霊的世界

2014年7月21日 (月)

繰り返される地球規模の浄化

六月から七月にかけて、震度4から5の地震が多発し、現在は落ち着いているように見えますが、かなりの歪みが太平洋側の広範囲で起き出しているようであります。防災意識をさらに高めていくことは今後の身の処し方に出てきますので、出来るだけ多くの方々に意識的であって頂きたいと思います。



地震のことを申し上げると、中にはうんざりされる御方々もちらほらいらっしゃることはわかっておりますが、これはいつの時代でも同じことであります。アトランティスの頃も玉依姫の下生がありましたが、その時も同じくご批判は多くございました。乙姫の世界というのは、弁財天のような役割であると思われておりますが、確かに半面はその通りであります。もともとはそういう役割の部分が多くございます。しかし、玉依姫命と言われている存在の半分の部分は時代の端境期に時代が変わるということを告げ知らせるという役割と天界との通信塔としての役目を受け持っております。今回下生している御霊がその部分を請け負い、アトランティスの時代と同じ役目を担って出ているのです。ですから、楽しいことばかりではないことも伝えるというそういう役目があるわけであります。



ノアのお話をこのブログでもお書きしたことがございます。汚れきった人間界に大洪水を起こし、ノアとその家族、そして家畜や鳥のつがいを船に乗せて大洪水に備えたというお話です。人々はノアをあざ笑いました、わけのわからないことを言い、同じく人々をうんざりさせたわけであります。しかし、やがて大洪水が起き、地上の全てのものが洗い流されて行きます。このノアの方舟は現在のトルコのアララト山に漂着したとされ、実際にそうした伝説の船は学者たちによって発見されております。



ユダヤでは七月十七日を中心として、その前後三週間をノアが無事に大洪水を乗り越えてアララト山にたどり着いたとして、お祝いするシオン祭という行事があります。そしてユダヤと非常に縁の強い大和の地では京都の「ギオン祭」、祇園祭りが「エンヤラヤー」のかけ声と共にピークを迎えます。このかけ声そのものが古代ユダヤの言葉そのものであることは大変有名なお話でありますし、シオン祭とギオン祭のひびきも似ていることも、また七月十七日が祇園祭りのピークを迎えることも偶然にしてはロマンのあるお話です。



出口王仁三郎師が神懸かりとなって口述筆記された「霊界物語」にはノアの時と同じ頃、この大和の地も神代の昔、祖神国常立尊とその妻神である豊雲野尊が地に降り立ち、人々の心の建て直しをなすべくまつりごとをしていましたが、現代で言えば、政権を引きずり降ろされたと言えばわかりやすいかと思います。



それが丑寅と未申に押し込められた、として祟り神であるとか丑寅の金神というふうに呼ばれてきたのでありますが、その当時も人々の心の乱れが酷かったのです。国常立尊が隠れ神となった後、大和の地は天変地異が立て続けに起きたのです。



「霊界物語」には、天には異様の星々が出現し、太陽は酷熱を極め、暴風が吹き、至る所で火山が爆発し、地震、大津波が相次いで起こったことが記されています。これは大洪水の前に人々を改心に導くための気づきを与えるためのもの、と言うことでもございました。


「…そもそも七十五日間の天災地妖のありしは、野立彦神、野立姫神をはじめ、日の大神、月の大神の地上神人の身魂を試したまう御経綸であったのである。

…わが数億年の艱難辛苦の結果成れる地上の世界は、かくも汚れ、かつ曇りたるか。いかにしてこの地上を修祓し、払拭し、最初のわが理想たりし神国浄土に改造せむや…」 『霊界物語』



やがて、大和の地も地球意識の働きにより、大洪水が起こりました。この時期は世界的に人々の心の乱れが蔓延していたのです。



そして、現在はどうでしょうか、外国ではノアの出来事、この日本では国常立尊が引きずり降ろされた当時、地球規模で起こった大洪水の出来事の前と全く同じであると感じないでしょうか。日本を含め世界中で地震が多発し、政治の混乱、国際情勢の悪化、中国、韓国、北朝鮮、アジア周辺も、中東、ロシア、ウクライナ等、怒り、憎しみ、争いに満ちてきています。また小さくは家庭においても、家庭崩壊が次ぎから次ぎと起き始めてもいます。日本も離婚率が高くなりました。その国が衰微する原因の中心は各家庭が崩壊することでもあります。ですから、一つの国を崩壊させるのに核などいらないのです。家庭を壊していけば国は滅びます。



このように現在の時期は、ノアの時代、国常立尊無き後とすべて酷似してきているのです。
ですから、当時と同じように警告の地震が起き、人々に気づきを与えていると言えるのです。いつの時代も歴史は繰り返すといいますが、聞く耳を持つ人はほんの一握りであります。ほとんどの人達は、地上の価値に溺れてしまいがちになってしまうのです。しかし、一握りの人達だけでも構いません。天津罪、国津罪を進んで洗い清め、気づきを持ち、御霊に目覚め、心を天界に向けて、地球規模の浄化に備えて頂ける人達がいればそれで良しということであります。しかし、出来る限り大勢の人達に目覚めて頂きたいというのが正直なところでございます。





        出雲 拝

2014年5月23日 (金)

気づかぬ潜在意識

『……こういう潜在意識の事について話がある。
 ──あるとき二人の友人がおった。そのうち一人があるとき酒に酔うたあげく、片一方の人間をボロクソに云うた。その云われた一人は恥をかかされたから非常に怒って、今にもなぐり倒そうと思ったのだが、その友が「酒に酔ってすまん事云うがた許してくれ」と地べたにへたり込んで悪かった悪かったと拝み倒して頼んだのでこっちも腹は立ったが、その時は直って、仲直りの後の二人は親友もただならぬほどの親しい仲となってしまった。


ちょうど男同志の夫婦みたいに仲良くなったのや、人から見ても羨ましいほど仲のよい親友になってしもうた。ところがある時、その悪口云うた友人が何かの事件を起こしてその許した男が証人に立たんならん事になった。だからその男は、友人の助かるように弁護してやろうと思ったのや。その男の云い方一つで助かりもすれば罪にもなる、生殺与奪の権を握っているのだから……その日になっていよいよ弁護する事になった。ところが自分が云ってやろうと思った事は一つも云えずに、腹の中から自然に男の不利な証言ばかりが出て来てベラベラ云ってしまった。──



つまりそれは何故かと云えばケンカした時、この野郎と思った、くやしい感情が表面は仲良くなったように見えたけれど潜在意識となってそれが知らず知らずの間に口をついて出てしまったのや。ああこんな証言は云うまいと思ったが自然に腹の中から声が出た。そして青年を罪におとしてしまった。つまり、それが潜在意識なのや。  人を残念がらしたりする事はこわい事やで……。
人を恨ませる事はとても悪い事や。人を憎んだり、苦しめたりする事は一番悪い。いわゆる守護神が覚えているのだから、なんぼ仲良くしておってもいつか仇を打つのや、本人は直っておっても腹の霊が承知しないのだから……喧嘩したらいくら後で仲良うしても忘れぬものや、表面仲良う見えるけれど、どうしても腹が承知しない。ワシらでもそうや。一遍ワシらにそむいて神様から離れて行ったような人間は何ほど改心して神様の所へ戻って来ても、前のようにこちらは温かい心持ちがどうしても出ん。一遍背いたら、なんぼ神心のようになってもあかん。それだけの事はどうしても報うてくるからな。』



       出口王仁三郎





上記はご生前の王仁三郎師の御言葉であります。大本の信徒の方であれば一度はお読みに、あるいはお聞きになったことがおありであると思います。



強烈な感情を伴う想念は必ず、自身の潜在意識に種が蒔かれるのです。一旦蒔かれた種は何もしなければ、やがて自分の表面意識で意識しなくても、知らず知らずのうちに成長してしまうのです。これが潜在意識のコワさでもありますが、これを良い種に変えていけば、自身が望む方向へと、流行りの引き寄せの法則でしょうか、それが現象として現れてくるようにもなります。


今日ここで申し上げたいのは、わたしたちには心のクセと言いますか、心のある傾向性がみなさんにおありと思います。御霊のアセンションのためにはこの心のクセを直すことが大切になります。何かに拘りやすい、すぐに取り越し苦労をしてしまう、すぐにカッとなってしまう、何かにつけ人を猜疑心の眼で見てしまう、人によっていろいろだと思います。

よく、ご相談が参りますが、職場の対人関係で嫌な人がいます、どうしたらいいですか、もうあの人とはやってはいけない、離婚を考えているのですが、
どうして私だけ、返済しても返済しても次々に借金が出てくるのでしょうか、いろんなご相談内容がございますが、
そこで共通していることは、眼の前に現れている現象だけに囚われて、それが自身の心の内で育った種の結果であるということに気づかないことなのです。この種は過去世から続いているものだってあります。それをカルマと言う言葉でいうこともあります。
職場の対人関係で苦労した、だからそこを辞めて、新しい職場に転職した、最初の数年間はああ~良かったと精神的にも安定していたところが数年経てばまた同じパターンの問題が出てくる、離婚した、ああ~すっきりした、そして再婚してやっと自分も幸福になれたと思ったのにこの人も前の人と同じじゃないかとまた同じ問題を抱え込む、やっと借金を苦労して返済したと思ったらまた借金して新事業に打って出たところが時期が悪かった、あの銀行の言うことが間違っていた、政府の政策が悪いだと環境のせいにする、そういう同じパターンを繰り返す人達がまありにも多すぎます。そしてそれに気づかない人達があまりにも多すぎます。


こういう悪循環に陥っている時こそ、その人の課題が出てきている時であるのです。その時に結果として出てしまっているその問題に囚われるのではなく、内に原因があると知って頂きたいのです。そして自分の心のクセはどういうところにあるのか、それを探り当てて頂きたいのです。こういうところへご相談にお見えになる方々は、何とかしたいと思っていろいろな霊能者や占い師のところをハシゴしているはずです。でもどうでしょうか?解決しましたか?
していないはずです。



わたしは、そういう人達にその人の立場から同情し、貴女は悪くない、世の中が悪い、あの人が悪いと言って慰めお飾りをつけてお話などは致しません。

なぜなら、心の傾向性を変えられるのは貴女ご自身だからです。
まず、それを認め気づくところから始めないといけません。気づいて自分の心のクセを直していこうと決意しないといけません、そうではなくて、何とかこの問題を解決してくださいイエス様、神様、仏様といくら唱えても、何も変わりません。こういう時に祈りなど通用しないと知ってください。


この心のクセを直す!という決意を強く持ってください。そう決意した時にはご自身の御霊の一部である守護霊という存在や貴女にご縁のある御神霊がやっと自分たちの仕事が出来ると喜んで協力してくれるようになるのです。それは目には見えないし感じることが出来ないかもしれないけれども、しかしそれが真実なのです!


また、いろいろとお勉強されている方には数十年も経った心の傾向性を変えていくのに同じくらいの年数をかけないといけないと思っている人もいるかもしれません、そう思いこんでいる人にはそれだけの年数がかかることもあるかもしれません。なぜなら言い換えれば貴女がそうしたいからという解釈になるからです。ところがほんのわずかな期間で変えて行ける人達だっているのです。
例えて言えば、数十年経過したビンの蓋を開ける時というのは、最初はいろいろ試みてもなかなかあけれないこともあります。途中で心が折れそうになることだってあるかもしれません。しかし、いろいろとやっているうちになぜか開くんです。では、ビンの蓋が開いたけれども、このビンは数十年間も閉まった状態だったので、中が見えるくらい明るくなってくるのに数十年かかるのか、というばそんなことないですね、開いた瞬間から中が見えるだけの光は差すのです。
谷口雅春師が仰られている通りなのです。


ですから、ちょっとしたコツを覚えるまでは悶々とするかもしれませんが、その時こそ、意識してください。自分には守護霊がいる、御神霊がついて下さっていることを。気づき、それをなんとか乗り越えようとする者に必ず協力してくださる存在があるのです。それをよくよく覚えておいてください。

こういった問題については今後も取り上げて御霊をアセンションしていくための指針として、また自身に与えられた課題を乗り越えるために角度を変えて参考になるようなものを出して参りたいと考えております。





        出雲 拝







2014年5月13日 (火)

出口王仁三郎から玉依姫へ

出口王仁三郎師が地上にいた頃、ある信者が、第2次大戦の空襲のことを指して「本当に火の雨が降って、大本の言う通りになりましたね」と言うと、王仁三郎師は、「筆先に出ている火の雨いうたら、あんなちょろいもんやない。ほんまに火が天から降ってくるのじゃ」と答えられました。




そして王仁三郎師は続けて、
『世界の人民3分になるぞよ”というお筆先は今後必ず到来する。日本は3分どころか2分より残らん。悪人は1人も残さんと、神様が言われる。日の雨が降るというのは、この程度のことではない。今は序の口で、本舞台はこれからじゃ。』





すなわち、どのように祈っても神が決められた立て替え立て直しは避けて通ることは出来ないということであり、人々の多くはこのまま行けば、ミロクの世に進むことができない。とくに大和民族はしっかり「身魂みがき」をする必要がある、と言い続けてきました。このことをすでに明治の頃から出口なおを通じて、「おおもとしんゆ」として伝え、王仁三郎師がその影響力を持って霊界物語に代表される預言などで人々に伝えてきましたが、当時なかなかなか人々は信じようとはしませんでした。




現在に至り、予言者としての出口王仁三郎を研究する人々は多いですが、王仁三郎師のほんとうの真意を知るものは少ないです。迫害され誤解を受けた波乱の人生でしたが、決して中途で途切れたわけではないのです。



この状態が続けば、ミロクの世を築くことが難しくなってくるということで、男神ではなく、龍宮から女神を表にたて、現在進行形から後世の人々に残すべきものを残すために龍宮から霊的真実をこの次元に降ろすために玉依姫が五割の御霊を持ち再び下生いたしました。



出口王仁三郎から続く神業は終わったわけではなく、師の熱意と念いは今も息づいており、玉依姫の神業をもって完結するということであります。やがて、時至れば、その全貌が明らかとなって参ります。一部ではこのことを隠された裏の経綸と言われることもありますが、裏も表もなく、元より計画されたことであります。
このブログではこうしたことをすべて明かすことは許されてはおりませんので、さわりだけをご質問者様に返信させて頂きました。






         出雲 拝

2014年5月12日 (月)

この世に生きるということ

『生命は永久に存続するもので、過去、現在、未来の三世にわたって生きている。吾々生物の生命は絶対不変無始無終にして、神の分霊分身である。ゆえに永遠にわたって不老不死である。…



 無限の生命、そこに吾人が絶対不断の生命を見いだして、永久に生きる事を悟った時、吾々の眼前に展開されるものはすべてが試練であり、すべてが教訓である事が覚り得られる。


 吾々が人間として世に処するその間の出来事を見ても、幾多の曲折があるので面白い。その当時は欲求に満たない、いわば一種の苦痛として痛ましい事であったその試練されたことを、時過ぎてから想い出した時に、みなそれは追憶となって美しき過去を見る事が出来る楽しさがある。


 過去の悲惨なりし歴史も、甘かりし恋路も、得意も失敗も幻の如く現実に浮かんで来るごとに、一種の愉快さを覚ゆる。そして過去から現在未来へと永遠無窮に生命が継続されつつ天国の果てなき国へと進んで行く。これが人生永遠の生命だ。


 自分は今までの体験から考えると、吾々の過去は真に美しかった。貧乏で食うや食わずの危機に立ったことも、冤罪を被って獄舎に自由を束縛されていた事も、世間のあらゆる嘲笑讒誣の的となったことも、過去の歴史の一頁として語る時、それはみな美しい、そして楽しい。


 たとえ貧乏生活でも悲惨の境遇でも、それを永続した時は勝利となって来る。勝利は常に正義である。社会から何ほど嘲罵され、侮辱され、批難されても、それ自体が永続したら、必ず末には正道として認めらるる事になる。現代人の大本に対する総ての観念も、今や勝利者として遇するに至ったのは、吾人が永遠の生命を確信して不断の活動を続けて来た活歴史の賜であるともいえる。』





         出口王仁三郎









『確かに、今、この時の、この貴女の人生は一回限りです。ただ、肉体は死とともに滅び、なくなりますが、貴女の御霊は永遠の存在であるのです。数限りない様々な人生を、新たな肉体とともに送っているのが、本当の貴女自身である御霊なのです。



この事を忘れて、後にも前にも一回限りの人生と観てしまうから、不公平感があるのです。何度でも言っておきましょう。魂は永遠の存在です。その永遠の時の中を、永遠の存在である御霊は何百回、何千回も生まれ変わっているのです。



光は、平等です。すべては平等です。光が当たらないのは、何らかの障害があるからです。動かすことの出来ない山かもしれません。いずれは消える雲であるかもしれません。人生も同じようなものです。
自分は、こんな所ではなく、違うところに住みたかったのだけれど、何かの間違いで、あるいは手違いで、こんな所にいるのだと思ったら、それこそが大変な間違いなのです。



転生の際、様々な本人の希望、このような時代に生まれて、このような環境の中で、このような人々とめぐり会い、このような一生を送りたい、という細かな希望というものも認められます。しかし、それは、三次元に肉体をもっている貴女方には理解できないような厳しい人生であったりもするのです。厳しい人生でも、その事は御霊にとっては、大切な経験であることを承知の上での事がほとんどです。』




    幸せを呼ぶ龍宮物語









この現世に居ては、いろいろな苦しみや哀しみ、別れがあります。どの方にもあります。人生全般をとってみましたら、その五割、六割が生きることのしんどさで占められているはずです。それがこの世とはいかなる世界であるのか、ということを私達に教えているのです。そしてここで、ある人々はその疑問から宗教遍歴をしたりもします。いろいろな研究や哲学思索もしたりします。




結局は、この苦しみというものを経験しないとこの世に出て御霊修行をしたということにはならないからです。と、こう言ってしまえば、ため息しか出ないのですが、
しかし、ここがまた大切なところであるのですが、現在自分自身がおかれているその環境から何を学べ、と言われているのか、天はわたしに何を期待しているか、それをじっくり考え、その環境の中にどっしりと腰を据えてみますと、いろんなことが見えてくるのです。しかし、それには「観の転回」が必要です。




ただ、単にその環境を体験するだけだと、それは人によってはさらなる悲観的人生の出発となってしまいますが、霊的真実を知った上で、その環境に身を置いてみますと、また違ったものが見えてくるようになるのです。
同じ環境に置かれても、そこから地獄への門を潜っていく者とそこから光の世界の門を潜っていく者と二極化が起きるのです。ですから、単なる体験に終わらせず、それを経験の領域にまで持っていくことが大切なのです。その時に運命の流れが変わって参ります。良い方向に変わるかさにら悪くなるかは、「観の転回」そのものにかかっているのです。



御霊のアセンションから観た場合、霊的な視点からは、苦悩の中にある時というのは、宝の山に埋もれている状態であり、それを見抜くことが出来れば、しめたものです。以前、中道についてのことも書きましたが、中道もその両極端を知らないと中道はわかりませんね。


これからわたしたちが体験し、経験するであろう、地球規模の出来事も、同じくそこからどれだけのことを「観れる」かそれにかかっております。地獄を見る人もありましょう。気づきを得る人もおりましょう。いろいろであります。






         出雲 拝








2012年11月29日 (木)

王仁三郎 語録

朝日は照るとも曇るとも   月はみつともかくるとも

たとえ大地は沈むとも    曲津の神は荒ぶるとも

誠の神は世を救う

三千世界の梅の花      一度に開く神の教(のり)

開いて散りて実を結ぶ    月日と土の恩を知れ

この世を救う生神は     高天原に神集う

神が表に現れて       善と悪とを立別ける

この世を造りし神直日    心も広き大直日

ただ何事も人の世は    直日に見直せ聞き直せ

身の過ちは宣り直せ

          出口 王仁三郎

人々の心根の二極化が始まってます。常に自らを振り返ることの出来る人、過ちを省みることの出来る人、見栄や体裁に引きずられプライドの捨てられない人、今後はますますはっきりとしてくるでしょう。口でいくら良いことを言い、文章やネットでまことしやかなことを言い、霊能詐欺や低級霊媒に振り回されている人、何れはみなさん、あちらの世界に帰ります。その時にはウソも体裁も通用しません。

グローバルアセンションというのはないでしょうけれど、個人個人における御霊のアセンションを起こす人は少なからず出てくるであろう思います。一気にこの三次元を御卒業なさる方々は出るでありましょうが、基本は自分自身の御霊に近づくための地道な精進にあります。

大浄化も近づいて参りました。いつ起こるか具体的なことはまだ玉依姫からもお聞きしておりませんが、真摯に受け止める人たち、あざ笑う人たちいろいろでございましょう。

ノアは数年かけて陸の上でせっせと方舟を造っておりました、人々はそれを観てあざ笑いました。しかし最終的にはノアと一部の人たち、家畜や鳥たちはその方舟により、命を次ぎの時代に繋ぎました。

今後は誰もが信じられない、と思うことが起きる時期に突入致します。

みなさんの中にはあのアトランティスの末期を経験した人たちも多くおられます。この日本にも数多くの御霊があのアトランティスの末期を経験しているのです。御霊にそのトラウマを持っている人たちも多いかもしれません。それほど身の毛のよだつ出来事でした。現代はそのアトランティスの末期に大変酷似しております。

たとえどのようなことがありましょうとも、それは神の怒りではないということだけは知ってくださいますよう。

むしろ神々は人間の主体性をこそ重視されます。人々が選んでいく道であるならそれも受け入れよう、としているのが神々でもございます。

一人でも多くの人が神の側に付き、たとえ愚直と思われようとも真っ直ぐな道、正道を歩んで頂けたらと思います。わたくしもその道を歩み続けます。

            出雲 拝

2012年3月14日 (水)

王仁三郎 語録

西洋諸国には古来幾回かの人種の大移動を繰り返して来た。前の人種を後の人種が全滅する、優等人種が出てこれに代わり、転滅戦につぐに全滅戦をもって今日に至ったので、残虐の継続が今日を築き上げたものとみられる。そして西洋思想は実にここから生まれている。

 地上の草木を知ろうとするなら、まずもってその土地を充分に調べてみなくてはならぬ。しかるに日本人にして、日本を知らないものがある。日本に生まれ、日本に育ちながら、日本の歴史、日本人の習慣性等については全くこれを知ろうとさえ努めるもののなき現代である。日本人の言葉といえば浅薄なもの、西洋人のいう事なれば、必ずそれが真理であるように、早呑み込みするようになってしまっては始末に困る次第である。…

 特に今日の青い連中の読物はすべて西洋のもの、語る所もまた西洋のもので、日本は昨日まで未開野蛮国であったのだ、西洋のおかげで文明国になったのだと思っている。しかもこれらの連中は自他ともに知識階級と称して怪しまない。こんな事では日本の神国も前途はなはだ寒心の至りである。

 まずこの迷信を打破することに努め、日本人には日本固有の真の文明を知悉(ちしつ)せしむる事が刻下の急務である。
 
       出口 王仁三郎

2012年3月12日 (月)

王仁三郎 語録

 手も足も動かさずしてみろくの世、

 早や来れかしと祈る曲神

 大三災小三災の頻発も、

 人のこころの反映なりけり

        出口 王仁三郎

2012年3月 9日 (金)

王仁三郎 語録

「現代人は、霊界いっさいの事物と人間いっさいの事物との間に、一種の相応のあることを知らず、また相応のなんたるかを知るものがない。かかる無知の原因には種々あれども、その主なるものは、「我」と世間とに執着して、みずから霊界、ことに天界より遠ざかれるによるものである。…」

            出口王仁三郎 

2012年1月27日 (金)

2月2日前後のご注意

玉依姫様より、再びメッセージを頂きました。

『この1週間、「1日一生と思って大切に生きましょう週間」、

皆様それぞれ何か不思議な事を体験するでありましょう』


     玉依姫



2月2日まで一週間ほどです。当たる、当たらない、という短絡的な見方以上にあちらの世界では切羽詰まっております。

どうぞみなさま、人間は御霊であるということを腑に落とし込んで頂きたいと思います。

今後は、一日一日を大切にしてくださいませ。

一日を大切にして生きるとき、人は一瞬のなかにすべてをこめて

生きることができるのです。

それが、高橋信次先生が言った、反省の意味でもありますし、

禅でいう「今を生きる」ということでもありましょう。


この短い玉依姫のコトバに深い、深い、私達への念いが込められております。

2011年3月10日 (木)

神とは

神の存在を否定する人々に、むつかしい理屈は禁物である。野に咲いている百合の花を見せて、もしその人が「美しい」といつたら、それでよいのだ。その人は十分に神の存在を知っている人である。すなわち、その人は理屈で神を否定しながら直感で神の存在を知り、肉眼で神を見ないが、すでに魂のどん底で神のささやきを感得しているのである。

 …神は理屈で論ずべきものでなく、肉眼で見るべきものでなく、直感で知り心のささやきで感ずべき存在なのであるから、神を否定している科学者や理論家たちも、結局、科学や理論では神はわからないということを証明しているにすぎないのである。

          出口王仁三郎

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