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2013年9月30日 (月)

幸せを呼ぶ龍宮物語 第二章に関連して

『多額の金銭を要求するような霊能力者を信じてはなりません。貴女方もよく見極める事です。変な霊能者と、変な縁をつくる事のないように、わたしはこれからも何度でも言っておくつもりです。

まず、貴女方が自分自身を信じ、いえ、自分自身の良心を信じ、理性に聞く耳を持ち、精進できる道を進んでください。貴女方一人一人に、心強い御神霊がついているのです。見守っているのです。貴女の隠すことのできない良心に耳を傾けて下さい。そこに御神霊がおります。』


    「幸せを呼ぶ龍宮物語」天乃川ます美著 P148



今、もっとも大切なこと、そして今後大切になっていくことの一つが御自身の御霊の兄弟、姉妹たち、守護霊たちの存在について、そしてその考えを知ること、さらに御自身の御霊に近づくことであると私は思います。ここでは「御神霊」というコトバが使われておりますが、これは御自身の御霊の中で一番古いと言いますか、本体意識というか、霊的には一番格の上の御霊と思って頂いても良いと思います。もちろん、人によってはそれ以外の縁のある別の御霊ということもありますが、基本は御自身の御霊の一部とお考えになって構いません。


皆様方が一番お知りになりたいことの一つは、どうしたら守護霊の考えがわかるのか、ということであろうかと思います。これはここでも書かれておりますように、自分自身の嘘のつけない良心に耳を傾けるということによって、わかるようになるのです。本来、難しいことではないのです。誰でもわかります。厳しい修行をしないといけないとかそんなことは一切必要ありません。ある人は直接語りかけられることもありますし、多くはインスピレーションとして、あるいは霊夢の形としてやってくることが多いです。


この良心というものに訴えかけて神理を教えるために過去三千年に渡って数々の教えが説かれてきました。モーゼ、イエス、仏陀、モハメッド、日本において近年では出口王仁三郎、谷口雅春、高橋信次がいたわけです。浅野和三郎が広めた小桜姫物語を初めとする霊界通信もそうです。現代では天乃河ます美の「幸せを呼ぶ龍宮物語」がそうです。


よくご質問を受けるものの一つにこのブログでもお書きしました二極化することについてのことであります。


現世に生きておりますと、どうしてもこの世で生きていくための糧も必要になりますし経済も必要ですね。それが全く悪いと言っているのではありません。
極論に走ってしまう人がいますが、これまで何度も申しております三次元に生きる意味というものをその心でご理解できなくなってしまっている方が少なからずおられます。


現世に生きている私達は肉体を持っておりますが、御霊五分、肉体五分であります。どちらも五分五分、ある人は肉体的な感覚により、物事を見ようとします。肉体的三次元的に偏る人が圧倒的に多いのです。つまり御霊よりも肉体に比重がかかっているということであります。


しかし、玉依姫がいつもいつも仰っているようにこの世は地獄のてっぺんである、ということを認識している人たちは、肉体的、三次元的なことよりも御霊から見た「観方」を取り入れるのでありますから、その比重は御霊の方が占める割合が多くなるということですね。これが大事なのです。


もちろん、御霊の比重が十割ではこの三次元では生きてはいけませんから、この世的な比重はゼロでもいけないわけであります。ですから、古来より仏教では中道という考えがあったのですね。


御霊の比重が六割、この世的比重が四割の人もいれば、五分五分の人もいるかもしれません。あるいは御霊の比重が七割、この世的比重が三割の人もいるかもしれません。


多いのは御霊の比重が大体三、四割、この世的比重が六割、七割の人たちです。


二極化するというのは、御霊の比重の多い人と肉体的三次元的比重が勝る人たちと分かれますよ、ということです。すなわち「霊主体従」か「体主霊従」にはっきり分かれていきますよ、ということなのです。


玉依姫が仰っているように変な霊能者のところへ鑑定に行く人というのは、やはりこの世的な比重が大きいからそういう霊能者に引っかかり、その後も大変になってしまうのですね。当て物をするくらいであれば、動物霊でも出来ますし、地獄霊でも出来ます。そして鑑定の中心はこの世的に生きやすく損をしないための方法であるとか、この人と結婚して正解なのかとか、どんな商売すれば儲かるかですとか、先祖が迷っていないかとか除霊だとかが多いのではないでしょうか。こういうのも結局は「体主霊従」になってしまっているが故に欲から引っかかってしまうのです。そして何よりも楽して答えを求めるというその心に変な霊的縁をつけてしまいやすいのですね。


こういう人はもし仮にその霊能者が上の世界と繋がっている方であるとしても、それだけの鑑定では飽きたらず、時間が経てば、また別の霊能者のところへ行って鑑定を受けるということを繰り返し、いっこうに真実の自己と向き合おうとはしないのです。こういったことはもう卒業してください、と玉依姫は仰っているわけであります。堂々巡りの悪循環から抜け出すには、まずいったん立ち止まって、仏教的に言えば「中道」に入ることです。
この中道について天乃河ます美様は以下のように言っておられます。



「中道」と申しますのは、誰彼他人の物差しで計られるものではなく、貴方々それぞれの個人の、つまり御自身の計りの中で生きるという事なのでございます。 頑張る事は良い事でありますが、無理をしますと失敗が多くなりましょう。その失敗を上手く使える糧に出来る御方は宜しいのですが、そういう方々は少ないのでございます。ですから、この「中道」というのは仏教的なものでありますが、自分の器を知り身の丈にあった生活をされる事によって、他人の器を知り、そこで1つの計りにかけず他人を理解し争わずご自分らしく生きていけば、この世を去る時に執着どころか、ああ、良く勉強させて頂きました、と感じる事が出来ますよ、という事なのでございます。仏教で云いますところの慈悲でありますね。右でも左でもなく、又、前でも後ろでもなく、ご自分を中におき一生を懸命に生きておりましたら、他人への妬み、恨み、争いの心をもつ事もなくなるのではないでしょうか、と、仏陀様がお考えだした、この世からの執着をたつ生き方の教えであったという事であるそうでございます。

 

             天乃河ます美



この中道に入った生き方の中に三次元に生きる意味というのが見いだされ、己とは何者なのか、どういう御霊の持ち主であるのかがわかるようになるのです。
それがわかれば、ご自分らしい生き方が出来、他人と比較し一喜一憂し、争い、憎しみから自ずと離れることが出来るようになり、失敗からはより多くの教訓を見いだし、その教訓をご自身の智慧としていけるのですね。こうして御霊はさらに進化を遂げていくのです。中道に入るというのは「霊主体従」の生き方そのものであります。



        出雲 拝

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