「幸せを呼ぶ龍宮物語」に学ぶ

2013年12月10日 (火)

「幸せを呼ぶ龍宮物語」第二章に関連して

『信仰心というようなもの、どのような宗教に属するか、また属さねばならないかといったようなものではなく、人間を越えた、大きく、偉大な「神」に対しての「信仰心」というものをもって、人間界を生きてこられた御霊であれば、つつがなく、御神霊と共にまっすぐに、幽界という死者がはじめに落ち着く場所へと向かわれます。

それは、この世の時間で申しますと、一週間から七週間という間に行われます。だいたいにおいて、そのくらいの間に、今までの三次元である人間界とは大きく異なるという事が理解できてきます。』



    「幸せを呼ぶ龍宮物語」 

    玉依姫(通信者 天乃河ます美)



幸せを呼ぶ龍宮物語 第二章に関連して御霊についてでありますが、肉体の死を迎えた人で、それなりに信仰を持っていた人、あるいは神の存在をしっかりと認めていた人は、それぞれの御霊とご縁のある御神霊に導かれて、まず幽界という四次元精霊界へ参ります。その世界は三次元世界と大きく異なりつつなおかつ三次元とよく似た世界という表現をしてしまいますが、そういう世界であります。


この世界で、いろいろと地上にいた時のことを省みたり、非常に懐かしい方々とお会いすることもあります。この四次元幽界と言う世界は、それぞれの方々の心情に応じた世界が展開されるので、一律にこういうところがあって、こういう世界であると説明をつけるのは難しいと思われます。


また死後あちらの世界へ移行するのも、ある人は昔から言われている三途の川を渡る人もいれば、近代的な空港のようなところから旅立つ人もいれば、いろんなところから移行していくようであります。これも人それぞれの心情や心の段階に応じて展開されて参ります。ですので決して一律に三途の川を渡るということではありません。なかには、肉体を離れて、大勢の高次元霊たちに囲まれながら、大変な高速でもといた世界に一直線で戻られる人もおります。これは高次元界で要請された三次元での計画を全うした七次元以上の方がそうです。


こういう高次元の方々は、あちらへお戻りになりますと、すぐにあちらの世界でのお仕事に取りかかるようであります。しかし一般の人達、だいたい六次元の半ばあたりの方々であれば、肉体としての感覚を捨て去るのに少々の時間がかかるのがほとんどであります。そしてその間に生前のご両親や自分の伴侶、兄弟姉妹たちと懐かしくお話したり、非常に至福の一時を過ごします。


地上の肉体を脱ぎ捨てた人の大半はまず四次元幽界で、肉体を持っていた時の感覚を脱ぎ捨てるための何というのでしょうか、レッスンのようなものをします。レッスンと言っても何も訓練をするというのではありません。


四次元幽界以上の世界は非常に自由ですし、その人その人に合わせたやり方で霊として目覚めるために御神霊が導いてくださるのです。それは先程も申しましたようにいろいろなケースがあります。


たとえばあちらの世界ではもう食事をしたり御茶を飲んだりする必要はないのですが、安心させるためにその方をご指導する御神霊と楽しく御茶を飲みながら歓談することだってあります。


死後間もない御霊の方はまだ三次元的な感覚が残っておりますから、そういうことから安心させるということですね。


しかし、だんだんと霊的な目覚めが進んできますと、三次元的な感覚も必要ではないということがわかってきます。それまではいろいろと今ほしいと思うものがあれば自由に手に入れることができるのですが、そうしたものはもう必要でないと思い始め霊的進歩が進めばそれは「ごく自然」になくなっていきます。
そしてもう一つ上の霊界へと旅立つ御霊の方々もいれば、しばらく四次元幽界に居てそこから地上へともう一度生まれ変わる御霊の方々もおります。



        出雲 拝

2013年6月23日 (日)

「幸せを呼ぶ龍宮物語」第二章に関連して

『…1年位地震や火山噴火が続き、ある満月が終わり段々月がかけていく1週間か2週間かけてだったと思います。その間、沢山の方々が船で四方八方に逃げ出す事が出来ました。

Atlantisは大陸というより、大きな島のような感じと思われた方がイメージ的に合う気がします。ですから、港が至るところに存在しておりました。船が沢山ありましたので、かなりの数の方々が助かり、今のアフリカ大陸の前の形の大陸や北極や南にもバラバラに渡っていったそうです。

ですから、ノアの方舟のようなお話しも、このあたりの実話が残ったものだと思います。Atlantisの小大陸の形は星のような形だったそうですが、どちらかというと六角形に近いかと思います。そして、そこに残る事を決断した方々が沢山いらっしゃいまして、その方々がアセンションしたと聞いております。』

          天乃河ます美

このあたりのことは、詳しく第二冊目の原稿にも書かれています。いずれ、詳しくお読み頂ける日がくると思います。(出雲 )

2013年6月22日 (土)

「幸せを呼ぶ龍宮物語」第二章に関連して

『いずれにしましても、起こるべき事は起こると思いますので、今、備えをして頂ければと思います。政府も発表いたしましたが、1週間は自力で生きられる物質は備えるべきです。これは3次元で生き延びるという事が大切というよりも、この時代に生きていた、という体験が出来るという方が重いかもしれないという事であります。一人一人が今から準備しましたらパニックも起こりません。

Atlantisの時と同じ事が起こります。以前から言っておりましたが、起こります。この目で観ておく事が、又、その当時の方々が3次元ではアセンションは起こらないという定説を曲げたのです。それが今アセンションを議論する研究者や、その方々の書籍を読んだ方々に伝わっているのでございます。地球もしくは、地球全ての人類のアセンションはありえません、が、Atlantisの方々は7割方違う次元に、つまりご自分の普段存在次元より上の、当時の方々は6次元に一緒にいかれたようですから、アセンションですね。何十万人一緒にいかれたわけですから。これらの物語が今のアセンションブームのルーツでありますね。話しはそれましたが、これが日本に起こる可能性はございます。ですから、世界的な大変動となりましょうが、この日本の精神文化が、かつてのAtlantisに非常に良く似ておりますので、ある意味日本は日本人はアセンションを経験出来るのかもしれませんね。』

             天乃河 ます美

これは玉依姫の五割の本体意識を持った「天乃河ます美」があちらの世界の玉依姫との対話の時にお聞きになられたものであります。

大変な事態になっていくということお聞きになられて、みなさんはどうお思いでしょうか。また世の中を暗くすると思いますでしょうか。

不安でいっぱいになるでしょうか。批判されるでしょうか。いずれもみな、アトランティスの時にもございました。当時も今下生の玉依姫の本体意識は出ておりましたし、地球の大変動期にのみ、玉依姫の本体意識は下生します。

だいたい、龍宮の役割というもの、あるいはその輪郭というのが見えてきた方々もいると思います。

2013年6月 7日 (金)

「幸せを呼ぶ龍宮物語」 

『人間の心というもの、一念三千と申しますが、ありとあらゆる世界に、一瞬にして到達してしまうのです。ですから、三次元で生活しております貴女方は、常に「正しい心」「澄んだ心」を持って過ごされた方がよろしいです。
澄んだ心を持つということは、貴女方の世界にある、どのような装飾品にもまして、宝物であるのです。ダイヤモンドよりも真珠よりも、貴女方と心、御霊というもの、これは私からみましたら宝石のようなものです。
一見、汚い色をした石ころのように思われる人の心にも、やがてはダイヤのような、あるいは真珠のような三次元世界の様々な価値のある宝石のようなものになります。色は違っても、様々特色をもつ宝石と同じです。
よく磨かれたものもあれば、原石に近いものもおります。その辺にころがっているような、ただのうす汚い色をした石であっても、もしかすると、素晴らしい輝きをもつ宝石の原石であることがあるのです。
そして、貴女のまわりをとりまくようにしている、異なった世界があることを忘れないでください。』
      「幸せを呼ぶ龍宮物語」 






一念三千という言葉が出てきておりますが、実は私達三次元にいる者は、その心が必ず異次元世界のどこかと繋がっている、ということなのです。



人間には肉体がある以上どの方も喜怒哀楽はありましょうけれど、そういう一過性の感情は別にしまして、心が一点にとどまって常にある一定の方向に向いている人が多いものであります。

このある一定に向いている心がいろいろな次元に繋がっているということであります。心が常にマイナスの想念をまき散らしている人は地獄という世界に繋がっております。

よく憑依という言葉が使われますが、まあ、ある特定の磁場のところに行ったために影響を受ける霊媒体質の人もおりますが、これはその時に対処出来るものでありますので心配はないですが、もう一つは先ほど述べましたように常にある一定のマイナスの方向に心が向く場合の憑依は、これは波長同通しているということです。つまり、その時点で肉体生命が終われば、そのまま同じ世界へ行くということであります。

その逆に心が多少一日のうちにブレることがあっても、人に対する温かい気持ち、感謝の心、同情心、こういうものを持っている人は、異次元でもいわゆる天国という世界に繋がっているものであります。

「心」というのは異次元世界への架け橋であり、しかも一瞬で繋がっててしまうものであります。ですから、この神書でも述べられているように「澄んだ心」、「正しい心」を持つことが大切であると、そのように言われているわけであります。

では「正しい心」とはどういう心であるのか、これを考えてみたいと思います。正しい心にはもちろん道徳的、倫理的なことは当然でありますが、しかし、私はこれを考える時、やはりとても扱いにくい、やっかいなこの世的な価値というものにぶち当たります。

この世的価値の中には正しく天上世界と繋がった価値もございますが、そうでないもの、人間が勝手に創り上げたものも数多くあるわけであります。ですので、一度「?」と素朴な疑問を持ってみることはとても大切なことであるわけです。

それにはいろいろございます。何でもいいのですが、たとえば、受験生や受験期のお子さまがいらっしゃるご家庭のご両親は、子供には学校の勉強をしなさい、塾へ行きなさい、部活も頑張りなさい、とよく言います、夏休みに入れば、追い込みの時期なので、大変になりますね。子供が一番大変な目にあわされ、じっくり考える、という時間さえ与えられていないようにも思えます。

ここでも「?」として考えて頂きたいのですが、中学の学校の教科書をしっかり勉強していても、上のランクの高校には行けない、あるいは一流の大学には行けないわけですね。なぜ???
だからみんな予備校だ進学塾だに通うのですね。
学校は学校で成績を上げないといけないし、上の学校へ行くためには塾や予備校に行かなければなりませんし、また部活も受験する時には影響するのでしないといけない、

では、学校で勉強している「教科書」って何??どうして教科書をしっかりと勉強していても上級のランクの学校なり大学なりに入れないのか?? 領土問題をどのように記述するか、といったことは政府は問題にしても、実際卒業までに社会科で現代史まで行くのはまれではないでしょうか。

学校の教科書をしっかりと勉強して、部活も頑張ればどこの高校なり大学へ行けてもほんとうはいいはずなのでは…
現代はほんとんど受験問題も予備校や進学塾のテキストが基準になっているようなものですね。

現在70代80代90代の人たちの受験期の頃はみなさん、しっかりと教科書のみ勉強して上級の学校や一流大学に行ってました。その年代の方々は自分でよくよく考えるということが出来た人たちですし、現代の人たちよりももっとしっかりとなさっていましたね。

そういうお話はいたるところでお聞きします。現代の受験事情に誰がしたのか、それを追求するのが目的ではございませんが…

かなり脱線しましたが、こういうふうにいろいろな「?」を考えてみると実に人間の創り上げた多くのいろいろなものが見えてくるわけですね。こういう疑問を持つということは実に大切なことであると私は思います。ですから、「正しい心」は別名、「正しい観方」と言い換えてもいいのかもしれませんね。

こういう「正しい観方」というのは「天上界の視点」を持てばいくらでも「?」なことが多いのがわかります。すなわちこういう正しい観方を持っておりますと、天上界と繋がった正しさのみに心が向くようになってくるのですね。そうすると御霊が汚れませんし、御霊のアセンションのための気づきが多く与えられますし、それなりの対処もしやすくなるわけであります。これが大事です。



それから、「澄んだ心」というのは、幼子のような心、純粋無垢な心ですね。しかし、これを持つことはこの三次元では騙されやすくなるのではないか、それゆえに多くの人たちは人に対してはどの人もある一定の警戒感を持つものですね。
これほどこの三次元は地獄に一番近い世界なのかもしれませんが、純粋無垢な心を持っている人は、逆に人に騙されたりはしないものなのです。これははっきりと言えます。

つまり、そういう人たちはダイレクトにあちらの世界、それも四次元などではなく、もっと高い次元と繋がっていることが多いため、そういう騙してやろうとやってくる輩ははじかれてしまうのですね。これは観ていてもおもしろい、といってはなんですが、そういうものなんですね。

ですので、純粋な心を持っているひとに対しては周りの人たちのもっと人に警戒するようにというようなご心配は無用であります。この澄んだ心を持ち続けるためにはあらゆる物事に対してのこだわりを捨てることです。さらさらとした心になっていくことでありますね。


そしてここではどんな汚れた原石でも磨けばダイヤのようになる、と言われておりますように、私達の御霊はどの方もみな尊いのです。その御霊の中心には創造神の属性、ありとあらゆる神の念いがすでに埋め込まれているわけであります。
よく、「神理」を学ぶといって何か新しい全く知らないことを学ぶように思っている人もいるかもしれませんが、これをもっと具体的に言えば、神理、真理を知るというのは、御霊に埋め込まれているものを「思いだす」、あるいは「掘り起こす」ということであるのですね。新たに付け加えるのではなくて、もともと御霊に備わっているものを発見することでもありますね。
これを勘違いしてはいけませんね。みなさん、もともとは御霊にあるものなのです。

御霊についてまだまだ続きます。天乃河ますみ様を通じて玉依姫様よりお伺いして参ります。

地震についてはこの月に少し動きがあるとのことを天乃河ます美様よりお伺いしております。



        出雲 拝


2013年5月26日 (日)

「幸せを呼ぶ龍宮物語」 第二章に関連して

『貴女方がいる世界は3次元、貴女方が四次元の世界は信じがたい、と思って生活されていらっしゃいますね、次元というものは四次元の者にとりましても同じように、

貴女方3次元の方々と同じように異次元の世界なのでございます。次元というものはご自分の世界とは明らかに異なった世界でございます。ですから、今私達が住む3次元の世界からは四次元以降の世界は摩訶不思議、幽霊や物質ではない異形の世界であると感じておりますよね。

ところが、四次元に参りますと、五次元の世界が、今の私達が感じております、四次元の世界のように、あるのかもしれないけど、ないのかもしれないといった感じなのでございます。

また五次元の方々から致しますと、更に上の六次元が、本当にあるのか?といった具合なのでございます。次元と次元の間には、今私達が、あの世というものがあるのか、ないのか、といった位の次元の壁と申しますか、その様な、差がございます。』

            玉依姫

2013年5月24日 (金)

幸せを呼ぶ龍宮物語 第二章に関連して

『五次元の幽体と四次元の幽体とは少しばかり違いがございます。四次元の方々は、まだはっきりとした肉体的、又は、幽体としても、それが必要なのでございます。つまり、御霊の本来の形は形ではないのでございますが、この3次元の物質、肉体が御自分であるととらえているのでございます。形として存在していないと不安なのでありましょう。御自分の存在がなくなってしまったような気がしているだけなのですが、どうしても御自分の存在には形が必要な心情と申し上げたらよろしいか、心もとないと申し上げたらよろしいか、そういった感じなのでございます。

ですから、まだまだ3次元、この世界から心が離れていないのでございます。一方、五次元の方々が幽体から抜けだせない、或いは幽体を使うというのは、つまり、名刺ですか、3次元で言いましたら名刺のようなものでありますね、幽体をまとっておりましたら、だいたいどんな御方かみなさん分かりやすく、又、分かって頂ける世界でございますから、どうしても幽体が必要という訳ではございませんが、それをまとっていたほうが良いという位のものであります。

五次元の方々が四次元の方々と大きく違いますのは、相手の為に幽体をまとっているという事かも知れませんね。御自分もご相手も分かりやすく、といった感じでありましょうか、四次元の方々と大きく違いますのは、ほとんど御自分の為に幽体をまとっているのではないという事だけれど又、まだまだ、幽体に頼っておいたほうが楽かな、というような五次元であると思います。』

              玉依姫

24日になっておりますが、焦らず地震警戒してください。

日本の端と端に警戒かもしれません。関東、千葉と九州とか、北海道と沖縄といった感じでしょうか。火山の噴火も含みます。何もなければ良いですが、とりあえず警戒はしておくにこしたことはなさそうです。

しばらくの間様子を観ましょう。何もないことを祈りますが。

2013年5月23日 (木)

幸せを呼ぶ龍宮物語 第二章に関連して

『私達肉体を持ち生活している者にとりまして、この肉体こそが御自分であると思って日々生きている訳でございますね。限りあるこの3次元でのみ必要な肉体が御自分であると思って生きている訳でございますね。

ところが、この物質である肉体の中に本物の御自分が存在しておるのです。この3次元の世界では本物の御自分である御霊の本性を隠す事も出来てしまうのです。

例えば心の中には色々と持ちながらも顔で笑顔を造る事も出来ますでしょう、又、言葉でも御自分の本心を隠す事も出来ますでしょう、こういった世界が今、私達肉体を持って生きている3次元の世界なのでございます。

が、4次元の世界では物質肉体から離れておりますから、嘘や誤魔化しは出来ないのですね、ですから、四次元にある私達が聞かされている地獄世界においても、その目で見えるような形、いかにも鬼のような形の幽体となりましたり、又、少し宗教的なところではそれなりの幽体を身に纏っている事はあるのです。

つまり、まだまだ御霊本来の意味が分からない、又は分からせたくたいという集団のお頭等、3次元に近い形で誤魔化しをしている世界が四次元とも云えるかも知れませんね。まだまだ見た目、物質的なところから離れていない御霊たちには効果的でございましょう。           

五次元に参りますと、集団、宗教に関係なく、良い御霊たち、善人ですね、こういった方々が住める世界になりますと、どんな宗教にいたとしても善人たちが存在出来る世界ですので、まだ、幽体的にはキリスト系の方々であったりイスラム系の方々であったり仏教系の方々であったりヒンズー教の方々であったり、何となくそのような御衣装をしている場合がございます。

が、この世界ではまだ、そういった御霊の違いというものを御霊本来が離れ難いからでございまして、だからといって見なさん仲良くされている世界ですが、御自分の御霊がまだ少し縛られていつつ、自由に色々な方々の影響を受けつつ生活していらっしゃいますので、まだ幽体に頼っているところが、あるのでありましょう。

何も宗教だけではなく、その御霊の軸になっているものの幽体は身に纏っているほうが御自分が安心出来ますのでしょう、日本人で生まれた経験がある方で侍の幽体を持っている方や古代ローマの戦士での方や本当に時代は様々な幽体を身に纏っている方々があふれていて、おそらく1番面白いと思ってしまうのは五次元でございます。』

             玉依姫

2013年5月21日 (火)

幸せを呼ぶ龍宮物語 第二章に関連して

『すべては生まれてくる以前に貴女方、すべての人が、ご自身の「御神霊」(一般に呼ばれている守護霊、指導霊)と、人生計画を立て、十分、納得したうえで、この世という世界に出てこられたのです。もちろん全部などとは申しませんし、霊界のどの次元からということにもよるのですが、人生の流れの半分ぐらいは、本人も納得した上での出来事が起こり得るのです。』

 

『十割すべて人生が決まっておりましたら、あえて生まれる意味がござい ません。ただ限りなく十割に近い者もおります。 九割方、八割方の方もおり、また、五割以下、四割の者、全く成り行き 次第の行き当たりばったりといったような方も、おります。 平均いたしますと、五割方といったところでありましょう。』

         
        幸せを呼ぶ龍宮物語

このあたりに関連したことで玉依姫よりお話頂いたことを掲載しておきます。 以下

『つまり、高次元からこの物質世界つまり3次元に肉体を持つということは、何かしら自分のカルマというものの克服という為のものではなく、人々の御霊の向上や善導の為のものですので、こういう処に生まれ、ある時期にはこういう御方と出逢い、又、その仕事を全うする為のあらゆる状況を援助する方々と出逢うというような事が8割方決めて出てくると云うことなのです。多少の時期には違いがでてくるのは、この時間に支配されている3次元では仕方のない事実ですが、だいたい、お逢いする時期にはお逢いできる形になると思います。

と、云いますのもこれは更に高次元の方々が計画してサポート体制は出来ているからであります。はっきり申しますと、私などはこの世界、3次元は地獄のてっぺんとずっと思っております。どんな世界、例えば、芸術の世界には、かなりの数の高次元からの世界の方々がおりますが、この世界で精神的に病いになってしまう方々が多いです。亡くなって初めて偉大な巨匠として名は残しますが、生きている時は大変な思いで生きていらっしゃった事は皆様良くあちらでお話しなさっております。

が、こういった方々も8割方保険のようなものである計画はされております。そして、目的は果たせていると思います。男性霊の方々は自ら厳しい状況を計画してくる傾向はございます、私など女性霊は比較的安定した処に生まれる傾向性はございますが、それでも平凡な処とは少し違うような気も致します。幼い頃から様々な心情の勉強をさせられている環境と申しましょうか、そんな気は致します。
ですが、必ずタイミング良く導く方々が出てくる不思議がございます。これが、先程話しました、保険のようなものであると感じるのでございます。こういう事を普通の方々に不備に言ってしまいますと、大変な反感をかわれてしまうという事は潮文社の社長ではなく関係者から言われた苦い経験がございます。生まれも良く何不自由なく育ち、ご自分は乙姫様々ですか、素晴らしいb御境遇、まだ何か欲しいものがあるのですか?と言われた事は今も、ああ、普通そう思われるのか、と初めて知らされました。

その時は社長にはお逢い出来ず、帰りましたら、1週間後位たちましたら、社長が是非逢いたいという御電話を出版社から頂き出版に至ったわけでございます。これも、私はある時期にお逢いする、あちらで約束された小島社長との約束事であったと思えてならないのでございます。又、小桜姫物語を書かれた浅野和三郎氏の娘さんとは仲良く、そのお孫さんに私の原稿を精査して頂き出版の運びとなりましたのですから、小桜姫も協力して頂いているような気がしてなりません。小島社長は帰天されましたが、大震災の10日少し前にお礼の御手紙を書けました事と私が以前お話しした事を見届け、帰られました事も決められていた事と感じてしまうのでございます。』

                玉依姫

高次元の方々ほど、運命というもののパーセンテージが高いです。たとえば、九次元や八次元あるいは七次元といった方々は、七割、八割、九割、運命というのは、決まっています。それは、天上界で要請されている使命が大きいため、その使命を全うするためであるということであります。男性霊の高次元の方々は厳しい計画をすることが多いですが、女性霊はそういう厳しい環境に生まれることは少ないにしろ、一般の女性霊以上に心情においては人以上に深さもあり、きめ細やかであるため、それ相応のこの世の生きにくさの厳しさがかなりございます。しかし、周囲からはそのように思われることもなく、玉依姫のお話のように誤解を受けることもあるようであります。

五次元ぐらいの魂ですと、平均五割ほどが、あらかじめ決定している要素があると言われています。残りの約五割の部分というのは、ご本人の魂の傾向性に引っ張られていくことが多いです。人は生まれた時に、ある一定のものの考え方や、魂の傾向性というものは、ある程度、どなたも持っておられます。これが、人生行路というものを決めているようです。

この三次元世界というのは、なかなか自分がこうしたいと念っていても、自分以外の他者の存在もありますし、生きている人間の念、生き霊のような影響を受けることもあります。また、憑依霊の影響により、病気をしたり何をしても運が悪いとしか言いようのない出来事に遭遇することもあります。

しかし、五割くらいが決まっていて、残りの五割に自由裁量があるということは、個人における御霊のアセンションは期待出来るということですね。ご自身の努力精進といつも申します、天上界の視点を持ち、守護、指導霊の霊的バックアップがあれば、計画してきた以上の成果もあるということです。五次元から六次元、七次元に一気にアセンションすることは夢ではないということです。残りの自由裁量がきく五割が勝負、これをどうか知ってください。そのためにどういう心構えで、どういう心境目指すべきなのか、それをこのブログではいろんな角度からお伝えしていきたいと思っております。

ただ、アセンションと申しましても、この三次元で半分霊体半分肉体になるなどということはありえませんし、以前も申しましたようにグローバルアセンションなるものはございません。これに関した玉依姫からのメッセージもここにご紹介しておきます。

『貴方様はアセンションの事が非常に気になっていらっしゃいますが、アセンションというものはこれこそ私に言わせて頂きますと、夢物語でございます。そもそも、アセンションというものは3次元の世界では起こり得ないのでございます。これは4次元では良く起こります。

つまり、4次元と云いますのは、物質のない世界です、が、地獄と呼ばれている空間も、ある特定のカルト集団や、沢山の宗教もどき等の空間もできあがってしまう次元なのでございます。そういった御霊を縛られた世界でアセンションが起こる事は私も知っております。

誰かがある時気付くのです、何か変だ…と。どうしてもご自分達が存在する処が夢みていた天国、天上世界ではないのではないか?と気付くのです。そこにアセンションが起こるのでございます。つまり、色々な次元からこの3次元に集まっているこの世界でのアセンションがあるとしたら、物質世界では物質による変化しか出来ないのです、つまり、自然の世界で形を変えるのがこの世界でのアセンションのようなものと心得て頂きたいと思います。

昔むかし、一瞬に消えてしまった民族がいる事はありました。それについては又、お話し致しますが、貴方様も世の中を観まして生活して、どこかにある日突然次元が変わるような処が見当たりますでしょうか。人々を導くはずの宗教も戦い闘いでありましょう。新しい宗教も他の宗教の悪口ばかり、ですから、こういった世界でアセンションは自然が起こす事になるのでございます。自らの力の小ささを地球が教えて下さいます。又、詳しくお話し致します。』

              玉依姫

2013年5月 2日 (木)

幸せを呼ぶ龍宮物語  帰神口述

『帰神口述というと、何か大げさな儀式めいて思われるかもしれませんが、簡単に言いますと、肉体を持つ私、天乃河ます美が、この世的な、三次元的な、あらゆる束縛から、一旦、解放された状態で、精神の統一を行いも玉依姫の心霊を受け容れた状態で、お話をするということです。これを帰神口述と言っております。
私の場合、文字通り、玉依姫の「神」が、私のところに帰って来て、お話をするという事です。帰るというのは、少しニュアンスが違いますが、依るという事でもあります。

対話者の役目をしている天乃河はるみとの対座の前には必ず、一時間ほど精神統一をします。すると、もはや自分の肉体があって、ないといったような状態になります。これは言葉で表現することは難しい問題です。肉体の中の御霊が、ぐんぐん大きくなるような感じ、といってもわかってもらえないでしょう。

私が心霊相談、人生相談という事で、お会いする方と面会する前も同じように精神統一を行います。

この精神統一というのは、私にとっては、これぐらいの時間をかけなければならないというものではありません。他の人と話していても精神が統一されていき、
自然に「玉依姫」が来て話している事も、よくあります。

そして、それは私自身わかりますし、相談にみえた方との会話は、内容の半分ほど、そして重要な部分は「玉依姫」が話しております。

というのも、この玉依姫が龍宮界から私の中に入った時(帰神した時)、私は全霊が「玉依姫と一体」となっているのです。が、これもなかなか、理解しがたいことでしょう。

私にとって、玉依姫の「帰神」というのは、どう説明したらよいでしょうか。私であって私ではない、というか、より大きな存在である私との出会い、といった方がよいでしょうか。が、言葉で説明するのは、今の私には力不足です。が、だいたい、このような現象です。』

 天乃河ます美

 

 

 

以前にも書いたことですが、一般的に、霊言というものは、地上で霊示を受ける方の、認識力、学んできたもの、経験、考えていること、関心のある領域、そして何よりもその方の個性というフィルターを通して、高級霊たちは霊示を送ってきます。


ですから、100パーセントのその霊人の個性というよりは、伝える霊声者の方の個性や考え、表現力を使って翻訳されてくることがほとんどなのです。

しかし、全く別の御霊の霊人の言葉を伝えるというのではなく、天上界にある、ご自身の御霊の本体意識を入れて語りおろす言葉というのは、混じり気のない純度100%のものです。今回の玉依姫の言霊を地上に「現す」というのは、事前に天上界においても入念に計画されていたことであり、おそらく、これほどまでに100%の霊言というものも今までなかったことだと思います。

霊界研究をされている研究家であれば、この玉依姫の「幸せを呼ぶ龍宮物語」が本物であるということはみなさんお認めになってもおられます。丹波哲朗氏もこの書をご覧になり、本物であるとお認めでございました。

また、潮文社からこの神書を出すに当たっても、出口王仁三郎師の「霊界物語」を口述筆記されていた時期もある浅野和三郎氏のそのご子孫の方も、もし「小桜姫物語」の続きをもし書けるとしたら、「天乃河ます美」以外にはないと断言され、正しく「玉依姫」と認められ、出版に至ったことはこのブログでも書いた通りです。

なかなか同時代に全ての人に、というのは難しいでしょうけれども、やがて時間の経過とともにそれを認めていく人たちも多く出てくると思われます。

          出雲  拝

2013年4月28日 (日)

幸せを呼ぶ龍宮物語  第一章より

『私が、西暦2000年三月三日(もちろん現世での時間)、あちらの世界に行き、いつものように姫のお部屋の東南の方角に面した大変ご立派な日本式庭園の味わい深い緑の中の、白龍ヶ御池と呼ばれます池のあたりを姫と共に歩いておりますと、急に姫が深刻そうなお顔立ちになられたかと思うと、立ち止まり、
「このたびは大変な決心を持って現世に下生しておるのですから、もう少し、しっかりとしてもらいたいと思っております。このように、いつまでも肉体を現世に残し、夢の中のように、ふらふらと、この世界と往来していても、何事も始まりません。貴女が下生し、七歳の頃、私は、貴女に初めて霊夢を送りました。そして、まだ幼い貴女を、下生させて以来、初めて、この龍宮界に招きましたこと、人間の「七五三」のお祝いの真似事をいたしたことを、夢の中の出来事と思っているでしょうか。このたびは、貴女の御霊というものをしっかりと思い出して頂きます」と言ったかと思うと、私は、いつの間にか、白龍ヶ御池に勢いよく落ちる千メートルほどの白龍滝の中に立ちつくしていたのです。

まことに不思議な事なのですが、私は、いつも姫のお部屋から、この滝を観ておりましたし、側にも行った事があるのですが、その落差、滝の長さは三十、長くて五十メートル位であると思っていたのです。ところが、私が立ちつくしておりましたのは、とても尋常な滝の規模ではなく、また、そこに立っていることが可能だったことも尋常ではありません。が、しかし、私は、その滝にうたれていたのです。とにかく滝の中に立っていたのです。

いったい、どれくらいの時間が流れたのか、見当もつかないのですが、一瞬といえば一瞬、一生といえば、一生と申したらよいのでしょうか。天地宇宙の歩み、その秩序、すべてが、その時に、まことにハッキリとよく理解できてしまったように思ったのです。』

       「幸せを呼ぶ龍宮物語」

ここでは神書であります、幸せを呼ぶ龍宮物語が出来上がる前のエピソードが述べられております。白龍滝の千メートルというのは私には想像もつきませんが、
その時に、大宇宙の仕組み、天地宇宙の歩みというものが一瞬にして理解できるというのは、これはやはり相当のご使命のある証であろうと思われます。

当時の出口王仁三郎師も、高熊山での修行で大宇宙、霊界、高次元世界、森羅万象の成り立ちすべてを理解したと言われておりますし、やはりこういった特殊性を持った人というのは必ず時代の端境期には出るものであります。今回も玉依姫の御霊の半分を持って下生したというのは大変なお役割があるということでもありますし、かなり以前よりそれは龍宮界において取り決めがなされていたことでもございます。

このくだりのところで天乃河ます美さんより興味深いコメントを頂いておりますのでご紹介しておきます。

「あの滝はこの世界にスケールをあわせますと、千メートル位あると書きました。そしてその下にある御池に届くちょうど滝の岩肌に結構大きな鳥居がございまして、その奥に白龍殿をまつった祠がございます。祠ともうしましても綺麗な神社といった感じでございます。ここに滝の山ずたいに時々真っ白なお髭と仙人風と申しますか、大層品のあるお爺様が、杖を携えてやってまいります。このお方が、私の言っている白龍殿でございまして、この御池の主とでも申しますか、私達の世界の番人役を昔昔からしてくださっているお方であります。池と申しましても、湖に近いスケールだと思います。全てが、この世界に当てはめる事が大変でございますが、白龍殿はこの池の中でとてつもなく大きなその龍のお姿でお休みなさっている事がございます。そういった時には必ず何かしらあちらの世界でも変動がございます。ある空間が無くなりましたり、新な空間が出来ましたりと色々でございます。」

             天乃河ます美