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2013年6月 7日 (金)

「幸せを呼ぶ龍宮物語」 

『人間の心というもの、一念三千と申しますが、ありとあらゆる世界に、一瞬にして到達してしまうのです。ですから、三次元で生活しております貴女方は、常に「正しい心」「澄んだ心」を持って過ごされた方がよろしいです。
澄んだ心を持つということは、貴女方の世界にある、どのような装飾品にもまして、宝物であるのです。ダイヤモンドよりも真珠よりも、貴女方と心、御霊というもの、これは私からみましたら宝石のようなものです。
一見、汚い色をした石ころのように思われる人の心にも、やがてはダイヤのような、あるいは真珠のような三次元世界の様々な価値のある宝石のようなものになります。色は違っても、様々特色をもつ宝石と同じです。
よく磨かれたものもあれば、原石に近いものもおります。その辺にころがっているような、ただのうす汚い色をした石であっても、もしかすると、素晴らしい輝きをもつ宝石の原石であることがあるのです。
そして、貴女のまわりをとりまくようにしている、異なった世界があることを忘れないでください。』
      「幸せを呼ぶ龍宮物語」 






一念三千という言葉が出てきておりますが、実は私達三次元にいる者は、その心が必ず異次元世界のどこかと繋がっている、ということなのです。



人間には肉体がある以上どの方も喜怒哀楽はありましょうけれど、そういう一過性の感情は別にしまして、心が一点にとどまって常にある一定の方向に向いている人が多いものであります。

このある一定に向いている心がいろいろな次元に繋がっているということであります。心が常にマイナスの想念をまき散らしている人は地獄という世界に繋がっております。

よく憑依という言葉が使われますが、まあ、ある特定の磁場のところに行ったために影響を受ける霊媒体質の人もおりますが、これはその時に対処出来るものでありますので心配はないですが、もう一つは先ほど述べましたように常にある一定のマイナスの方向に心が向く場合の憑依は、これは波長同通しているということです。つまり、その時点で肉体生命が終われば、そのまま同じ世界へ行くということであります。

その逆に心が多少一日のうちにブレることがあっても、人に対する温かい気持ち、感謝の心、同情心、こういうものを持っている人は、異次元でもいわゆる天国という世界に繋がっているものであります。

「心」というのは異次元世界への架け橋であり、しかも一瞬で繋がっててしまうものであります。ですから、この神書でも述べられているように「澄んだ心」、「正しい心」を持つことが大切であると、そのように言われているわけであります。

では「正しい心」とはどういう心であるのか、これを考えてみたいと思います。正しい心にはもちろん道徳的、倫理的なことは当然でありますが、しかし、私はこれを考える時、やはりとても扱いにくい、やっかいなこの世的な価値というものにぶち当たります。

この世的価値の中には正しく天上世界と繋がった価値もございますが、そうでないもの、人間が勝手に創り上げたものも数多くあるわけであります。ですので、一度「?」と素朴な疑問を持ってみることはとても大切なことであるわけです。

それにはいろいろございます。何でもいいのですが、たとえば、受験生や受験期のお子さまがいらっしゃるご家庭のご両親は、子供には学校の勉強をしなさい、塾へ行きなさい、部活も頑張りなさい、とよく言います、夏休みに入れば、追い込みの時期なので、大変になりますね。子供が一番大変な目にあわされ、じっくり考える、という時間さえ与えられていないようにも思えます。

ここでも「?」として考えて頂きたいのですが、中学の学校の教科書をしっかり勉強していても、上のランクの高校には行けない、あるいは一流の大学には行けないわけですね。なぜ???
だからみんな予備校だ進学塾だに通うのですね。
学校は学校で成績を上げないといけないし、上の学校へ行くためには塾や予備校に行かなければなりませんし、また部活も受験する時には影響するのでしないといけない、

では、学校で勉強している「教科書」って何??どうして教科書をしっかりと勉強していても上級のランクの学校なり大学なりに入れないのか?? 領土問題をどのように記述するか、といったことは政府は問題にしても、実際卒業までに社会科で現代史まで行くのはまれではないでしょうか。

学校の教科書をしっかりと勉強して、部活も頑張ればどこの高校なり大学へ行けてもほんとうはいいはずなのでは…
現代はほんとんど受験問題も予備校や進学塾のテキストが基準になっているようなものですね。

現在70代80代90代の人たちの受験期の頃はみなさん、しっかりと教科書のみ勉強して上級の学校や一流大学に行ってました。その年代の方々は自分でよくよく考えるということが出来た人たちですし、現代の人たちよりももっとしっかりとなさっていましたね。

そういうお話はいたるところでお聞きします。現代の受験事情に誰がしたのか、それを追求するのが目的ではございませんが…

かなり脱線しましたが、こういうふうにいろいろな「?」を考えてみると実に人間の創り上げた多くのいろいろなものが見えてくるわけですね。こういう疑問を持つということは実に大切なことであると私は思います。ですから、「正しい心」は別名、「正しい観方」と言い換えてもいいのかもしれませんね。

こういう「正しい観方」というのは「天上界の視点」を持てばいくらでも「?」なことが多いのがわかります。すなわちこういう正しい観方を持っておりますと、天上界と繋がった正しさのみに心が向くようになってくるのですね。そうすると御霊が汚れませんし、御霊のアセンションのための気づきが多く与えられますし、それなりの対処もしやすくなるわけであります。これが大事です。



それから、「澄んだ心」というのは、幼子のような心、純粋無垢な心ですね。しかし、これを持つことはこの三次元では騙されやすくなるのではないか、それゆえに多くの人たちは人に対してはどの人もある一定の警戒感を持つものですね。
これほどこの三次元は地獄に一番近い世界なのかもしれませんが、純粋無垢な心を持っている人は、逆に人に騙されたりはしないものなのです。これははっきりと言えます。

つまり、そういう人たちはダイレクトにあちらの世界、それも四次元などではなく、もっと高い次元と繋がっていることが多いため、そういう騙してやろうとやってくる輩ははじかれてしまうのですね。これは観ていてもおもしろい、といってはなんですが、そういうものなんですね。

ですので、純粋な心を持っているひとに対しては周りの人たちのもっと人に警戒するようにというようなご心配は無用であります。この澄んだ心を持ち続けるためにはあらゆる物事に対してのこだわりを捨てることです。さらさらとした心になっていくことでありますね。


そしてここではどんな汚れた原石でも磨けばダイヤのようになる、と言われておりますように、私達の御霊はどの方もみな尊いのです。その御霊の中心には創造神の属性、ありとあらゆる神の念いがすでに埋め込まれているわけであります。
よく、「神理」を学ぶといって何か新しい全く知らないことを学ぶように思っている人もいるかもしれませんが、これをもっと具体的に言えば、神理、真理を知るというのは、御霊に埋め込まれているものを「思いだす」、あるいは「掘り起こす」ということであるのですね。新たに付け加えるのではなくて、もともと御霊に備わっているものを発見することでもありますね。
これを勘違いしてはいけませんね。みなさん、もともとは御霊にあるものなのです。

御霊についてまだまだ続きます。天乃河ますみ様を通じて玉依姫様よりお伺いして参ります。

地震についてはこの月に少し動きがあるとのことを天乃河ます美様よりお伺いしております。



        出雲 拝


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