コメント記事

2015年12月 9日 (水)

ご質問

「私は高橋信次先生に、お会いしてはいませんが、信次先生の言葉は本物だと感じています。…悪魔、と言ってきた人もいます。なのでこのブログで信次先生がでてきていてビックリしました。このブログの内容は他にはない感覚です。アンチ信次が多いなか、どうしてそのような根拠?になっているか教えていただけたら幸いです。」との問いについて

アドレスがないので久しぶりにこちらに書かせて頂きました。高橋信次師は九次元界にお戻りでございます。これは玉依姫からの情報です。あちらの世界でもよくお話をなさるそうであります。

翻って、この次元に立ち返って、余裕がおありなら、ご生前の著書、「心の発見」三部作、「心の原点」をお読みになられれば自ずと偽物か本物かおわかりになられるでしょう。この現世の人間が理性的に考えても理路整然と
しかも、わかりやすく書かれているのがおわかりでしょう。その後、「幸せを呼ぶ龍宮物語」をお読みになれば何が本物で何がそうでないのか、腑に落ちるでしょう。

 

 

また、高橋信次師の悪魔についての著書もあります。まさにあなた様が周囲から言われてきた手口そのものが悪魔の手法でもあります。ほぼ九割正しいことを理性に訴えかけながら、残りの一割で引っかけてくるのがいつものやり方であります。

 

 

もし高橋信次師が唯一、悔やんでいることがあるとすれば、それは次元構造をこの三次元に降ろしたことです。このブログでも何度も何度も申し上げている通り、あの世の次元構造というのは、この世的な上か下かの差別とは全くかけ離れているのです。

 

 

 

高橋信次師はもちろん後世に残る功績をのこされました。しかしそれが確立されるにはまだまだ時間がかかるでしょう。イエスも迫害され殺されました。その弟子たちも次々と殺されていきました。当時は偽預言者として扱われたからです。釈迦も当時は今で言えばただの新興宗教扱いでした。イエスも釈迦も教えが確立されるまで数百年以上もかかっているのです。

 

 

高橋信次師も谷口雅春師も出口王仁三郎師もまだ100年も経っていません。いつの時代も本物の神理を残した人達がその名を刻むのは時間がかかるわけです。今回の玉依姫とて同じでございます。こちらの龍宮界も偽物だと言う方々もおります。こっちの龍宮界が本物だ、どうだこうだとか、そして玉依姫とコンタクトを取っている人も何人も?いるそうであります。

 

 

ですから現在進行形で、というわけにはいかないのです。それどころか男性高級霊たちは迫害される方が多いです。出口王仁三郎師は弾圧され投獄までされました。高橋信次師を悪霊扱いされてもそれは時代性でもありますね。致し方ありません。

 

 

高橋信次師は心の偉大性とその法則性、そして次元との関係を詳しく説かれました。心をまあるくするために「中道」の大切さを口をすっぱくして言われ続けられました。そのためには八正道が大切ですよ、と言い続けてこられたのです。

 

 

谷口雅春師は心の法則と神の一部である自身の自覚を持つことの大切さ、いえ神そのものである自分を信じる大切さを教えられました。そのために自らの「実相」を常に見つめることと人の「実相」を見つめることの大切さを教えられました。本来あるべき真実の姿とは、神の属性そのものである。ということですね。

 

 

出口王仁三郎師は神の国をこの世にうつしだす具現化をこころみ、御霊の偉大性や今までにない未来型の教えを教えられたのです。そして「万教同根」、あらゆる正しい教えは根はひとつということを言い続けられました。どのような説き方の違う教えも目指す目的地は同じであることをすでに知っておられたからです。これは当時とても画期的な考えであったのです。

 

 

今現在、世の中は揺れながら動いておりますが、正義と称していろいろなデモを国会前でやっていたり、さまざまな国々でデモなどやっておりますが、以前ご質問がありました中で神はどちらの味方についているのかとお聞きになられる御方がいました。その時に私はこのようにお答えさせて頂きました。もし、高橋信次師、谷口雅春師、出口王仁三郎師、そして玉依姫がお答えになるとしたら、逆にあなた方にご質問なさるでしょう。「あなた方はほんとうに平和を望んでいるのか? ミロクの世を望んでいるのか? 望んでいるのならどうして『平和』に意識を向けない?」この意味を是非あなた様にお考え頂きたいのです。

 

 

正義を振りかざし、あいつは間違っている間違っていると人を批判し争いの想念を生むことは結局は地球環境をその悪想念で破壊し続ける行為に繋がり、気象の大変化を生み出すだけです。ほんとうに正しく高橋信次師の言う中道をしっかり理解され、谷口雅春師の光一元を理解出来ていたら、このようなご質問はないはずなのですね。二元対立的に物事を見ても何も根本はわかりません。

 

 

そしてもう一つ申し上げておきたいことがございます。それは教えにおいていろいろと争うのは、枠組みを設けた団体にあります。この枠組みを作りますと、自分とこの教えだけが正しくて他は間違っていると本来御霊が持っている自由な個性を押しつぶされ、視野が狭まってしまうのです。これまではそれで良かったかもしれませんが、これからは団体やひとつの教えに固執するのではなくて、ご自身の「御霊で立つ」時代なのです。それがアクエリアスの時代なのです。そのことをどうか知って頂きたいと思います。また詳しくは学習会にてお話する予定です。

 

 

 

 

          出雲  拝

2014年7月22日 (火)

先祖供養とまつりの意味

【先祖供養についていくつかお聞きしたく…】とのご質問について





先祖供養を軽んじているのではないかというご指摘でありますが、そうではありません。危険なことが多いので、下手な先祖供養はしなさんな‥と申し上げてきたのであります。



これはどういうことかと言いますと、ご質問者様には大変厳しいことを言うようですが、やはり、動機がどちら側にあるかにかかっているのです。その動機が心からの愛に根ざして見返りを求めないものであれば、問題はございませんが、先祖供養すれば、運勢が良くなるだの、こうしなければ自分や家族に障りが出るだの、何代前の先祖が迷っているから自分たちはうまくいかないのだとか、そんな欲や恐怖心が根底にあっての供養は、残念ながら、天国に届く供養ではなく、地獄やその辺の不浄仏霊が感応する供養となり、良くなると思ってやった供養がますます悪くなっていく縁を創る行為となるのです。




これまでいろんな方々の先祖供養のあり方を観ておりましても、そういう方々があまりにも多くいらしたので、先祖供養などはあまり言わないようにしてきたわけです。先祖供養を運気アップのための風水グッズ的手段のようにお考えであるなら、そのお考えを改めて頂きたいと思います。




また、お墓参りに行くという言い方を一般的にしますが、ほんとうは「先祖参り」が正しいのです。お墓の墓石に先祖が居たらそれはそれは大変です。(¨;)
先祖参りやお仏壇で先祖をおまつりする時は、先祖に感謝をするのが正しい供養です。では何に感謝するかですが、「幸せを呼ぶ龍宮物語」を手元にお持ちであれば、第三章P143からP144を見て頂きたいのですが、そこに玉依姫はこのように仰ってます。




…そして鏡の前に立って、日々、貴女の肉体に御礼を言ってください。いずれは別れる肉体に、御礼を言って、一日を始めてください。貴女の御霊が丸い水晶になる間、貴女方を守ってくれている肉体、三次元に存在する事を証明してくれている肉体でもあります。四次元の未熟霊などからも、肉体が、貴女方の御霊を守ってくれているのです。ですから、今、生きることを共にしている肉体にも、日々、感謝する事です。




これは先祖供養の根本なのです。御霊を向上させるために肉体舟を与えられたことへの感謝が根本になくてはならないのです。両親があって肉体を与えられ、そのまた祖父母があり、祖祖父母があり、先祖代々があって、現在のご自分があるのです。


ですから、自分の両親を貶し、バカにするようなことを言いながら、先祖供養など出来るはずもなく、うちのばあちゃんボケた、爺ちゃんボケたといって蔑むような態度で先祖供養が出来るわけもありません。生きている自分の身内に孝を尽くす心であって、はじめて正しい先祖供養が出来るのです。



肉体舟を与えられ、この家系に生まれ、御霊修行をさせて頂いていることへの感謝をし、肉体があるうちに必ずや御霊を向上させてまいります、という誓いをするのが、それが真実の先祖供養であります。





「…あなたは先祖供養はどうでもよいと考えているのですか?‥」とのご質問でありますが、その前に、わたくし個人的にはこの先祖供養という言葉がどうも好きになれないので、以下「祖霊まつり」という言い方をさせて頂きます。
どうして「まつり」という言葉がつくかと言えば、「まつり(祭)」というのは、「真釣り合わせる」という言葉からきています。それはどういう意味であるのかと言いますと、調和するということなのです。


神と地上に生きている人間とのまつり、すなわち調和、夫と妻とのまつり合わせである調和、企業や組織とその従業員との「まつり」であるところの調和、国家と国民との「まつり」であるところの調和などを言うのです。ですから、神社でお祭りがあったりしますが、あれも神と人とを身近に結びつけ、調和させるためにあるものです。御神輿などもそうです。国政に携わることも「政」と書いて「まつりごと」と読みますし、祭りとは本来そういう意味合いがあるのです。ですから、わたくしは、あなた様がおっしゃる先祖供養はどうでもよいどころか、最も重要と考えている一人でもあります。



前回のブログにも書いたと思いますが、国を滅ぼすのに核など使わなくても、各家庭を破壊していけば、国が滅びるということを言いましたけれども、逆に家庭を調和させ、発展させていくことは国を富ますことになるのですね。祖霊を祭り、祖霊に感謝をしながら、家庭を営んでいくことは、家門高く富み栄え、国を栄えさせる原動力となります。


さて、ここまで書いて一部の御方々は、三百年以上も経った祖霊などは生まれ変わっているのではないか、だからそういう霊たちにはまつりなど必要ないのでは、とお考えになっているかもしれません。
祖霊まつりというのは、先程から申し上げている感謝の心を持つおまつりであり、それはどこに向かっているのかと言えば、祖霊にも届き、さらにその感謝の念いは神に向かっていくのです。神に向かった念いは、もし迷っている先祖がいれば、上位の御神霊が導きの光を降ろすようになるのです。



また、肉体を離れた霊人は何も食べなくてもいいから、お供え物などいらないのではないのか、と思っている人達もいると思います。たしかにその通りでありますが、それは一を知って二を知らないお考えなのです。たとえどのような質素なものであっても、みかん一つ、リンゴ一つであっても、それが心からのものであれば、あちらの世界にはそれはそれは大変なごちそうとなって、現れるのです。



心からの念いはあちらの世界では何十倍も何百倍にもなって現れます。
ですから、亡くなってそんなに経っていない霊人であれば、実際にその念いとなったものを食し、その美味しさを感じているのです。悟りが進みもう三次元に居た頃の人間としてのにおいが無くなった霊人たちは、そういうことも必要でないかもしれませんが、あちらの世界では食べなくてもいいのですが、食べたいと思えばそれを味わうこともできますし、お酒なども味わうことも出来ますし、自由自在の世界です。それは三次元の物質的な食べ物など比べ物にならないほど、あちらの霊的な食べ物は美味しいのですね。


神社のお祭りは楽しいものです。盆踊りなどのお祭りも見ているだけで、何か楽しくなります。「まつり」とは楽しんで自ら調和しようとする行為であります。
祖霊に対しても神に対しても、畏れ敬いつつ、明るく、楽しく、親しむ心ですることがあちらの世界に通じる秘訣でもございます。これが「神向心」なのであります。



一昔前に各家庭には、祖霊をおまつりすると同時にどこの家庭にも神棚がありました。朝、仕事に行く前にパンパンと柏手を打ってそして会社に出掛け、学校に行ってたと思います。神棚は、自分と社会を祭り合わせる意味であったのですね。家庭においては、祖霊と共に生活し、社会生活においては神とともにであったわけです。



松下幸之助氏はこの「まつり」の本当の意味をよく知っていたひとりでした。各工場や社屋に鳥居と社を設けていましたし、自らも、朝出社して最初にすることは、社に手を合わせることでした。
現代ほど、「祭り」が必要な時代はないのではないかと、私は思います。また祭りという全てと調和する心はアクエリアスの時代そのものであるのです。もう一度、本来の「まつり」の意味をじっくりと皆様方もお考えになられてみても宜しいかと思います。大ざっぱに書きましたが、以上をご参考にしてくださいませ。





           出雲 拝

2014年5月17日 (土)

ご質問 まとめ

 
「人間は御霊だということはわかりましたが、どうしても次元の高い御霊、低い御霊というふうに見てしまうのですが…」との問い




それが知で御霊があるということがわかった段階であります。それは最初の第一歩でありますけれども、その先はいくら頭で理解しようとしても、御霊の全てはわかりません。あなたは他の人の御霊は素晴らしく見えるけれども、自分の御霊はちっぽけなものだと、まだまだ次元の低い御霊だと思っているところが問題ですね(^_^;)この世の価値尺度で御霊を判断しているところにあなたの誤りがあります。



何度も何度も言ってきましたが、御霊は偉大です。例えば一本の大木を神とたとえれば、その木には葉っぱが繁っています。その葉は一見すると同じように思えますが、実は同じ葉は一枚もないのです。それぞれがみな違うのです。
一本の大木は無数の異なった葉を持つ木であります。神さまは自己反復は決してしません。あなたの御霊はユニークで特別な個性として創られたのであります。それが神のご意志だからです。あなたにしか出来ないことをさせるために。
やがてはどのような御霊の方でも、最終的には一つの惑星を預かるだけの御霊へと生長していくようになっているのです。宇宙は御霊の数だけあるのです。



おそらく、あなたにはいろんな諸問題や悩み、劣等感がおありなのだろうと推測いたします。まずはそれらを解決し、もう少し自信をつけて頂きたく思います。
三次元の諸問題は三次元を超えた、あちらの世界の視点を持つことによって、違った観方が出来るようになります。もう少し頑張って頂きたく思います。それが御霊のお勉強ですね。







「…玉依姫が地上の人間を観る時には、どのように映るのでしょうか、地獄に行くか天国に行くかもわかるのですか‥」




おかしな巷の霊能者と称する者たちは憑いているものが動物霊であったり、地獄界の者、魔界のものといろいろです。ですが、言うことはご立派であります。そういう霊能者たちは、現在その人が考えていること、よこしまなことを考えていることを言い当ててみたり、ちょっと先の未来を言い当ててみたりすることは出来るのです。



この三次元世界は地獄のてっぺんでもあり、地獄の者たちに一番近いところですから、よくわかるようであります。こういう人達に鑑定されるとコワイくらいよく当たるとみなさん言いますね。




ですが、八次元にある龍宮の玉依姫がもし、地上のあなたを観るとすれば、五千年以上前のあなた(おそらく、数十回の転生)、そして現在のあなた、そして未来のあなたというように過去、現在、未来を同時に観ることになるのですね。すなわち高次元霊の観方というのは、近視眼的でピンポイント的な見方ではないということです。もちろん、ある問題にスポットを当てて観る時もありますが、そういう時であっても、狭い観方ではないということであります。コトバで書けるのはこれが限界です(^_^;)。高次元霊たちが地上を観る時というのはそういう観方なのです。




ですから、これから起きる天変地異も近視眼的な観方ではなく、先の地球も同時に観ているのです。人類の行く末も同じです。そういう観方をしつつ、現在を少しでも善導しようとして活動しているのが高級霊界の神々であり、地上の人々を長いスパーンで良いも悪いも経験させて御霊を生長させているということであります。







「瞑想と精神統一がいくらやっても上手くいかず、雑念ばかりが出てくるのですが、どうすればいいのでしょうか」との問い



雑念は出るにまかせるのがベストです。そのうちいろんな思いが昇華されていきます。ただ、強引な意志の力を使って精神統一をし、無になろうとしているうちに変な霊的災いに巻き込まれることがありますから、悩みがある時や体調が芳しくない時は瞑想はむしろしないほうが安全です。



正道では、まずは八正道などの反省から入るのが一番安全です。それも瞑想というよりも、紙に自分の心のクセを見つけるためにいろんな思いや出来事、その時の自分の感情、腹の立つことなど遠慮なく書き並べてみますと、すっきりしつつ、自ずと自分の心の傾向がわかってきます。次ぎにその心のクセを直すために無理のない程度の新しい行動パターンを考案して実行してみるのですね。あまり霊的なものを求めて瞑想などはなさらないほうが賢明であります。
精神統一についてかつて出口王仁三郎師が信徒さんに語っておられたのがありますので、それをご参考までに出しておきます。





『雑念云うけど、鎮魂をして坐すわっておってもいろいろの事を思い出すように、無我無心になるとか、精神統一をするとか云うても、統一しようと思う心がすでにもう統一が出来ていない。無我無心になろうと思うから無我無心になれぬ。
 人と云うものはいくつにもその魂が分かれて動くのだ。あっちにもこっちにも魂が分かれて活動する。だからいろいろ思い出すのは、その分かれて活動している魂が思わせるので、それをまとめる、統一するのが本当の統一なのだ。思い出す事は良いのだ。忘れた事を思い出し、あっちの事を思い、こっちの事を思い、一時に一切の事を思い出す。それで本当に統一が出来るのだ。それが本当の無我の境きょうなのだ。精神喪失状態になるまで行くのが無我の境だと今の人間は思っているが、それは間違っている。そんな事をやって亡骸になったら大変や。 (笑声)



霊のある間は天かけり国かけりして勝手な事を思い出させる。つまり神様は天かけり国かける、その神に習うのが人間や。あっちの事やこっちの事を思うのが、それが真実で、そうでなくては死んだようなもんやないか。高山の伊保理、短山の伊保理を掻分かきわけて聞召きこしめさむ……総て人間がそうなった時には色々の事を良く思い出す。その時は伊都の千別ちわきに千別ちわきてあれもせんならん、これもせんならんと云う気持ちになって来る。それが無我の境でみんなの考えているような皆忘れて死んでしまう事とは違う。ああしよう、こうしようと云う智慧がついて来るのだ。あっちを思い、こっちを思う、それが大本の無我で今の世の中の無我とは違う。世の中の無我とは死んだ無我や。大本のは生きた無我や』




       出口王仁三郎




2014年5月15日 (木)

天変地異は人間の悪想念が原因?

『地震は人間の悪想念で起きるのではないですか…高橋先生の著書でもそういっているが、
ここでは人間の心がけなど関係ないようなことを言ってますが。』との問い





このご質問もよく頂くものの一つでありますが、
それは直接的原因というよりも「間接的原因」であるということであります。天変地異の直接的原因はそれは地球そのものの働きであります。三次元に現れている地球という惑星はわたしたち人間が肉体を持っているように生きております。
生きているからこそ、火山噴火も起こり、地殻変動も起こります。




高橋先生は台風や大雨、大雪というのは大自然を中道に戻すための作用であるとご著書では言っておられると思います。このブログでもお書きしたことがありますが、気象の変化は争いの心が原因であるということをお書きしました。ここ数年の雨の降り方、大雪、台風の強さ、竜巻など異常気象はずっと続いております。当然、こうした異常が続けば地球自体のさらなる悪影響が出ます。



つい最近わかったことでは、地磁気の高さの異常、大気層の異変などが起きておりますし、深海での異常も出てきてます。また、一部の科学者の警告として地球の磁場が崩壊してきているということを発表してます。この磁場が崩壊しますと、さらに異常気象が激しくなるとの警告もしているようであります。



異常気象が磁場の崩壊を生み、磁場の崩壊はさらなる異常気象を生み、それらが積み重なると地球自体の異変が加速され、地軸移動が起き、地殻変動が激しくなることも予測されて当然でありましょう。すなわち「間接的原因」が直接的原因を大きく刺激しているというふうにお考えになられて良いと思います。



みんさんもおわかりかと思いますが、異常気象や天変地異以外に世界中のいろいろな国で様々な出来事があります。日本でも数々も問題があります。いろんな問題や出来事があった時、それぞれの国民性もありましょうけれども、
「中道的な観方」がどうも出来ないようであります。どこもかしこも偏った見方をしております。メディアもそうです。これは根底に死ねば何もかも終わりだという、人間は肉の塊にしかすぎないという考えに根ざしているからです。その考えから欲が生まれ、利権が生まれ、「我よし」の考え中心になっていくのです。
もうずいぶん前からそんな考えは間違いであるということを高橋師も、谷口師も、王仁三郎師も伝えてきているのですけれども、それでも肉の身に翻弄されわからなくなっています。今までから何度も申し上げてきている、天上界の視点をもってこの世の諸問題を観た時には自ずと中道の観方になるのですけれども、肉体こそすべてだという考えからは何々しないと損、という発想が生まれ、肉の身の自分を守るところからいろいろな争いが心の根底に形成されていくようになります。



このブログを真摯に受け取り観てくださっている方だけでも、天上界の視点を持って、世の中の出来事を観て頂きたいと思います。
天上界はこのまま進めば大戦は避けられないと懸念しております。それを自然の力によって、回避させようと計画もしているのです。苦しい浄化の時期を迎えますが、気づいた方から御霊のアセンションをし、次ぎの文明に移行して頂きたいと切に願うばかりです。



日本は世界の雛形、この日本に起きたことは世界に拡大して起こるということ、それを覚えておいて頂きたいと思います。







          出雲 拝



2014年5月11日 (日)

ご質問 まとめ

『地球規模の出来事といわれるものは、地殻変動、地軸の移動、隕石の衝突など多岐にわたると思いますが、この中でどれが起きると思われますか。いつ頃それが起きるのですか、』との問い



そのすべてが起こります。最終的には日本が雛形となっておりますので、日本に起きたことが世界に拡大して起こります。すでにその型は出始めており、海外でも大きな天変地異が近々あるということは伺っております。時期を明言するのは非常に難しいですが、カウントダウンに入っていることだけははっきりと言えます。







『韓国船沈没事故は〇〇神社の仏罰であるとの噂がありますが、どう思われますか、』との問い




そうです、とだけ申し上げておきます。それから、これまで何度も申し上げてきていることですが、自然界が動き出しておりますので、山や海など、特にそこがパワースポットだといって、むやみやたらに行くことは御法度です。







『…御霊で知るということをよく言ってますが、その意味がよくわからず?…』
との問い





では、ご質問者様が学ばれている精神世界のコトバで申し上げましょう。それは
ハートで知るということであります。マインドはいろいろと判断します。これは知的判断のためのものであります。そのマインドを表現し伝えるために日本語などの言葉があります。言葉は三次元の事象を指し示すための道具です。この三次元の言葉で三次元を超えた御霊のことやあの世のこと神々の世界のことをすべて伝えきることが出来るのか、と言えば無理なお話であります。三次元を超えた世界のことは三次元のマインドで理解し、それを言葉で説明するのは出来ることではありません。せいぜい全体の三割程度くらいであります。それを補うのにいろんな喩えでお話したりしますが、それでもやはり不完全燃焼であります。


いわゆる悟りというものも、マインドで知るのではなくハートで知ったことであり、それを全て説明し尽くすのは無理です。昔から悟りは悟った人のものであると言われるのはそのためです。
では、御霊で知るということ、あるいはハートで知るということは大変難しいことなのか、と言えば全然難しいことではありません。これは何度も言います。
全然難しくないのです。なぜならそれが自然な姿であるからです。自然な姿というのは、あなたご自身が御霊であるからなのです。御霊でないものなど誰一人としておりません。ハートは三次元を超えた知性です。
あなたがわからないと仰るのは阻んでいるものがあるからです。何がそれを邪魔しているのか、それは大きく分けて大体三つくらいあると思います。
一つは何か執着がある、二つ目は、何か自分に不利益なことがあった場合に、それを人や環境のせいにしていること、すべての出来事は自らの内が原因であるということを真に知らないことです。三つ目は自分を愛していないということです。劣等感があったり、自分のマイナスのところにばかり意識が向くことです。


だいたいこの三つがあるとマインドからハートへの橋渡しが出来ないのです。
あなたが学びをされている書物にも書かれていると思いますが、そうしたものを「手放す」という表現をしていると思います。正道の神理では八正道による反省があったり、一霊四魂による禊ぎをしたりしますが、これは同じことなのです。正しい大宇宙の理法は、同根であります。わたしたちはそれを「万教は同根である」という言い方をよくします。
ですから、まずあなたが握っているそのマインドを手放してください。そうすれば御霊で知るということの意味がわかります。必ずわかります。手放すということは、非常にアホらしいほど単純な作業です。そのような単純な作業でハートが全面に出てくるのです。まずマインドでグルグルと堂々巡りしないで、それを手放してください。八正道や一霊四魂が難しければ、セドナメソッドなどでもよいのです。そしてそのハートで本物の天上界の神書である「幸せを呼ぶ龍宮物語」をもう一度読んでみてください。どれほどの光の量があるかそれがわかるようになります。









『龍宮界の男性霊の高次元の方は何人くらいそちらで活動しているのですか、それから高級霊が出る時、縁のある魂はみんな次元が高いのですか』との問い





龍宮出身の男性霊は残念ながら誰一人集まって来ておりません。今回の玉依姫の神業の後を継ぐ者は今後、出てこられるものと思います。それまでの基礎創りはわたしたちがしていくことになっております。龍宮の男神たちの共通したものを言えば、女性霊の影響を強く受けるというのがあげられると思います。それは母であったり、縁のある女性霊であったり、同じく龍宮の女性霊であったりいろいろです。もうひとつは、地上に出た時は、繊細さと剛胆さの両面を持ち合わせているのが特徴なのかもしれません。日本武尊、素戔嗚尊、出口王仁三郎が龍宮の男神の代表であります。



ご質問者様に申し上げておきたいのですが、ご自分が龍宮出身なのかどうなのかそのことばかりが気になるようなら、いったんそんなことは忘れて頂きたいと思います。わたしたちはみんな肉体を持って三次元に居るのです。ここに居るということで、どこの霊域だとか、そういうことに意識があるというのは、先程のご質問のようにハートが出ていないことの証であります。誠の龍宮の男神は、自分が龍宮であろうがなかろうが、そんなことにあまり関心を示さないのが真実です。そして自分の三次元での仕事をその御霊に深く刻み込んで出ておりますので、
来るべき時が来れば、剛毅さを全面に出して、活動を開始するものです。
時に、それが荒々しく映ったり、誤解を招くこともあります。何れにせよ非常に苦難な道を歩むことになることを覚悟して地上に出てくるということであります。

また山岳系や天狗系の方は紆余曲折があったりしますが、霊的カンがよく働き、
三次元に強いというふうに思いますし、仙人系は研究熱心です。とにかく一つのことに没頭できる素晴らしさがあります。キリスト教系や仏教系に属している方々の仕事は過去のご自分たちの宗教に区切りを付けるのを任務としてこの次元に出てきていることが多いです。

翻って、霊域や次元にかかわらず、御霊に近づきハートを開いた方々は必然と自分に出来ることをなしていこうとするようにごく自然になっていきます。地球という星を愛し、自然を愛し、そして自らを愛する者にこそ、実は玉依姫の眼差しは注がれるのです。そういう方にこそこの龍宮に集まって頂きたいのが本音であります。




それから縁についてですが、たとえばイエスにも兄弟がいましたけれども、では他の兄弟が全て次元が高いか言えばそうではありませんね。むしろ他の兄弟たちはイエスのことがよくわからなかったはずです。幸せを呼ぶ龍宮物語の著者の周りにも龍宮出身ではなくても縁のある方々はおられます。縁というのは次元というよりも過去世に由来していることが多いですね。ですが、もっと大切な縁とは、今世ではじめて出会う縁だとわたしは思います。そういう方々ははじめてであるがゆえに、戸惑いがあったりすることもございますが、わたしたちの御霊のアセンションを後押ししてくれる場合もあります。ですから、どのような人とどのような関係になったとしても、自分にとって苦しみの関係であったとしても、
学ばせて頂く縁というのは大事であります。振り返って全ての縁に感謝を持てるようになれれば御霊のアセンションは間近であります。






         出雲 拝

2013年12月 4日 (水)

文明の末期に生きる私達

このブログでも当初より申し上げて参りましたけれども、私達は文明の端境期に生きております。皆様方の中には、昨日も今日もそして明日も何も変化がないとつまらない日々と感じている人もいれば、仕事に追われ、対人関係で疲れ、ご自身の運が良いとか悪いとか、お金の心配だとか、そういう日常生活を送っている方々もおられるでしょう。


あるいは、霊的に敏感な人は何かこれまでと波動の違いや何か変な感じがしたり、違和感を感じたりしている人たちも多くおられるはずです。


繰り返しになりますが、今、この時代は地球にとっても大変革期にあたります。その前はアトランティスの末期の時代でありました。これは地球規模的な大浄化の時期と言ってもいいかもしれません。


新たな大陸が浮上したり、これまでの生活基盤となっている大陸が沈んだり、三次元的には大変な様相を呈することになる、そういう時期であります。この日本の国も「幸せを呼ぶ龍宮物語」にも書かれているように、日本の地形そのものが変わるということも書かれております。これは遠い十年先、二十年先のことではなく、もうそこまでその時期が近づいているということであるのです。こう言うと不安を煽ったりすると言われるかもしれませんが、


しかし、時代は待ってはくれません。その地殻変動を止める力は人間にはありません。どのような祈りもどのような祈祷も通用するものではありません。三次元に現れている地球という惑星は言ってみれば地球の肉体にあたります。


天変地異、地殻変動が来ないように祈るというのは地球が健康体に戻る作用を阻害することに当たるのかもしれません。誰もどのような高級霊でありましても、止めることはできないですし、止めることはしません。新たなアクエリアスの時代を、弥勒の世を築くためにはどうしても通り越さなければならない道程だからです。


地球を病気にしたのは、他ならぬ私達であります。そのような病気の状態の地球というのは、隕石ですとか、あるいは人工衛星、その他の宇宙ゴミも吸い寄せてしまう危険性もあります。


出口王仁三郎師は火の雨が降るということを預言しておりますが、これは当時の太平洋戦争による空襲を意味していたと考えられていましたが、終戦になってから、王仁三郎師は火の雨は空襲の時のようなあんなチャチなものではない、ほんとうに火の雨が降ると言い残しております。


大峠というのは地震や津波、火山噴火、異常気象だけでなく、空からの危険もあるということを知っておいてください。そしてその大峠の足音はもう大きく聞こえだしてきております。その時がいつかはわかりませんが、ある日突然やってくることになります。


そしてこういう出来事があるということは皆様方全員が生まれる前に知っていたという方々も沢山いらっしゃるのです。この次元で生活しておりますと記憶から消えているだけでありますが御霊では知っている方々は沢山おられるはずです。


またこういう時代は御霊が一気にその次元を上げることが可能な時代でもあるのです。ですから、大変になることも承知の上で出てこられた方々も沢山いらっしゃるのです。チャンスの時と思って。そしてそれは真実であります。アトランティスの時もやはり同じく、その御霊の次元を上げていった方々もおりましたし、外宇宙へと旅だっていった御霊たちもおりました。今回もまた同じく、そのような経験をされる御霊の方々もおります。


皆様方のなかには様々な宗教遍歴をされてこられた御方々もいるはずです。そこでいろいろな学びをしてこられたでしょう。しかし、そこで縛りを作ってしまってはなんにもなりません。このコトバがわかりにくければ、その最初に学んだ教えがベースになって偏狭な心になってませんか、教えの細かい部分に拘りをもって全体を見失っていませんでしたでしょうか‥


キリスト教の方も仏教の方にもイスラムの方にも、新しい教えについている方にも、いろんなネットの信者の方にも申し上げたいのですが、皆様方が今世に肉体を持ったのは、過去学んできたことの集大成をするということなのです。


それを簡単に言いあらわしますと、全ての正しい教えは根は一つであるということを「知る」という学びです。それを学ぶために出てきているのです。「万教は同根」であります。キリスト教であれ、仏教であれ、神道であれ、その道を真っ直ぐに歩んでこられたなら、同じ「場所」に行き着くはずなのです。到底争いなど起きるはずがないのです。それはただ単に道順が違う、と言って言い争っているだけなのかもしれません。


近代に入って、出口王仁三郎、高橋信次、谷口雅春、その他正しいスピリチュアルのグルの教えには共通したものがあります。それは森羅万象の循環ということの中に神の教えがあると言われているはずです。みなさんは複雑なものほど、高さのある教えであると思っているかもしれませんが、ほんとうの「神理」というもの、霊天上界より直接降ろされたものは、とてもシンプルなのです。


以前にも言ったかもしれませんが、もし現代にイエスや仏陀が生まれ変わっていたら、とてもシンプルなことを教えられるはずです。現代人にはあの世があるんだよ、人間はみんな肉体ではなく御霊なのだよ、ということを中心軸に据えるはずです。それほど一昔前よりも、唯物的になりすぎているからここからはじめないと次ぎには進めないからです。


高橋信次師や谷口雅春師の居られた昭和は、真摯に学ぼうとする人達が数多くいましたが、現在では、やはりそういうことにのめり込むのは弱い者たちの逃げであるとか、あるいは何でしょうか、ネットの世界ではネット信者がかなりおりますし、あっちのブログ、こっちのブログで稚拙に争いをしてこっちが本物あっちが偽物だと争いをしているのが現状です。


複雑な形而上学的なことを学んで、ご自身は悟りの高さを得たと思っている方々にもし言うことがあるとすれば、あなた方は大地のありがたさ、水のありがたさ、空気のありがたさをしみじみと感じ入ったことがあるのかと問うてみたい気になります。地球環境を整えてくれている存在への恩も知らぬ者たちが、神の前に堂々と出れるはずもありません。


肉体の頭脳でいくら分析や思考を繰り返し、もともとあった天上より降ろされた貴重なメッセージに色づけをし不都合なものは削除し、複雑に塗りつぶしたことをして勝手な解釈で悟ったなどと言う御方がもしいれば、その方がほんとうに悟った人かどうかは、いずれ判明することになります。その時には嘘も偽りも通用せず、自分自身というものを嫌というほど見せつけられます。


正しい教えの元はすべては循環のもとにあり、その循環を司っているものこそ神の力であるということです。これをひと言で言えば「愛」ということになります。人間は、たった一人で生きていくことはできません。また人間は酸素を吸い二酸化炭素を出し、それを植物が吸収し、稲穂をつけたり、色とりどりの花を咲かせたりしてさらにまた酸素を人間を初め動物たちに供給しております。この循環の中にどこか不自然なところが生じれば全体のバランスがおかしくなってきます。と同時に元の姿に戻そうという働きも起こります。


同じ事は、地球にもいえることです。地球は言うなれば病気の状態です。地球が調子が悪いと、それは太陽系の他の天体にも影響するでしょう。宇宙のバランスも悪くなるでしょう。他惑星に住む方々も断腸の思いで地球人たちを観ているでしょう。


この大和の国は、あちら側、すなわち霊天上界より観ましたらほんとうに神の国であるのです。そしてこの国は世界の雛形として約束されて出来た島国であるのです。日本に起きた出来事は必ず世界に拡大して起きていくことになっておりますし、また日本に起きた出来事を海外に住む人達に教えるという役目もこの大和の国は担っているのです。

 

ほんとうはこの国に生まれたかった人達は沢山いたはずです。けれども皆様方は今この大和の国におられるのは、記憶が消されているだけでしょうが、相当強い決意を持っていたからであるはずです。そしてその御霊の次元を上昇させたいという思いが強かった御霊たちが多いはずです。どうか真に目覚めて頂きたいと活字にしかできませんが、声をからして申し上げているつもりでおります。

 

わたくしが何故に「幸せを呼ぶ龍宮物語」を読んで頂きたいとすすめるかおわかりでしょうか。皆様方はこの次元の価値観というものに縛られてしまっているのです。だから肉体中心の考えになってしまいがちなのです。それを御霊の側から見てください、考えてくださいという投げかけなのです。真実の幸せというものは御霊から観た時にわかります、ということを玉依姫は語っているのです。
それを知って頂きたいのです。龍宮界の宣伝のためでも自分たちだけが正しいからと言うつもりなど毛筋ほどもありません。

 

もう一度申し上げます。御霊が主人公であります。御霊が求める幸せこそ真実なのです。そしてご自身の御霊の偉大性に気づいてください。今一度、澄んだ心で『天乃河ます美』を通じて語り降ろされた玉依姫のコトバに耳を傾けてください。あちら側におられる神々は同じことを二度繰り返すことは少ないですが、私は何度も同じことを申し上げます。それほどみなさん、まだ気づいておられないからです。長くなりそうなのでこの辺で終わりにしますが、もう一度皆様方に新たな「視点」を持って頂きたいと思っております。

 

 

 

           出雲 拝

 

 

 

2013年11月15日 (金)

ご質問

「天乃河ます美に御霊の半分を授け、龍宮界よりもう半分を出し、全霊「玉依」として、ありますが、その意味を知りたいです。魂の兄弟という考えではないのですか…」との問いについて


このご質問もよく受けるものの一つでございます。
おそらくご質問者様は高橋信次師の著書なりを学ばれたことがあると思いますが、御霊にはそれぞれ生まれてくる前の出身次元というものがございます。私は個人的にあまりこの次元論は好きではありません。と言いますのも、どうしてもこの世的な優秀かそうでないか、上か下かの判別をしたがる、所謂この世の価値観で観てしまいがちになるからです。


五次元より六次元が上、六次元より七次元が上、七次元より八次元が上だから、八次元の神々の言うことだけを学んで、それより以下の次元の者はどうでもいいとか、そういうお考えの方々も結構いらっしゃるのです。


この次元というのは、古い御霊であるか新しい御霊であるかだけの違いにしかすぎないのです。これを喩えて言えば、ご質問者様は、小さな子供をみられて、どう感じますか… かわいいなぁ、生長したらどんなふうになるんだろうと考えますか、それとも、なんと知能の低い分別のない出来損ないなのだ‥と考えるでしょうか。
小さな子供は経験もありませんから、危険なところへよじ登って、怪我したりもしますし、母親の言うことを聞かずに、わがままな態度をとったりもしますね。


新しい御霊の方々もそれと同じなのです。今現在こういう方面に関心を寄せておられる方々はそれなりに御霊が生長している方々であると思いますが、そういう方々でありましても、はるか昔の新しい御霊の時代には同じようなことをしていたのですね。


小さなお子さんが、泣いたり駄々こねたりしているのを観ても、自分もそういう時があったなぁ、あの頃が懐かしいなぁ、と思うものです。ですから、そういうお子さまを観ても、眼を細めて暖かいまなざしで見つめることが多いと思います。


神々と言われている御霊の方々も新しい御霊たちをそのように見つめているのです。神々と呼ばれる方々であっても、大昔はみんな同じであった過去を持っている方々が多いですから。ですから、自ずと暖かく時間がかかっても、そういう御霊の方々を導いていこうと気長に待てるわけなのですね。


これが次元についての私なりの見解です。
では御霊はいったい、どのような構成になっているのかと言いますと、これはご質問者様もご存知のように御霊は六人の御霊構成で順番に生まれ変わっているのです。その御霊の一番霊格の高い方を本体として、あと五人の分身で六人構成になってます。そしてそれぞれがこの地上で経験したことを共有しあいながら、御霊全体が生長していっているのです。その御霊の分身のうちの一人か本体が守護霊を務め、この三次元での御霊修行が計画通りいくように、いろんな場面場面で守護しているのです。


そして、こういう形態をとっているのは、まだ課題が残っている御霊で必ず生まれ変わらなければならず、まだ輪廻の枠を超えられていない御霊たちの形態であります。それは次元で表現するとするとその出身次元が四次元から五次元、そして六次元の真ん中あたりくらいの御霊たちが中心であります。こういう御霊たちの修行の場としてこの三次元世界が提供されているわけであります。


三次元世界がまだ幼い御霊だけであれば、どうしたらいいのかわからなくなりますね。地上でも学校に生徒だけがいて先生がいなくては授業になりません。
そこで、ある一定の数のもう輪廻の枠を超え、三次元を卒業された御霊たちが地上に出ては、いろんなことを地上に残したり、あるいはいろんな教えを説いたりして、新しい御霊たちが生長できるように導いているわけです。


この輪廻の枠を超える次元とは、六次元の上段からです。輪廻の枠を超え、もう地上に御霊修行のための計画を立てて生まれる必要のなくなった御霊は、地上を観て、自主的に地上の人たちをナントカしたい、と思って出てくる人達ですね。


そしてこういう御霊たちは六人構成の枠も超えているのですね。
これを喩えて言えば、つきたてのお餅のようなもので大きなつきたてのお餅があって、それを小さくちぎってポンと地上に投げるようなもので用が済めば、また元のお餅に戻して一つのお餅になるといった感じでしょうか。
ですから、自由自在なものであるのですね。


それともう一つはこのつきたてのお餅からもう一つのお餅を分けて、その分けたお餅からまた地上にその一部を出すということもできるのです。
たとえば、玉依姫の御霊から「弟橘姫
」を分霊としてだしたということが書かれていると思いますが、実はたまたま地上で有名になっただけで、それ以外にもいくつもの御霊を分御霊として出しているのが玉依姫であるのです。
それだけの御霊の光が多いということであります。


これが分霊というものであります。ご質問者様であればご理解できると思います。


さて、ここまでのご説明から『天乃河ます美』の五割と霊天上界の龍宮の玉依の五割を出して全霊となるというのはどういうことか、と言いますと、
これは地上の『天乃河ます美』はつきたて餅の半分で出ているようなものなのです。五割を出すというのはあちらの世界では、相当の覚悟と決意がないと出来ないことですし、なかなか五割の御霊を降ろすということをする神々もあまりおりません。それは地球系の霊団としての要請があったからそういう決意をされたということであります。


そして『天乃河ます美」の御霊にあちらの世界の龍宮界より、もう半分の玉依姫を身体に入れてと言いますか、ちょっと表現には限界がございますけれども、十割として、あの「幸せを呼ぶ龍宮物語」が語り降ろされ、また自動書記で降ろされているわけなのです。十割というのはどういうことか、おわかりでしょうか。


この地上ではピンとこないのが普通でございますが、あちらの世界から観ましたら、過去に例のないことでもあるのです。五割の御霊を持って地上でご活躍された、高次元霊の御方はおりますが、全霊という「かたち」で語り降ろすというのは、おそらく過去にもないと思います。


私は、最もすごいことをする女性神霊がいると一番最初に注目したのも、この全霊で事にあたるというところであります。他の女性霊でここまでなさる方はおりません。高次元霊は、たいてい御霊の二割、三割程度で地上でお仕事をされるの一般的であります。


ですから、五割の御霊を持って出たというのは、この時代にこの大和の国にとりましても、約束事であり、大きなご使命を担っているということの証でもあります。龍宮界という世界は地上にはほとんど関心がないとお考えの方々もいらっしゃるでしょうが、地上に関心なくあちらの世界でヒラヒの舞っているような方々が、五割の御霊を出すでしょうか…
龍宮界という世界の地上での先入観を改める時は必ず来ます。


この地上世界では、それを証明する手だてはありませんが、もし、あちらの天国世界とつながった形で霊能力がある方々があの書をみれば、そうとう美しい光の書に見えるはずです。過去に数名そういう方々がおられました。


大ざっぱに書きましたけれど、またご理解がゆかないところがありましたら、いつでもご質問くださいませ。



           出雲 拝

2013年11月13日 (水)

ご質問

ご質問が大変遅くなり誠に申し訳ありませんでした。とりいそぎ、まとめて書かせて頂きます。

「なぜ御霊という言い方をするのですか、御霊と魂とは何か微妙な違いがあるのでしょうか‥」


同じでございます。言い方の違いだけです。魂という言い方をする方もいれば、生命エネルギーと言う言い方をされる方もおります。


「御霊」という言い方はあえて言えば、伝え主が龍宮の女性神霊であるからです。「御霊」というの言い方はとても女性霊らしい表現であるとわたしは思います。もうひとつは、御霊というのは「神の分け御霊」であるという非常に尊い意味をも込められた表現でもございます。



「‥地震が気になります。どこの地域が危険なのでしょうか……」との問いについて



地震警戒については出来るだけお伝えしていきたいと考えておりますが、ただ、アトランティスの末期を生き大変な天変地異を経験した御霊の方々も沢山おりますので、ストレートに出すとトラウマから批判並びに不安がる方々がおりますので、アドレスを明記して頂き、メールで返信したいと考えております。


ただ、このブログでも書いた通り、来年三月までには備蓄しておかれるのが宜しいかと思います。出来れば年内中に備蓄はして頂きたいです。


大ざっぱに言えば、千葉、東京はかなり危ないということは確実に言えます。近畿は大阪、奈良のある山から伊勢にかけてが危険です。九州は阿蘇山の噴火も懸念されます。あちらの世界では山の神々がそうとう動き出しておりますので、以前も警告しましたが、山登りは御法度です。


地震の起きる危険な箇所はいくつもございます。どれが最初に動くかわかりませんので、太平洋側でない地域の方々も油断は禁物です。


南海トラフの前には内陸の活断層型の地震が多発すると言われていますから、近畿は特に要警戒です。


それから地震だけではなく、今後は台風も雨の降り方も風の強さも変化してきます。フィリピンの台風30号並のものは今後日本にも来る可能性が大です。
自然を司る神々が本格的に動き出しておりますので、これまでのような甘い対策ではダメですね。


こうしたことに関しては、また書き方を考えてお伝え致します。



「幸せを呼ぶ龍宮物語の天乃河ます美さんとはるみさんの系統の色ってあるんですか、いろんな霊系団によって色が違うというふうに聞いたことがあるのですが、…」との問い

 

 

高次元霊にはそれぞれその方々を表現するにふさわしい色はございますが、それはあくまで象徴です。
『天乃河ます美』としての象徴的な色はあえて言えばブルーですね。水色と言ってもいいかもしれません。これは非常に深さがあるものでございまして、表面的、三次元的には大変楽しい一面をお持ちになっておられ、その部分で接しているとそういう人なのかと思われますが、それは例えて言えば氷山の一角であって、その大部分は三次元的に感じられるものではなく、なんとも言えない「慈悲」で満ちております。これが本質です。それは全てを知りすぎるがゆえの哀しみをも含んだ慈悲でもあるのかもしれません。いずれにしましても、三次元的な部分よりも見えない部分の大半にその本質がある御方です。


『天乃河はるみ』としての個性ある象徴的な色は臙脂色でしょうか、地上で言うピンク色とはまた違った上品な色のような気がします。
この象徴の特徴は優しさ、実直さに満ちたものではないかと思います。


色彩というのはあちらの世界が元ですが、ブルーと言っても、臙脂と言っても、この三次元の色とは比べものにならないほど美しいです。三次元の色というのは、喩えて言えば、白黒写真のようなもの、実物は立体感がありいろいろな色があっても、白と黒のたった二色で表現したような世界なのですね。


ですから、この世での色というのは、あちらでの色の荘厳さをすべてはぎ取った残りカスのようなものなのかもしれませんね。



「万教同根の意味がよくわかりません。キリスト教と仏教では根本的に違うと思うのですが…」との問いについて

 

このご質問はよく頂くものですし、何人かの方々にはメールにてご返信したことがございます。イエスご自身の書き残したものも、仏陀ご自身が書き残したものも実際には何もありません、なにもです。当時の弟子筋の方々が理解できた範囲で書き残したに過ぎず、それすらも、時代と共に都合解釈されていったというのが真実なのです。


イエスが説いたおしえと仏陀が説いたおしえが矛盾するということはほんとうはあり得ないのです。ただ、その時代性、地域性に応じたもの、その時代の人間が受け容れられる範囲のものが説かれたのですね。その当時にたとえば、他惑星のこと、人間の御霊は進化して他の惑星へと移っていく御霊もあるのだ、などと説いても当時であればだれも理解不能であったでしょう。ですから、そういうものは説かれなかったはずです。


イエスの教えも釈迦のおしえも実際は単純素朴で誰にでもわかる説き方をしておりました。しかし、時の経過と共に文明も進歩し、人間は単純素朴なものでは満足出来ず、複雑なものや抽象的なもの、哲学的学問的なものを混入させて、それぞれ勝ってな憶測と推論で上塗りをし、不純物を混ぜ込んで、一部の人間だけに都合の良いようにすり替わっていったわけです。そして当初のおしえからは似ても似つかぬものになってしまったのが歴史です。そしてその延長上にいろんな新宗教やスピ系でしょうか、そういうものが乱立してきたのですね。


ご質問者様が仰るように違いがあるようにみえるのは、人間が創り上げたものが混在しているからなのです。


天上よりの啓示というのは、約束された者にのみ降ろされます。
今回の「玉依姫」からのメッセージもそうですし、非常にわかりやすく女性霊としての役割をしているがために、三次元の知の混ざった形而上学的なものを学んでいる方々にはおそらくはとても物足りなく感じる人もいるかもしれません。
しかし知によるものを取り去り、素直な純粋な心で向き合った時に入ってくるものは、人それぞれに応じてでありますが、今までわからなかったものがハッとわかるようになってくるのです。それは御霊が反応するからです。天上界から降ろされた書というのはそのように出来ております。


また心境が上がればもっと違った感覚で捉えられるようにもなります。


この「幸せを呼ぶ龍宮物語」は活字を追えば誰が観ても同じですが、御霊に響けば、その言葉の奥にある壮大な高次元の意識と言いますか、そういうものが降り注いでくるようにもなっているのです。


霊天上界は決しておしえの押し売りは致しません。イエスも当時はイエスのいる地域の人たちからほとんど受け容れられることはありませんでした。モーゼもそうです。仏陀もそうです。この日本を観ましても、出口王仁三郎師は日本の四大国賊の一人にされました。高橋信次師もごくごく少数の人たちにのみ受け容れられたにすぎません。


玉依姫の言葉も御霊の次元上昇を真から望む限られた特殊な人にわかって頂ければそれで結構です。霊性よりも三次元の知が勝る方々は拒絶するでしょう。しかしそれでもよいのです。時代と共に真実は明かされて参ります。


出口王仁三郎師も高橋信次師も、そして今回の天乃河ます美もやがて時の流れと共に大きくクローズアップされていくでしょう。その時にまた転生してくる人たちもいるはずです。過去世においては拒絶しても出直しの転生の時はよりどころとする人たちもいるのですね。イエスの時も同じく、当時はイエスを迫害した人たちも出直しの転生ではイエスをよりどころとした人たちも沢山いたはずです。過去世において敬虔なユダヤ教徒から生まれ変わって敬虔なキリスト教徒になった御霊たちも沢山おります。ですから、今回も用意の出来た人たちが受け容れてくださったらそれでよいのです。


ご質問から逸れましたが、イエスも仏陀も同じ神理を説いていました。イエスははっきりと生まれ変わりも言っておりました。ただ、国教になっていく時に削除されたものは沢山あります。


やがてキリスト教も仏教もなくなり、新たな地球教のようなものが出てくるようになると思いますが、それとても、当時のイエスや釈迦が説いたように子供からお年寄りまでが理解できる内容になるはずです。
違いがあるとすれば、もっと宇宙的なものになっていくでしょう。



      出雲 拝

2013年10月16日 (水)

ブログのタイトルを変更いたしました。

「はじめてこのブログを訪れる方々へ」の途中ですが、

ブログのタイトルを変更させて頂きました。よく似たタイトルが増え、誤解を招いてもいけませんので、

「龍宮界古文書、今昔物語によせて」とさせて頂きました。


これまでもそうですが、このブログは玉依姫の五割の御霊を持ち下生された「天乃河ます美」と現在も続いている対話から伝え聞いている内容をお伝えしているものであります。


「幸せを呼ぶ龍宮物語」の著者である「天乃河ます美」は「預言者」であります。高次元龍宮界からの玉依姫のコトバを「預かる」立場にある方でございます。現在進行形の間はなかなかわからない方々もいらっしゃると思いますが、


近年で申しますと、出口王仁三郎師と同じ立場の御方であります。実際に王仁三郎師の後に出るということは、あちらの龍宮界では予定されておりました。今現在、「天乃河ます美」が伝えていること、お書きになっている原稿など著書は、時が進むにつれて多くの人々によって研究されていくようになると思います。


なかなか現世におりますと、何が本物で何がそうでないか、何が価値あるもので、そうでないのか、それが分かりづらいですが、やがて大峠の時を越えて全てが明らかになっていくことになります。


ですので、このブログも情報収集するための方々が千人訪れてくれるよりも、真剣に道を求め、御霊のアセンションを切望している一人の人にご覧頂くことの方がはるかにうれしく思っております。


また、このブログでわたくしが書いております、コメント記事は、今後「天乃河ます美」様のご指導により、場合によっては削除、あるいは修正を加えることもありますので、ご了承願いたいと思っております。


タイトルを改めまして、これからの人々のために出来るだけ多くのことをお伝えして参ります。




        出雲 拝

2013年9月30日 (月)

幸せを呼ぶ龍宮物語 第二章に関連して

『多額の金銭を要求するような霊能力者を信じてはなりません。貴女方もよく見極める事です。変な霊能者と、変な縁をつくる事のないように、わたしはこれからも何度でも言っておくつもりです。

まず、貴女方が自分自身を信じ、いえ、自分自身の良心を信じ、理性に聞く耳を持ち、精進できる道を進んでください。貴女方一人一人に、心強い御神霊がついているのです。見守っているのです。貴女の隠すことのできない良心に耳を傾けて下さい。そこに御神霊がおります。』


    「幸せを呼ぶ龍宮物語」天乃川ます美著 P148



今、もっとも大切なこと、そして今後大切になっていくことの一つが御自身の御霊の兄弟、姉妹たち、守護霊たちの存在について、そしてその考えを知ること、さらに御自身の御霊に近づくことであると私は思います。ここでは「御神霊」というコトバが使われておりますが、これは御自身の御霊の中で一番古いと言いますか、本体意識というか、霊的には一番格の上の御霊と思って頂いても良いと思います。もちろん、人によってはそれ以外の縁のある別の御霊ということもありますが、基本は御自身の御霊の一部とお考えになって構いません。


皆様方が一番お知りになりたいことの一つは、どうしたら守護霊の考えがわかるのか、ということであろうかと思います。これはここでも書かれておりますように、自分自身の嘘のつけない良心に耳を傾けるということによって、わかるようになるのです。本来、難しいことではないのです。誰でもわかります。厳しい修行をしないといけないとかそんなことは一切必要ありません。ある人は直接語りかけられることもありますし、多くはインスピレーションとして、あるいは霊夢の形としてやってくることが多いです。


この良心というものに訴えかけて神理を教えるために過去三千年に渡って数々の教えが説かれてきました。モーゼ、イエス、仏陀、モハメッド、日本において近年では出口王仁三郎、谷口雅春、高橋信次がいたわけです。浅野和三郎が広めた小桜姫物語を初めとする霊界通信もそうです。現代では天乃河ます美の「幸せを呼ぶ龍宮物語」がそうです。


よくご質問を受けるものの一つにこのブログでもお書きしました二極化することについてのことであります。


現世に生きておりますと、どうしてもこの世で生きていくための糧も必要になりますし経済も必要ですね。それが全く悪いと言っているのではありません。
極論に走ってしまう人がいますが、これまで何度も申しております三次元に生きる意味というものをその心でご理解できなくなってしまっている方が少なからずおられます。


現世に生きている私達は肉体を持っておりますが、御霊五分、肉体五分であります。どちらも五分五分、ある人は肉体的な感覚により、物事を見ようとします。肉体的三次元的に偏る人が圧倒的に多いのです。つまり御霊よりも肉体に比重がかかっているということであります。


しかし、玉依姫がいつもいつも仰っているようにこの世は地獄のてっぺんである、ということを認識している人たちは、肉体的、三次元的なことよりも御霊から見た「観方」を取り入れるのでありますから、その比重は御霊の方が占める割合が多くなるということですね。これが大事なのです。


もちろん、御霊の比重が十割ではこの三次元では生きてはいけませんから、この世的な比重はゼロでもいけないわけであります。ですから、古来より仏教では中道という考えがあったのですね。


御霊の比重が六割、この世的比重が四割の人もいれば、五分五分の人もいるかもしれません。あるいは御霊の比重が七割、この世的比重が三割の人もいるかもしれません。


多いのは御霊の比重が大体三、四割、この世的比重が六割、七割の人たちです。


二極化するというのは、御霊の比重の多い人と肉体的三次元的比重が勝る人たちと分かれますよ、ということです。すなわち「霊主体従」か「体主霊従」にはっきり分かれていきますよ、ということなのです。


玉依姫が仰っているように変な霊能者のところへ鑑定に行く人というのは、やはりこの世的な比重が大きいからそういう霊能者に引っかかり、その後も大変になってしまうのですね。当て物をするくらいであれば、動物霊でも出来ますし、地獄霊でも出来ます。そして鑑定の中心はこの世的に生きやすく損をしないための方法であるとか、この人と結婚して正解なのかとか、どんな商売すれば儲かるかですとか、先祖が迷っていないかとか除霊だとかが多いのではないでしょうか。こういうのも結局は「体主霊従」になってしまっているが故に欲から引っかかってしまうのです。そして何よりも楽して答えを求めるというその心に変な霊的縁をつけてしまいやすいのですね。


こういう人はもし仮にその霊能者が上の世界と繋がっている方であるとしても、それだけの鑑定では飽きたらず、時間が経てば、また別の霊能者のところへ行って鑑定を受けるということを繰り返し、いっこうに真実の自己と向き合おうとはしないのです。こういったことはもう卒業してください、と玉依姫は仰っているわけであります。堂々巡りの悪循環から抜け出すには、まずいったん立ち止まって、仏教的に言えば「中道」に入ることです。
この中道について天乃河ます美様は以下のように言っておられます。



「中道」と申しますのは、誰彼他人の物差しで計られるものではなく、貴方々それぞれの個人の、つまり御自身の計りの中で生きるという事なのでございます。 頑張る事は良い事でありますが、無理をしますと失敗が多くなりましょう。その失敗を上手く使える糧に出来る御方は宜しいのですが、そういう方々は少ないのでございます。ですから、この「中道」というのは仏教的なものでありますが、自分の器を知り身の丈にあった生活をされる事によって、他人の器を知り、そこで1つの計りにかけず他人を理解し争わずご自分らしく生きていけば、この世を去る時に執着どころか、ああ、良く勉強させて頂きました、と感じる事が出来ますよ、という事なのでございます。仏教で云いますところの慈悲でありますね。右でも左でもなく、又、前でも後ろでもなく、ご自分を中におき一生を懸命に生きておりましたら、他人への妬み、恨み、争いの心をもつ事もなくなるのではないでしょうか、と、仏陀様がお考えだした、この世からの執着をたつ生き方の教えであったという事であるそうでございます。

 

             天乃河ます美



この中道に入った生き方の中に三次元に生きる意味というのが見いだされ、己とは何者なのか、どういう御霊の持ち主であるのかがわかるようになるのです。
それがわかれば、ご自分らしい生き方が出来、他人と比較し一喜一憂し、争い、憎しみから自ずと離れることが出来るようになり、失敗からはより多くの教訓を見いだし、その教訓をご自身の智慧としていけるのですね。こうして御霊はさらに進化を遂げていくのです。中道に入るというのは「霊主体従」の生き方そのものであります。



        出雲 拝

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