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2014年5月12日 (月)

この世に生きるということ

『生命は永久に存続するもので、過去、現在、未来の三世にわたって生きている。吾々生物の生命は絶対不変無始無終にして、神の分霊分身である。ゆえに永遠にわたって不老不死である。…



 無限の生命、そこに吾人が絶対不断の生命を見いだして、永久に生きる事を悟った時、吾々の眼前に展開されるものはすべてが試練であり、すべてが教訓である事が覚り得られる。


 吾々が人間として世に処するその間の出来事を見ても、幾多の曲折があるので面白い。その当時は欲求に満たない、いわば一種の苦痛として痛ましい事であったその試練されたことを、時過ぎてから想い出した時に、みなそれは追憶となって美しき過去を見る事が出来る楽しさがある。


 過去の悲惨なりし歴史も、甘かりし恋路も、得意も失敗も幻の如く現実に浮かんで来るごとに、一種の愉快さを覚ゆる。そして過去から現在未来へと永遠無窮に生命が継続されつつ天国の果てなき国へと進んで行く。これが人生永遠の生命だ。


 自分は今までの体験から考えると、吾々の過去は真に美しかった。貧乏で食うや食わずの危機に立ったことも、冤罪を被って獄舎に自由を束縛されていた事も、世間のあらゆる嘲笑讒誣の的となったことも、過去の歴史の一頁として語る時、それはみな美しい、そして楽しい。


 たとえ貧乏生活でも悲惨の境遇でも、それを永続した時は勝利となって来る。勝利は常に正義である。社会から何ほど嘲罵され、侮辱され、批難されても、それ自体が永続したら、必ず末には正道として認めらるる事になる。現代人の大本に対する総ての観念も、今や勝利者として遇するに至ったのは、吾人が永遠の生命を確信して不断の活動を続けて来た活歴史の賜であるともいえる。』





         出口王仁三郎









『確かに、今、この時の、この貴女の人生は一回限りです。ただ、肉体は死とともに滅び、なくなりますが、貴女の御霊は永遠の存在であるのです。数限りない様々な人生を、新たな肉体とともに送っているのが、本当の貴女自身である御霊なのです。



この事を忘れて、後にも前にも一回限りの人生と観てしまうから、不公平感があるのです。何度でも言っておきましょう。魂は永遠の存在です。その永遠の時の中を、永遠の存在である御霊は何百回、何千回も生まれ変わっているのです。



光は、平等です。すべては平等です。光が当たらないのは、何らかの障害があるからです。動かすことの出来ない山かもしれません。いずれは消える雲であるかもしれません。人生も同じようなものです。
自分は、こんな所ではなく、違うところに住みたかったのだけれど、何かの間違いで、あるいは手違いで、こんな所にいるのだと思ったら、それこそが大変な間違いなのです。



転生の際、様々な本人の希望、このような時代に生まれて、このような環境の中で、このような人々とめぐり会い、このような一生を送りたい、という細かな希望というものも認められます。しかし、それは、三次元に肉体をもっている貴女方には理解できないような厳しい人生であったりもするのです。厳しい人生でも、その事は御霊にとっては、大切な経験であることを承知の上での事がほとんどです。』




    幸せを呼ぶ龍宮物語









この現世に居ては、いろいろな苦しみや哀しみ、別れがあります。どの方にもあります。人生全般をとってみましたら、その五割、六割が生きることのしんどさで占められているはずです。それがこの世とはいかなる世界であるのか、ということを私達に教えているのです。そしてここで、ある人々はその疑問から宗教遍歴をしたりもします。いろいろな研究や哲学思索もしたりします。




結局は、この苦しみというものを経験しないとこの世に出て御霊修行をしたということにはならないからです。と、こう言ってしまえば、ため息しか出ないのですが、
しかし、ここがまた大切なところであるのですが、現在自分自身がおかれているその環境から何を学べ、と言われているのか、天はわたしに何を期待しているか、それをじっくり考え、その環境の中にどっしりと腰を据えてみますと、いろんなことが見えてくるのです。しかし、それには「観の転回」が必要です。




ただ、単にその環境を体験するだけだと、それは人によってはさらなる悲観的人生の出発となってしまいますが、霊的真実を知った上で、その環境に身を置いてみますと、また違ったものが見えてくるようになるのです。
同じ環境に置かれても、そこから地獄への門を潜っていく者とそこから光の世界の門を潜っていく者と二極化が起きるのです。ですから、単なる体験に終わらせず、それを経験の領域にまで持っていくことが大切なのです。その時に運命の流れが変わって参ります。良い方向に変わるかさにら悪くなるかは、「観の転回」そのものにかかっているのです。



御霊のアセンションから観た場合、霊的な視点からは、苦悩の中にある時というのは、宝の山に埋もれている状態であり、それを見抜くことが出来れば、しめたものです。以前、中道についてのことも書きましたが、中道もその両極端を知らないと中道はわかりませんね。


これからわたしたちが体験し、経験するであろう、地球規模の出来事も、同じくそこからどれだけのことを「観れる」かそれにかかっております。地獄を見る人もありましょう。気づきを得る人もおりましょう。いろいろであります。






         出雲 拝








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