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2014年7月22日 (火)

先祖供養とまつりの意味

【先祖供養についていくつかお聞きしたく…】とのご質問について





先祖供養を軽んじているのではないかというご指摘でありますが、そうではありません。危険なことが多いので、下手な先祖供養はしなさんな‥と申し上げてきたのであります。



これはどういうことかと言いますと、ご質問者様には大変厳しいことを言うようですが、やはり、動機がどちら側にあるかにかかっているのです。その動機が心からの愛に根ざして見返りを求めないものであれば、問題はございませんが、先祖供養すれば、運勢が良くなるだの、こうしなければ自分や家族に障りが出るだの、何代前の先祖が迷っているから自分たちはうまくいかないのだとか、そんな欲や恐怖心が根底にあっての供養は、残念ながら、天国に届く供養ではなく、地獄やその辺の不浄仏霊が感応する供養となり、良くなると思ってやった供養がますます悪くなっていく縁を創る行為となるのです。




これまでいろんな方々の先祖供養のあり方を観ておりましても、そういう方々があまりにも多くいらしたので、先祖供養などはあまり言わないようにしてきたわけです。先祖供養を運気アップのための風水グッズ的手段のようにお考えであるなら、そのお考えを改めて頂きたいと思います。




また、お墓参りに行くという言い方を一般的にしますが、ほんとうは「先祖参り」が正しいのです。お墓の墓石に先祖が居たらそれはそれは大変です。(¨;)
先祖参りやお仏壇で先祖をおまつりする時は、先祖に感謝をするのが正しい供養です。では何に感謝するかですが、「幸せを呼ぶ龍宮物語」を手元にお持ちであれば、第三章P143からP144を見て頂きたいのですが、そこに玉依姫はこのように仰ってます。




…そして鏡の前に立って、日々、貴女の肉体に御礼を言ってください。いずれは別れる肉体に、御礼を言って、一日を始めてください。貴女の御霊が丸い水晶になる間、貴女方を守ってくれている肉体、三次元に存在する事を証明してくれている肉体でもあります。四次元の未熟霊などからも、肉体が、貴女方の御霊を守ってくれているのです。ですから、今、生きることを共にしている肉体にも、日々、感謝する事です。




これは先祖供養の根本なのです。御霊を向上させるために肉体舟を与えられたことへの感謝が根本になくてはならないのです。両親があって肉体を与えられ、そのまた祖父母があり、祖祖父母があり、先祖代々があって、現在のご自分があるのです。


ですから、自分の両親を貶し、バカにするようなことを言いながら、先祖供養など出来るはずもなく、うちのばあちゃんボケた、爺ちゃんボケたといって蔑むような態度で先祖供養が出来るわけもありません。生きている自分の身内に孝を尽くす心であって、はじめて正しい先祖供養が出来るのです。



肉体舟を与えられ、この家系に生まれ、御霊修行をさせて頂いていることへの感謝をし、肉体があるうちに必ずや御霊を向上させてまいります、という誓いをするのが、それが真実の先祖供養であります。





「…あなたは先祖供養はどうでもよいと考えているのですか?‥」とのご質問でありますが、その前に、わたくし個人的にはこの先祖供養という言葉がどうも好きになれないので、以下「祖霊まつり」という言い方をさせて頂きます。
どうして「まつり」という言葉がつくかと言えば、「まつり(祭)」というのは、「真釣り合わせる」という言葉からきています。それはどういう意味であるのかと言いますと、調和するということなのです。


神と地上に生きている人間とのまつり、すなわち調和、夫と妻とのまつり合わせである調和、企業や組織とその従業員との「まつり」であるところの調和、国家と国民との「まつり」であるところの調和などを言うのです。ですから、神社でお祭りがあったりしますが、あれも神と人とを身近に結びつけ、調和させるためにあるものです。御神輿などもそうです。国政に携わることも「政」と書いて「まつりごと」と読みますし、祭りとは本来そういう意味合いがあるのです。ですから、わたくしは、あなた様がおっしゃる先祖供養はどうでもよいどころか、最も重要と考えている一人でもあります。



前回のブログにも書いたと思いますが、国を滅ぼすのに核など使わなくても、各家庭を破壊していけば、国が滅びるということを言いましたけれども、逆に家庭を調和させ、発展させていくことは国を富ますことになるのですね。祖霊を祭り、祖霊に感謝をしながら、家庭を営んでいくことは、家門高く富み栄え、国を栄えさせる原動力となります。


さて、ここまで書いて一部の御方々は、三百年以上も経った祖霊などは生まれ変わっているのではないか、だからそういう霊たちにはまつりなど必要ないのでは、とお考えになっているかもしれません。
祖霊まつりというのは、先程から申し上げている感謝の心を持つおまつりであり、それはどこに向かっているのかと言えば、祖霊にも届き、さらにその感謝の念いは神に向かっていくのです。神に向かった念いは、もし迷っている先祖がいれば、上位の御神霊が導きの光を降ろすようになるのです。



また、肉体を離れた霊人は何も食べなくてもいいから、お供え物などいらないのではないのか、と思っている人達もいると思います。たしかにその通りでありますが、それは一を知って二を知らないお考えなのです。たとえどのような質素なものであっても、みかん一つ、リンゴ一つであっても、それが心からのものであれば、あちらの世界にはそれはそれは大変なごちそうとなって、現れるのです。



心からの念いはあちらの世界では何十倍も何百倍にもなって現れます。
ですから、亡くなってそんなに経っていない霊人であれば、実際にその念いとなったものを食し、その美味しさを感じているのです。悟りが進みもう三次元に居た頃の人間としてのにおいが無くなった霊人たちは、そういうことも必要でないかもしれませんが、あちらの世界では食べなくてもいいのですが、食べたいと思えばそれを味わうこともできますし、お酒なども味わうことも出来ますし、自由自在の世界です。それは三次元の物質的な食べ物など比べ物にならないほど、あちらの霊的な食べ物は美味しいのですね。


神社のお祭りは楽しいものです。盆踊りなどのお祭りも見ているだけで、何か楽しくなります。「まつり」とは楽しんで自ら調和しようとする行為であります。
祖霊に対しても神に対しても、畏れ敬いつつ、明るく、楽しく、親しむ心ですることがあちらの世界に通じる秘訣でもございます。これが「神向心」なのであります。



一昔前に各家庭には、祖霊をおまつりすると同時にどこの家庭にも神棚がありました。朝、仕事に行く前にパンパンと柏手を打ってそして会社に出掛け、学校に行ってたと思います。神棚は、自分と社会を祭り合わせる意味であったのですね。家庭においては、祖霊と共に生活し、社会生活においては神とともにであったわけです。



松下幸之助氏はこの「まつり」の本当の意味をよく知っていたひとりでした。各工場や社屋に鳥居と社を設けていましたし、自らも、朝出社して最初にすることは、社に手を合わせることでした。
現代ほど、「祭り」が必要な時代はないのではないかと、私は思います。また祭りという全てと調和する心はアクエリアスの時代そのものであるのです。もう一度、本来の「まつり」の意味をじっくりと皆様方もお考えになられてみても宜しいかと思います。大ざっぱに書きましたが、以上をご参考にしてくださいませ。





           出雲 拝

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