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2013年6月18日 (火)

この世の苦しみ、悲しみの意味とは

『‥どうしてこの世に苦しみや悲しみがあるのでしょうか。それを経験するためだ、という人がいますが、私の周りにそういう人がいる場合、私は何をすればよいのでしょうか………』との問い

「一寸千貫」という言葉があります。これは、昔の大工さんの専門用語だそうです。この一寸角というのは、ちょうど割り箸ほどの大きさです。そのような小さな一寸角であっても、それが、真っ直ぐに立つとき、千貫の重みに耐えるといいます。私達の御霊というのは、これ以上にほんとうは、もっともっと強いものです。

そしてもう一つの真実がございます。自分のおかれた境遇がいかに厳しいように見えても、自分が乗り越えられないような問題は、「絶対に与えられないようになっている」のです。それをまず知って頂きたいと思います。ちょっとした向上心を持てば、ほんとうは乗り越えられる問題ばかりなのです。

何故に、悲しみや苦しみがあるのか、そう考えたときに、自分自身の心を一度浄化するために、神が用意されたものだと感じます。
ちょうど、この地上を浄化するために雨を降らしたり、雪を降らしたり、時に強風になったり、嵐になったりするように。

苦悩の中にある人間は、懸命にもがいています。悲しみの中で、苦しみの中で、挫折の中で、その時のご本人の姿というのは、ほんとうに無抵抗で体裁など全く考えていません。裸です。肩書きや地位や財産があろうがなかろうが関係なく、自分自身の本当の心と直面するように出来ています。

だからこそ、神に一番近いところにいると言えるのだと思います。
一旦、虚飾や見栄を取り去り、素のままの自分に立ち返るためにすべては用意されているのです。私はそう思います。これが地獄のてっぺんであるこの三次元から御霊を向上させていくための登竜門でもあるかもしれません。

翻って、悩みの中、苦しみの中、逆境の中にいる人に対して、
「もっと、しっかりしなさい! そんなことでどうするの!」と叱咤激励しているつもりで、お仕着せの少しばかり学んだ知識をいくら話しても、決して人の心に届くものではないと思います。

一番大切なこと、それは、ほんとうにその人のことを思うのであれば、ありのまま受け入れてあげて、その人自身のことを「わかろう」とする心の姿勢が最も大切なことだと私は思います。
神理、真理という前に、人間としてのこの姿勢が強く求められると思うのです。

なかには、とうてい理解しがたい人もいるかもしれません。
この三次元は色んな考え方、魂の傾向性を持った方々がいらっしゃいますから。
けれども、自分とは違う、そういう人を理解しようとすることも、また、
自らの御霊の器を拡げることへとつながっていくのではないでしょうか。

そして、人を「わかろう」とする中に、人とのつながりが生まれます。
このつながりを通して、精神世界で言う愛のエネルギーと言うのでしょうか、それが流れだして行くのではないでしょうか。わたしはそう思います。

深い悩みや苦しみが出てくるときというのは、大抵自分自身の今世の課題やカルマの部分が出ていることが多くあります。
それは、その人自身の問題だと言えば、それまでです。
ですが、立場を変えて、もし自分が苦しみの中に一人いる時、自分の苦しみを「わかろう」としてくれる人が、一人でもいてくれたらどうですか… 心強く感じませんか。

私達が最も、忘れて久しいことは、人の苦しみを傍観することではなく、また、叱咤激励し、お仕着せの神の言葉を教えることでもなく、その人を理解しようと努め、つながりを創ることです。


こういう人が、あちらこちらに出てきてくれれば、自殺するような人も激減しますし、地獄へ行く人も少なくなると私は思います。

決して難しい法理論ではなく、ごくごく簡単なこと、少しの時間と心を他者のために向けてあげること、完全にその人を理解することなんて、できないかもしれない。けれど「わかろう」とする努力の中に、この三次元を変えていく原動力が生まれます。

…大切なことなのでつづけます。

          出雲 拝

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