければと思います。政府も発表いたしましたが、1週間は自力で生きられる物質は備えるべきです。これは3次元で生き延びるという事が大切というよりも、この時代に生きていた、という体験が出来るという方が重いかもしれないという事であります。一人一人が今から準備しましたらパニックも起こりません。

Atlantisの時と同じ事が起こります。以前から言っておりましたが、起こります。この目で観ておく事が、又、その当時の方々が3次元ではアセンションは起こらないという定説を曲げたのです。それが今アセンションを議論する研究者や、その方々の書籍を読んだ方々に伝わっているのでございます。地球もしくは、地球全ての人類のアセンションはありえません、が、Atlantisの方々は7割方違う次元に、つまりご自分の普段存在次元より上の、当時の方々は6次元に一緒にいかれたようですから、アセンションですね。何十万人一緒にいかれたわけですから。これらの物語が今のアセンションブームのルーツでありますね。話しはそれましたが、これが日本に起こる可能性はございます。ですから、世界的な大変動となりましょうが、この日本の精神文化が、かつてのAtlantisに非常に良く似ておりますので、ある意味日本は日本人はアセンションを経験出来るのかもしれませんね。』

             天乃河 ます美

これは玉依姫の五割の本体意識を持った「天乃河ます美」があちらの世界の玉依姫との対話の時にお聞きになられたものであります。

大変な事態になっていくということお聞きになられて、みなさんはどうお思いでしょうか。また世の中を暗くすると思いますでしょうか。

不安でいっぱいになるでしょうか。批判されるでしょうか。いずれもみな、アトランティスの時にもございました。当時も今下生の玉依姫の本体意識は出ておりましたし、地球の大変動期にのみ、玉依姫の本体意識は下生します。

だいたい、龍宮の役割というもの、あるいはその輪郭というのが見えてきた方々もいると思います。

2013年6月21日 (金)

志に年齢は問題ではありません。

『…この歳になって今更ということがあるのですが、いや、しかしやりたいことはやったほうが良いようにも思えますし、いろいろと迷いますが…』
との問い
スポーツでもそうですが、基本フォームというのがありますね。野球のバッティングでもサッカーでも、ボクシングでも。基本をきっちりして、その後、個人に合うように応用させていくのですね。同じく、御霊の向上のためにも基本フォームがあります。それは「今がその時」という自覚です。どこかの人気予備校講師のキャッチコピーみたいですが、禅の教えの中心も「今を生きる」という、御霊の次元を一段上げるための基本フォームを教えてきたのです。

あなた様が今たとえば60代なら、70代になった時にあの時やっておけばよかったと後悔なさるでしょう。70代の人なら80代になった時にあの時、やっておけばよかったと思うでしょう。80代の人なら90代になった時にあの時にやっていれば、悔いは残らなかったかもしれないと思うかもしれません。高齢になって志しを立てて頑張っている途中で寿命が来て、なんと後悔があるでしょうか。

江戸後期に伊能忠敬という人がいました。お若い頃は大変貧しくて散々苦労しますが、伊能家に養子に入って、家を建て直し、やがて隠居となった五十を超えてから学問をし自分の子供くらいの先生について学び、やがて日本全国を自分の足で歩き回り、日本地図を完成させたのです。当時の五十というのは今で換算すると七十代と考えても良いかもしれませんね。

一番いけないことは何でも先延ばしにしてしまうクセです。御霊のアセンションのためには、あるいは高次元に行くためには多くの人を救わねばならないと思って、せっせと伝道とやらをやっている人もいるかもしれませんが、こういう人たちは何か結果を残さないと高い次元には行けないと思っているのです。

それは全くの誤りであるということを断言しておきたいと思います。御霊のアセンションにとって最も大切なことはご自身のおかれている環境の中で生きるその『過程』が一番大切なのです。いろんな問題が人生にはあります。その「過程」のなかでどう生きたか、何を掴んだか、何を観たか、それこそが大切なのです。

たまたま歴史に名が残っている人もおりますが、実際にあちらの世界に行ってみれば、そんな歴史に名が残っていない人たちが結構高いところに居ることに驚かれると思います。むしろそういう人たちの方が多数を占めていると思います。その逆もありますよ。名が残っている人でもしっかり地獄でもがいている人もおります。(¨;)

どうしても私達は問題が出てくるとそこからの出口ばかりを懸命に探してもがいてしまいますが、そこを発想を変えて、入り口としてしまうのです。腰を据えて、なるように成るわい、というある意味そういう気持ちも大切かもしれません。
そして、その中ですべてを「しみじみ味わう」ようにしているといろんな教訓がつかめて、いろんな智慧を蓄えていけるものです。これがなかなか出来ないのですが、常に意識していれば、それが自然になってくるのです。
食事でもよく噛んでたべると消化吸収がいいですね。御霊も同じく、なんでもしみじみと経験して細かく「観て」いきますとすべてを「昇華」できるのです。

ですので結果など問題ではないのです。成功することもあれば失敗に終わることだってあります。そんなことはどうでも良いことで、その「過程」をどう生きたか、それが御霊のアセンションを決めるのです。一万人の人に神理の本をばらまいた営業マンのような人よりも、たった一人の人でも、その人の哀しみ、苦しみを共有するかのように深く愛を注いであげる人に軍配があがるのです。
                出雲 拝

2013年6月19日 (水)

ご質問者さまへ

釈迦やイエスが当時お話していた人たちというのは文字も読めない、知識の乏しい人たちでした。そういう人たちに正しいそれこそ、天上界の視点を教えておられたのでした。

もし、釈迦やイエスが現代に出ていたら、何を言うか、それは明らかに、あの世があるよ、死んでも終わりではないよ。争いはダメです、みんな仲良くね。そういうことを中心に教えるでしょうね。それほど、唯物主義がまかり通っているからです。決して難しい理論などは言わないですね。

ですので、スピリチュアルにお詳しい方や理論的、形而上学的なことがお好きな方や物事を複雑にするのがお好きな方からは程度が低いという烙印が押されることはほぼ間違いがないと思います。

三千年前も今も人々の精神性は何ら変わっていませんから、何度も何度も同じことをおっしゃるのですね。

高次元世界から来られた方というのは、何が地上世界にっとて一番必要なことなのか、それがよく観えます。そしてそれこそ、子供からお年寄りまでわかるやさしい言葉で語られるでしょうから、余計にバカ扱いされるかもしれません。

「幸せを呼ぶ龍宮物語」にしましても、書かれていることはごく基本的なことばかりです。しかしこれがわからない人たちが多数なのです。天乃河ます美様しても、ほんとうはもっと高度なところまでお話したいのが本音でありますが、まだまだそこまでいかないということです。

わたくしたちは他のところと争うつもりはさらさらございませんし、そういうことは読者諸氏がお決めになることです。ただ真実を真実のままお伝えし、求めている方々の御霊のアセンションのお手伝いとこれからの時代の展望、そしてこれまで秘されてきた龍宮世界の秘密を地上界ではじめて明らかにしようとしているのです。龍宮界という世界は争いからははるかにはるかに離れた世界です。

今ある国では反政府デモが盛んです。それ以外にも至る所でデモやナントカ反対運動をしておりますが、それはあたかも正義のように見えはしてます。しかし争いによって悪と称するものを倒したとしても、争いは必ず次ぎなる争いを始めるものであります。それが繰り返されてきたのが過去の歴史であります。

あなた方は「善悪二元」の悪なるものを滅ぼせば善が実現されるとお思いでしょうが、そういうお考え自体が争いを激化される元であります。
龍宮界はあえて言えば善悪二元の考えではなく、善一元の世界です。


○○は悪だ、偽物だからそれを正すために争いやむなしとするところではなく、
どうしたら、真実を伝えられるだろうか、どうすれば平和で調和のある世の中が出来るのか、そういう方向にのみ意識を固定している世界でございます。
ですので、そういうちっちゃい、ちっちゃいことをどうのこうのと口を挟む世界にございません。

龍宮世界は一見同じく善を目指しているように見えても、この近くて程遠いということをあなた方はご理解出来るでしょうか?

             出雲 拝

続き

三次元で生きていくなかには、必ずといってよいほど、悲しみ、挫折、悩み苦しみを抱える時期というのがあります。どの方にもあります。たとえば、最愛の人の死というのがあります。この衝撃は大きいです。言葉で言い尽くせないほど、大きな衝撃であることがあります。その心情は、その当人でないとわからないものです。
また、挫折のさなかにある人、苦悩のまっただ中にある人も同じでしょう。

でも、これではいけない、こうしなければいけない、とそれぞれその渦中にある人たちはわかっているのです、理屈は。
しかし、理屈で通らないのがこの三次元です。出口王仁三郎師もお子さまを亡くされたことがございました。その時は、人目もはばからずに大泣きしたと言います。たとえ高次元から来たと言っても、人間として生きている証でもございます。そういう理屈では通らない三次元、肉体を持っている人間世界であるからこそ、そこに文学や芸術も生まれるのだと思います。

三次元世界は地獄に一番近い世界ですが、ゼロからやり直せる世界でもあり、肉体を持っていろんな経験を積む世界です。
そういう意味では高級霊であっても、四次元五次元の魂の方であっても同じです。いろんな悩みの中におかれて苦悩するのも同じ。
ただ、その逆境の中で何をつかみ、何を発見し、どんな教訓を智慧を得てきたか、その違いがあります。霊的な進化を遂げるためには、こういう時の心構えが大切です。

私達は同じ境遇におかれ、同じ問題に出くわしても、その問題をどう捉えるかは皆それぞれちがいます。
ある人は、そのなかで、快刀乱麻の如く問題を解決する人もいれば、
ある人は、その失敗や哀しみや苦しみから教訓を掴み、「経験知」としていく人もいます。ある人は、一年も二年も十年もそのことにこだわって、悩み続け、執着の固まりとなる人もいます。ほんとうに十人十色です。

子どもがいない夫婦にとっては、子どもがいないことを不幸に思う人もいますし、お金がない人であればお金がないことを最大の不幸と思うでしょう。
けれど、子どもがいる家庭では、その子どもが問題を起こし、家族の大きな苦悩の種になることもあります。お金が沢山ある人には、そのお金があるがために身内での醜い争いが繰り広げられたりすることだってあります。
こうしてみると、幸、不幸というのは、この世的な境遇だけでは判断できないことがわかります。

ですから、天上界の視点というのが大切になりますが、これがわかりづらかったら、もの事を「多面的に捉えてみる」ということを心がけてみることです。
出来事には両面があり、その両面を多面的に観てみると実にいろいろなことに気づくものであります。これも大切なことです。ですから、ご自分の問題を最大の不幸と考えるのをちょっとやめて、自分と同じことで悩んでいる人はどんなふうにしているか、あるいはもっと全体を観てみると自分よりももっと深い傷を負っている人がいるということも発見できるかもしれません。

悩んでいる時、苦しんでいる時に相談できる信頼する人が側にいる人は幸いです。もし誰にもうち明ける人がいないという方はこの龍宮界の門を叩いてみてくださいませ。

            出雲 拝

2013年6月18日 (火)

この世の苦しみ、悲しみの意味とは

『‥どうしてこの世に苦しみや悲しみがあるのでしょうか。それを経験するためだ、という人がいますが、私の周りにそういう人がいる場合、私は何をすればよいのでしょうか………』との問い

「一寸千貫」という言葉があります。これは、昔の大工さんの専門用語だそうです。この一寸角というのは、ちょうど割り箸ほどの大きさです。そのような小さな一寸角であっても、それが、真っ直ぐに立つとき、千貫の重みに耐えるといいます。私達の御霊というのは、これ以上にほんとうは、もっともっと強いものです。

そしてもう一つの真実がございます。自分のおかれた境遇がいかに厳しいように見えても、自分が乗り越えられないような問題は、「絶対に与えられないようになっている」のです。それをまず知って頂きたいと思います。ちょっとした向上心を持てば、ほんとうは乗り越えられる問題ばかりなのです。

何故に、悲しみや苦しみがあるのか、そう考えたときに、自分自身の心を一度浄化するために、神が用意されたものだと感じます。
ちょうど、この地上を浄化するために雨を降らしたり、雪を降らしたり、時に強風になったり、嵐になったりするように。

苦悩の中にある人間は、懸命にもがいています。悲しみの中で、苦しみの中で、挫折の中で、その時のご本人の姿というのは、ほんとうに無抵抗で体裁など全く考えていません。裸です。肩書きや地位や財産があろうがなかろうが関係なく、自分自身の本当の心と直面するように出来ています。

だからこそ、神に一番近いところにいると言えるのだと思います。
一旦、虚飾や見栄を取り去り、素のままの自分に立ち返るためにすべては用意されているのです。私はそう思います。これが地獄のてっぺんであるこの三次元から御霊を向上させていくための登竜門でもあるかもしれません。

翻って、悩みの中、苦しみの中、逆境の中にいる人に対して、
「もっと、しっかりしなさい! そんなことでどうするの!」と叱咤激励しているつもりで、お仕着せの少しばかり学んだ知識をいくら話しても、決して人の心に届くものではないと思います。

一番大切なこと、それは、ほんとうにその人のことを思うのであれば、ありのまま受け入れてあげて、その人自身のことを「わかろう」とする心の姿勢が最も大切なことだと私は思います。
神理、真理という前に、人間としてのこの姿勢が強く求められると思うのです。

なかには、とうてい理解しがたい人もいるかもしれません。
この三次元は色んな考え方、魂の傾向性を持った方々がいらっしゃいますから。
けれども、自分とは違う、そういう人を理解しようとすることも、また、
自らの御霊の器を拡げることへとつながっていくのではないでしょうか。

そして、人を「わかろう」とする中に、人とのつながりが生まれます。
このつながりを通して、精神世界で言う愛のエネルギーと言うのでしょうか、それが流れだして行くのではないでしょうか。わたしはそう思います。

深い悩みや苦しみが出てくるときというのは、大抵自分自身の今世の課題やカルマの部分が出ていることが多くあります。
それは、その人自身の問題だと言えば、それまでです。
ですが、立場を変えて、もし自分が苦しみの中に一人いる時、自分の苦しみを「わかろう」としてくれる人が、一人でもいてくれたらどうですか… 心強く感じませんか。

私達が最も、忘れて久しいことは、人の苦しみを傍観することではなく、また、叱咤激励し、お仕着せの神の言葉を教えることでもなく、その人を理解しようと努め、つながりを創ることです。


こういう人が、あちらこちらに出てきてくれれば、自殺するような人も激減しますし、地獄へ行く人も少なくなると私は思います。

決して難しい法理論ではなく、ごくごく簡単なこと、少しの時間と心を他者のために向けてあげること、完全にその人を理解することなんて、できないかもしれない。けれど「わかろう」とする努力の中に、この三次元を変えていく原動力が生まれます。

…大切なことなのでつづけます。

          出雲 拝

2013年6月11日 (火)

ご質問  

『…白龍は、龍神の中でどの位置におられるのですか‥』などの問いについて
この地球には、まだ御霊の幼い人たちが数多くおりますが、そういう人たちをご指導するために九次元霊や八次元霊、七次元霊たちを中心に他の惑星から地球に来て地球系の霊団を創って指導にあたっているわけですね。
そして、この地球上の環境を整えるために龍神たちが活動していますが、龍神たちの中にはまだ進化途上のものも数多くおります。そういうまだ若い龍神たちを指導するために他の惑星からこられたのが白龍様でございます。
龍宮界の八次元領域にございます、「白龍ヶ御池」に普段はおいででありますが、その「白龍ヶ御池」というのは玉依姫が住まうところの、お庭というか、そういう日本庭園になっているところの池であります。池と言ってもこの三次元にあるような池ではなく、湖に近いほど大きなものであるということは以前このブログでも天乃河ます美様を通じて玉依姫にお話頂きました通りです。ご質問にございますように地球意識の中で創られた存在ではございません。
大きな力をお持ちの御方であるのが白龍殿であります。
白龍殿のことに関しては、これまでベールに包まれこの三次元世界ではその全貌が明らかにされていない「龍宮界」について詳しくお伝えしていく中でお話が出来るかと思います。
順序として、まず御霊についてのこと、、守護霊とは自らの御霊の一部であること、御霊の生まれ変わりの仕組み、御霊がアセンションをするために必要なことなどについて詳しくお伝えした後に、「龍宮界」という世界についてより突っ込んだお話をお伝えしていく予定となっておりますのでそれまでお待ちくださいませ。
☆山岳系の活動も一月前より活発になっております。台風も近づきますし、山崩れには注意が必要かと思います。
 
       出雲 拝

2013年6月 7日 (金)

「幸せを呼ぶ龍宮物語」 

『人間の心というもの、一念三千と申しますが、ありとあらゆる世界に、一瞬にして到達してしまうのです。ですから、三次元で生活しております貴女方は、常に「正しい心」「澄んだ心」を持って過ごされた方がよろしいです。
澄んだ心を持つということは、貴女方の世界にある、どのような装飾品にもまして、宝物であるのです。ダイヤモンドよりも真珠よりも、貴女方と心、御霊というもの、これは私からみましたら宝石のようなものです。
一見、汚い色をした石ころのように思われる人の心にも、やがてはダイヤのような、あるいは真珠のような三次元世界の様々な価値のある宝石のようなものになります。色は違っても、様々特色をもつ宝石と同じです。
よく磨かれたものもあれば、原石に近いものもおります。その辺にころがっているような、ただのうす汚い色をした石であっても、もしかすると、素晴らしい輝きをもつ宝石の原石であることがあるのです。
そして、貴女のまわりをとりまくようにしている、異なった世界があることを忘れないでください。』
      「幸せを呼ぶ龍宮物語」 






一念三千という言葉が出てきておりますが、実は私達三次元にいる者は、その心が必ず異次元世界のどこかと繋がっている、ということなのです。



人間には肉体がある以上どの方も喜怒哀楽はありましょうけれど、そういう一過性の感情は別にしまして、心が一点にとどまって常にある一定の方向に向いている人が多いものであります。

このある一定に向いている心がいろいろな次元に繋がっているということであります。心が常にマイナスの想念をまき散らしている人は地獄という世界に繋がっております。

よく憑依という言葉が使われますが、まあ、ある特定の磁場のところに行ったために影響を受ける霊媒体質の人もおりますが、これはその時に対処出来るものでありますので心配はないですが、もう一つは先ほど述べましたように常にある一定のマイナスの方向に心が向く場合の憑依は、これは波長同通しているということです。つまり、その時点で肉体生命が終われば、そのまま同じ世界へ行くということであります。

その逆に心が多少一日のうちにブレることがあっても、人に対する温かい気持ち、感謝の心、同情心、こういうものを持っている人は、異次元でもいわゆる天国という世界に繋がっているものであります。

「心」というのは異次元世界への架け橋であり、しかも一瞬で繋がっててしまうものであります。ですから、この神書でも述べられているように「澄んだ心」、「正しい心」を持つことが大切であると、そのように言われているわけであります。

では「正しい心」とはどういう心であるのか、これを考えてみたいと思います。正しい心にはもちろん道徳的、倫理的なことは当然でありますが、しかし、私はこれを考える時、やはりとても扱いにくい、やっかいなこの世的な価値というものにぶち当たります。

この世的価値の中には正しく天上世界と繋がった価値もございますが、そうでないもの、人間が勝手に創り上げたものも数多くあるわけであります。ですので、一度「?」と素朴な疑問を持ってみることはとても大切なことであるわけです。

それにはいろいろございます。何でもいいのですが、たとえば、受験生や受験期のお子さまがいらっしゃるご家庭のご両親は、子供には学校の勉強をしなさい、塾へ行きなさい、部活も頑張りなさい、とよく言います、夏休みに入れば、追い込みの時期なので、大変になりますね。子供が一番大変な目にあわされ、じっくり考える、という時間さえ与えられていないようにも思えます。

ここでも「?」として考えて頂きたいのですが、中学の学校の教科書をしっかり勉強していても、上のランクの高校には行けない、あるいは一流の大学には行けないわけですね。なぜ???
だからみんな予備校だ進学塾だに通うのですね。
学校は学校で成績を上げないといけないし、上の学校へ行くためには塾や予備校に行かなければなりませんし、また部活も受験する時には影響するのでしないといけない、

では、学校で勉強している「教科書」って何??どうして教科書をしっかりと勉強していても上級のランクの学校なり大学なりに入れないのか?? 領土問題をどのように記述するか、といったことは政府は問題にしても、実際卒業までに社会科で現代史まで行くのはまれではないでしょうか。

学校の教科書をしっかりと勉強して、部活も頑張ればどこの高校なり大学へ行けてもほんとうはいいはずなのでは…
現代はほんとんど受験問題も予備校や進学塾のテキストが基準になっているようなものですね。

現在70代80代90代の人たちの受験期の頃はみなさん、しっかりと教科書のみ勉強して上級の学校や一流大学に行ってました。その年代の方々は自分でよくよく考えるということが出来た人たちですし、現代の人たちよりももっとしっかりとなさっていましたね。

そういうお話はいたるところでお聞きします。現代の受験事情に誰がしたのか、それを追求するのが目的ではございませんが…

かなり脱線しましたが、こういうふうにいろいろな「?」を考えてみると実に人間の創り上げた多くのいろいろなものが見えてくるわけですね。こういう疑問を持つということは実に大切なことであると私は思います。ですから、「正しい心」は別名、「正しい観方」と言い換えてもいいのかもしれませんね。

こういう「正しい観方」というのは「天上界の視点」を持てばいくらでも「?」なことが多いのがわかります。すなわちこういう正しい観方を持っておりますと、天上界と繋がった正しさのみに心が向くようになってくるのですね。そうすると御霊が汚れませんし、御霊のアセンションのための気づきが多く与えられますし、それなりの対処もしやすくなるわけであります。これが大事です。



それから、「澄んだ心」というのは、幼子のような心、純粋無垢な心ですね。しかし、これを持つことはこの三次元では騙されやすくなるのではないか、それゆえに多くの人たちは人に対してはどの人もある一定の警戒感を持つものですね。
これほどこの三次元は地獄に一番近い世界なのかもしれませんが、純粋無垢な心を持っている人は、逆に人に騙されたりはしないものなのです。これははっきりと言えます。

つまり、そういう人たちはダイレクトにあちらの世界、それも四次元などではなく、もっと高い次元と繋がっていることが多いため、そういう騙してやろうとやってくる輩ははじかれてしまうのですね。これは観ていてもおもしろい、といってはなんですが、そういうものなんですね。

ですので、純粋な心を持っているひとに対しては周りの人たちのもっと人に警戒するようにというようなご心配は無用であります。この澄んだ心を持ち続けるためにはあらゆる物事に対してのこだわりを捨てることです。さらさらとした心になっていくことでありますね。


そしてここではどんな汚れた原石でも磨けばダイヤのようになる、と言われておりますように、私達の御霊はどの方もみな尊いのです。その御霊の中心には創造神の属性、ありとあらゆる神の念いがすでに埋め込まれているわけであります。
よく、「神理」を学ぶといって何か新しい全く知らないことを学ぶように思っている人もいるかもしれませんが、これをもっと具体的に言えば、神理、真理を知るというのは、御霊に埋め込まれているものを「思いだす」、あるいは「掘り起こす」ということであるのですね。新たに付け加えるのではなくて、もともと御霊に備わっているものを発見することでもありますね。
これを勘違いしてはいけませんね。みなさん、もともとは御霊にあるものなのです。

御霊についてまだまだ続きます。天乃河ますみ様を通じて玉依姫様よりお伺いして参ります。

地震についてはこの月に少し動きがあるとのことを天乃河ます美様よりお伺いしております。



        出雲 拝


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