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2014年3月24日 (月)

御霊のアセンションについて4

私事都合により、更新がずいぶんと遅れてしまいましたm(__)m申し訳ございません。
『天乃河ます美』の中道についてのお話の中で、自分の器を知ってまず身の丈で生きること、そして自分らしく、右でも左でも前でも後ろでもなく両極端を去って、自分を中に置いて人生を歩む時には、他人への嫉妬や争いの心などは持つこともなくなりますよ、と仰っておられます。
右でも左でもなく常に心をニュートラルに置くということです。
両極端というものの中にはいろいろなものがあります。無理して背伸びして良く見せようとすることもそうですし、あまりにも自分を卑下することもそうですし、増長することもそうですし、成功に酔いしれ天狗になることもそうですし、あまりにも楽ばかりした生活の中にいることもそうですし、自分を鍛えると思いながらも自分に厳しすぎることもそうでし、考えればいくらでもあると思います。



また自己保身や自己保存欲という言い方をよく致しますが、ここが多くの方々は気が付かないことが多いです。慈悲魔もそうですし、人前に出るのがはずかしいという思いもそうですし、一時の感情の高ぶりで人のために何かしたいというもそうです。自己犠牲的な行為も一時は満足感は得られるかもしれませんが、時間が経つととたんに苦痛に変わります。


以前、ここは人への愛を言ってませんね、真実の悟りは自分以外の人のために何が出来るかということではありませんか、というご指摘をなされた方がおられました。ほんとうに安定して人のためにして差し上げるのは尊いことですし、その方の仰る通りですが、自分をまず中道に置き、自分を収めませんと人への真実の愛は出てきません。見せかけだけのことをしてもすぐに苦しみに変わるだけです。中道からの愛の行いは自然と智慧を伴いますし、人の思惑などでブレたりはしないものです。それが真実のものであります。一時の感情の高ぶりで人への愛などとやっていても最初はそれでいいかもしれませんが、時間が経つと即苦しみに変わり、あるいは薄れていくようなものは真実のものではないのです。自分を収め、自分を認め、自分を愛した程度にしか人への真実の愛は出てきません。
中道から外れた念いと行為を重ねると、それが不幸の始まりになりますし、自ら苦悩を創りだしてしまうことになり、その結果つくらなくていいカルマをつくってしまうことにもなるわけです。この中道の考えというのは白と黒の中間のグレーというものでもなく、人からの攻撃を怖れての長い物に巻かれる的なものでもないということはおわかりかと思います。両極端の思いをまず点検し、真ん中に自分を置くということは、一番端的に言うと自分の「良心」に照らして考えてみるということです。自分を公平に観るということであります。


このことを神道では直霊魂(なおひのみたま)に聞き直すという言い方を致します。簡単に言えば良心に照らして考えてみるということです。さらにそれを掘り下げてみるには「八正道」に基づいて考えてみたり、一霊四魂によるやり方があります。
これもよく勘違いしている方もおられますが、たとえば、八正道に基づいてと言いましても、あんなことをしてしまった、こんなことをしてしまった、「ごめんなさ~い」というような浅いものではなく、そういう行為なり悪習慣をつくってしまっている原因はどこにあるのか、それを突き止め取り除くために精進していくことがポイントであります。この原因究明のための方法です。ですから、中にはなかなか自分では考えてもわからないことがあれば、場合によっては確かなカウンセリングを受けてみるのも一つの方法かと思います。



つづく




        出雲 拝

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