御霊のアセンション

2016年12月28日 (水)

御霊のアセンションを目指して

このブログに向かうのもほんとうに久しぶりとなります。学習会にお越しになられた方々にはご一緒にいろいろな学びをし、これからの時代に向けての準備などをお話させて頂きました。


このブログにもご質問等を沢山頂き、まだ手つかずのままお答えしていないものもございますのでそれにお答えしていきますが、地震等のことについてはこれまで起きれば大きいという日を注意、警戒として出して参りましたが、やはりなんと言いましょうか、それを嫌う方々もいらっしゃるようでありますので、 ブログには書かない触れないに徹していきたいと思っております。


学習会参加者の皆様方にはすべてをお話しておりますし、玉依姫の予言通り時代が変わってきたこと、世界が変わってきたこと、そして天変地異と龍宮界の関係について、これから先のことについて、そしてどうして地震や地殻変動について言い始めたのか、詳しくすべてお話してきました。それはもはや予言ではなく「確信」であるということがご理解出来たことと思います。


さて、今日はこちらに寄せられたご相談やご質問を拝見させて頂いて、玉依姫の大切な言葉をもう一度書かせて頂こうと思いました。この言葉を元にもう一度ご自身を振り返って頂きたいからでございます。


それは、

「美しき心情」です。

美しき心情

言葉に勝り

肉体に勝り

時に君子にも勝る

ゆえに神の有する処なり


この言葉は数百年後には神秘力がある真言として、唱えられ親しまれるようになっていくでしょう。わたしも辛くなることがあり、時々この言葉を唱えることがありますが、その度とても不思議な感覚を覚えます。意味についてはこのブログでも玉依姫が語って下さっておりますのでそちらをご覧になってくださいませ。

こちらでは御霊のアセンションを目指す方々に向けてわたしなりに違った角度からお話させて頂こうと思います。

わたしたちはなぜこの現世に生まれてきたのでしょうか‥


それはこの世で幸せになることが目的でもなく、不幸になるためでもなく、神に近づくためであるということなのです。

そしてその前には自らの御霊に近づくことです。御霊はほんとうに偉大性を持っております。古来より神の子であるとか仏性が宿っているとか尊(みこと)であるとか言われてきておりますが、私たちは肉体ではなく御霊であるということなのです。そしてその御霊にはどの方にも美しき心情が備わっております。これこそが神より分かれてきた証でもあるのです。美しき心情とは純粋な汚れのないものであり、神の念いである「大いなる愛」です。これが私たちの御霊の中に始めも終わりもなく汚れることも無くなることもなくあるのです。


これがあるというのが私たちの御霊が神により創られ神の一部であるということなのです。神の一部であるということは私たちの御霊にとって神は必要不可欠であり、神にとって私たちの御霊は必要不可欠であり、私たちの御霊は神のものであるということなのです。球体に中心の印をすればそこが中心となります。その球体に無数の中心が作れるのですね、このようにすべての御霊が神のひとり子であり、その双肩に大宇宙を担っているということです。


これを谷口雅春師は生命の実相と表現し、出口王仁三郎師は「神人(ひと)は天地経綸の主催者である」と表現しました。仏教ではこの世のすべてのものは

川の流れのごとく流れなっていくものとする「空」がありますが、その奥にある

超実体「空」とでも言うべきものが神と御霊との関係性であります。


美しき心情とは神の念いそのものであります。この世の知識を駆使して地位や名誉を手に入れこの世では素晴らしいとされる世界で業績を上げましょうとも、

美しき心情にストレートに従いそれを表現して見せた名も無き人のほうが実ははるかに高い境涯にあるということであります。実際にあちらの世界の高次元に行けばこの地上では無名でり知られていない人の方が圧倒的に多いのです。



この美しき心情を覆い隠すものが、この三次元の人間が作り上げた価値尺度やそこから生まれる執着やとらわれです。

それを取り除いていく作業が必要になります。ご質問のなかで般若心経についてのものが複数ございましたのでそのご質問に答えながら書いて参りますが、

先に結論だけ申しておきますと、般若心経はこの世の苦しみを取り除き、超実体「空」とでもいうべきものをその御霊で知るための真言を教えたものでございます。



ガテー ガテー パーラーガテー パラサンガテー ボーディースゥ゛ァハー


この真言と同義なものが美しき心情であるというふうにお考えくださればよいです。「美しき心情」をみなさまも時々唱えてみてくださいね。


やがて皆様方は何故にこの時代を選びこの時代に生まれてきたか、はっきりとおわかりになる日が来ます。皆様方が御自身の御霊にそして神に近づいて行かれることを強く念じて今日のブログを終えさせて頂きます。





         出雲   拝

2014年3月24日 (月)

御霊のアセンションについて5

この現世に生きておりますと、どうしても中道の対極にぶち当たります。どうしてそんな苦しみ、哀しみ、よろこび、などの対極の世界に生きているのかと疑問に思われる方々からよく問われることでありますが、両方を「体験」することも必要ですよ、と神さまは仰るかもしれません。




人によってはカルマの解消という課題がある場合もございます。御霊がその次元を上げていくためにはいろんな体験をしてみる必要があることもあります。善と悪、成功と失敗、哀しみとよろこびといった二元対立している世界でないと絶対に理解が出来ないこともあるからです。
この現世が一切の苦しみや悪などがなく、光一元の世界であったなら、何が最も素晴らしく、何が正しいことなのかもわかりません。やはり対極があってこそ、私達は光の世界に向かおうとする「神向心」も生まれるのだと思います。このような二元対立の世界であるからこそ、御霊の学習の場としては最適な世界であるわけなのです。この現世は地獄のてっぺんであるとこれまでも申し上げてきましたけれども、そういう世界であるからリスクも大きく、この現世の成り立ち、生まれ変わりの仕組みなどの霊的なことを笑い飛ばしてしまい、また心の歪みをつくりやすいのであります。しかし、苦しみや哀しみなどは中道から観れば外れたものですが、しかし一見マイナスとも思えることでありましても、それを経験した上で中道に入っていきますと、人への優しさや謙虚さ、寛容さが生まれるのです。酸素と水素はそれぞれバラバラだと時に害でありますが、それがうまく調和すると水となるように、哀しみや苦しみなども本当の意味での自分自身の御霊を、大いなる神の念いを知るための要素にもなるのです。そして自分という御霊の特徴がわかるようになるのです。そうしますと自分らしく生きることが出来るようになり、そこに自然体でのびのびとしたご自身の生き方というものが出てきます。




今世は私達にとっては集大成の時でもあり、真実を知ることによって御霊の次元上昇をしやすい時代でもあるのです。それはこの一回の転生で何十転生分にもなることが可能な時代なのです。危機の時代はまた御霊にとっては大きな機会になっているのです。
仏教的な中道という表現が学びをされている方々にはなじみ深いと思いますので、そういう表現をお借りしておりますが、この中道を常に心に把持しながら生活していくと、必ずご自身の守護霊や縁のある指導霊の導きを受けられるようになっています。これが運命を変えていく秘訣でもあるわけです。




ですから、地球が次元上昇するからそれについていくのだ、とかありのままの自分でとかこの世は幻想だ幻想だとか言って自分勝手な自己解釈して易きに流れては御霊の次元上昇などはありえないのです。しっかりとした中道に基づいた精進が必要なのです。スピリチュアルに関心のある方々にとても多いのが知識はあっても、この精進する姿勢の欠如であります。どうか御霊のアセンションをめざす方々は最初の精進がとても大切であるということを知って頂きたいのです。





中道ということを常に念頭に置き、外れてきていると思った時には即座に修正し、そしてご自身を真ん中にもって、次ぎに大事なのが「今」を生きるということになります。クヨクヨと過去を悩むでもなく、未来を取り越し苦労するでもなく、過去も未来も断って現在只今に生きるということです。
よくこういうご相談があります。占いや霊能者に未来が悪いと言われたというご相談です。しかし考えてもみてください。その人の未来を決定しているのは何でしょうか?
現在只今のあなた様の念いと行為、その選択ではないでしょうか。あなた様が選んだ選択と選択の積み重ねによって未来はどうなるかが決定してしまうのです。
ですから、行為の前の念いをよく考えてみる必要があります。その念いの方向を変えてしまえば、未来は自ずと変わってしまいます。当たり前のことです。
ですから、何も霊能者や占い師に聞かなくても、公平に自分自身を観れるようになりますと、この先はどうなるかわかるようになってくるのです。
原因と結果はセットです。「今」をどう生きるかというのは禅の教えの中心でもありますが、ほんとうにこれを真に知ると時間を超越するような感覚を覚えます。
これは簡単に言えば、霊天上界と一体となった感覚であるということです。とても懐かしい至福の感覚と言ってもよいかもしれません。




二番目には周囲に期待しないということです。こう書くと何か後ろ向きな感じがしますが、この次元に生きておりますと知らず知らずのうちに人に期待してしまいがちになりやすいですが、自分が人にこれこれのことを頼まれたのでしっかり責任を持ってしてあげた、だからその人からお返しがあってしかるべき、御礼があってしかるべきと考えがちでありますが、もしそれがなかった場合、これも即腹立ちに変化してしまいます。ようするに人や周囲に期待する心は執着心になってしまいやすいのです。ですから、これは自分自身へのルールとして人に対して期待はしないとそういうルールを決めるのですね。もちろん人の協力は一切受けないというようなことを申し上げているのではなく、人からして頂いたことはその人に対して感謝の意を表すことは大切です。この期待しない心は、真実の愛の種になるのです。これはおわかりになられるはずです。





三番目はすべてを「入り口」として捉えるということです。どうしても苦しみをつくり、哀しみの中に置かれたりしますと、どうしたらそこから抜け出せるか、出口ばかりに意識が向いてしまいますが、そこを中道への入り口として現在置かれている自分自身の環境をじっくり腰を据えて観てみることです。そこから何を学べと言われているのか、どういう教訓を得れるのかそれをしっかりとつかもうとすることです。ちょっと難しいかもしれませんが、御霊のアセンションを目指す方々はすでにこの世は仮の姿だということはおわかりであると思いますので、これはお出来に成られると思います。そして全ての不幸と思えるものが実は「観世音菩薩の方便」であったと知る時がくるのです。その時がご自身が御霊に近づきそして現在の御霊の次元を超える時でもあるのです。
自分はなんと間違った生き方を間違った念いを出し続けてきたのかと悔やむ方もおられます。そういう心境まで進歩したということだけでも非凡です。神の眼から観た時には、この現世で経験するものに何ひとつ無駄なものはありません。




スターデイリーは悪のかぎりを尽くしましたが、懺悔した後のその膨大なマイナスのエネルギーは数多くの人達に勇気を与えるエネルギーに転換されました。
この現世は私達人間にとっては学びの場です。そのために神さまは対極のものを用意されたと考えても良いと思います。まむしに噛まれるとその毒は死を招くこともありますが、その毒をうまく利用すれば薬に変化しますし、悪臭などもうまく調合しますとなんと香水にもなってしまいます。私達も苦しみの最中にあっても、そこを入り口とするとその苦しみはまた光へと変化するものなのです。
以上を常に心の中に把持しながら日々の生活を送りますと必ずこれまでと全く違う世界に意識は移行します。どんな方々にもその道は用意されているのです。
そのためには決して易きに流れてはなりません。精進する姿勢を持つことが最も大切です。
わたくしも精進の真っ最中でございます。







この世の中には、時間という限りがあります。いつまでも一つところにいる事は出来ないのです。限りの中で一生懸命に生きる、ということこそ本当に素晴らしい尊いことです。素直に懸命に生きた人は、悩む必要はないといわれますが、悩むこともまた御霊の勉強になるはずです。しかし、素直で純粋な心を持ち続け、真っ直ぐな道を歩む人を、何人もさえぎることはできないのです。それが霊界の秘密とでもいえるでしょうか。
 


     幸せを呼ぶ龍宮物語より






         出雲 拝

御霊のアセンションについて4

私事都合により、更新がずいぶんと遅れてしまいましたm(__)m申し訳ございません。
『天乃河ます美』の中道についてのお話の中で、自分の器を知ってまず身の丈で生きること、そして自分らしく、右でも左でも前でも後ろでもなく両極端を去って、自分を中に置いて人生を歩む時には、他人への嫉妬や争いの心などは持つこともなくなりますよ、と仰っておられます。
右でも左でもなく常に心をニュートラルに置くということです。
両極端というものの中にはいろいろなものがあります。無理して背伸びして良く見せようとすることもそうですし、あまりにも自分を卑下することもそうですし、増長することもそうですし、成功に酔いしれ天狗になることもそうですし、あまりにも楽ばかりした生活の中にいることもそうですし、自分を鍛えると思いながらも自分に厳しすぎることもそうでし、考えればいくらでもあると思います。



また自己保身や自己保存欲という言い方をよく致しますが、ここが多くの方々は気が付かないことが多いです。慈悲魔もそうですし、人前に出るのがはずかしいという思いもそうですし、一時の感情の高ぶりで人のために何かしたいというもそうです。自己犠牲的な行為も一時は満足感は得られるかもしれませんが、時間が経つととたんに苦痛に変わります。


以前、ここは人への愛を言ってませんね、真実の悟りは自分以外の人のために何が出来るかということではありませんか、というご指摘をなされた方がおられました。ほんとうに安定して人のためにして差し上げるのは尊いことですし、その方の仰る通りですが、自分をまず中道に置き、自分を収めませんと人への真実の愛は出てきません。見せかけだけのことをしてもすぐに苦しみに変わるだけです。中道からの愛の行いは自然と智慧を伴いますし、人の思惑などでブレたりはしないものです。それが真実のものであります。一時の感情の高ぶりで人への愛などとやっていても最初はそれでいいかもしれませんが、時間が経つと即苦しみに変わり、あるいは薄れていくようなものは真実のものではないのです。自分を収め、自分を認め、自分を愛した程度にしか人への真実の愛は出てきません。
中道から外れた念いと行為を重ねると、それが不幸の始まりになりますし、自ら苦悩を創りだしてしまうことになり、その結果つくらなくていいカルマをつくってしまうことにもなるわけです。この中道の考えというのは白と黒の中間のグレーというものでもなく、人からの攻撃を怖れての長い物に巻かれる的なものでもないということはおわかりかと思います。両極端の思いをまず点検し、真ん中に自分を置くということは、一番端的に言うと自分の「良心」に照らして考えてみるということです。自分を公平に観るということであります。


このことを神道では直霊魂(なおひのみたま)に聞き直すという言い方を致します。簡単に言えば良心に照らして考えてみるということです。さらにそれを掘り下げてみるには「八正道」に基づいて考えてみたり、一霊四魂によるやり方があります。
これもよく勘違いしている方もおられますが、たとえば、八正道に基づいてと言いましても、あんなことをしてしまった、こんなことをしてしまった、「ごめんなさ~い」というような浅いものではなく、そういう行為なり悪習慣をつくってしまっている原因はどこにあるのか、それを突き止め取り除くために精進していくことがポイントであります。この原因究明のための方法です。ですから、中にはなかなか自分では考えてもわからないことがあれば、場合によっては確かなカウンセリングを受けてみるのも一つの方法かと思います。



つづく




        出雲 拝

2014年3月 7日 (金)

御霊のアセンションについて3

地震警戒予報は今後も継続いたします。警戒日があった時は暫く二、三日くらいはご注意して頂ければと思います。



「中道」とは「調和」の心であるということを述べました。すなわちこれは神の心そのものであります。自然界、森羅万象はすべてこの中道に即した神の念いで司られていると言ってもよいのであります。人間もこの自然から学ぶ時に、愛と慈悲そのものへ立ち返っていくということなのです。中道というコトバを使っていますが、この大和の国では古来からこうした生き方を「カンナガラの道」と言ってきたのであります。



『幸せを呼ぶ龍宮物語』のなかで玉依姫は次ぎのように仰ってます。



科学によって神の世界を解明しようという努力は結構ですが、今の貴女方の前に、先に神という大いなる存在があったのです。いえ、それがあるからこそ、貴女方の存在もあるという事は、どのようにひねくれた考えでもってしても、完全な否定はできる訳はありません。どのように科学が進歩したとしても、更にその先に、神というものがおられる事を決して忘れてはならないのです。
が、未熟霊たちは、神の存在以前に、自分の存在さえもわからないでいるのです。
私がここで「大いなる存在」あるいは、「神」などと申しておりますのは、キリスト教の神、仏教の神や仏、イスラム教の神、日本神道の神といった特定の神ではありません。が、このような神々は確かに存在しています。今、貴女方の世界では様々な宗教に分類されておりますが、根本は一つの教えであったのであります。この地球という星の上においては、すべて同根なのであります。



わたしたちがこの中道の中を歩んでいる時は、否応なく神という存在にぶち当たります。ところがこの中道から外れた生き方をしている人達が後を絶たないわけであります。そういう人達の末路が死んだ後も執着を残し、未熟霊となってしまうのです。科学の進歩というものも、中道から外れた時、すなわち、極端な自分たちだけの国益や攻め入られるかもしれないという恐怖心からの科学を利用しますと、最終的には核の脅威にさらされるということにもなります。結局は自分たちで自分たちの首を絞めるようになってしまうのです。



また、イエスの説いた愛、仏陀が説いた慈悲、老子の無為自然、モーゼの教え、イスラムの教え、すべては「大調和」を説いたものであります。すべての人達が中道を知り、中道に入り、もう一度、世界宗教のあり方を見直すなら、必然的に万教は同根であるということが自ずとわかるようになるのです。大きくは世界宗教同士の争い、小さくはネット信者同士や小さな団体同士の批判合戦、すべて中道をはずれた哀れな姿であると言わざるを得ません。



中道というコトバを使って言えば、イエスも中道を説いたのであり、老子も中道を生きるということを説明したのであり、モーゼもイスラム教も中道を旨とする生き方を説いてきたのであります。谷口雅春師の教えは中道とは違うだろうとお思いの方々もおられますが、谷口雅春師もまさしく中道の道を説き続けられた御方でありました。よくよくご生前の生命の実相なりその他のご著書をお読みください。



谷口師は大調和の道を大自然の法則からいろんなことをご説明されているはずです。その生き方こそ中道であるということなのです。そしてその道を歩み続ける先に、両極にある善と悪この二つの対極を越えた世界、その両極端の右も左も断ちきった世界、それが光一元の世界なのだということを説かれはずです。わたしたちが目指すものはもちろん、光の世界であります。大調和の世界であります。この光一元の世界は中道の中を歩む先に行き着くのだということです。同じく宇宙系のチャネリングで正しいものもこの一元的な観点から説かれていると思います。



どうしても、この三次元からしますと教えに違いがあるように感じますが、別の喩えで言えば、たとえば同じ建物に居たとしても、五階から観る景色、六階から観る景色、七階から観る景色、八階から観る景色はそれぞれに違いがあると思います。でも、同じ建物から観ているのはかわりがないわけです。これは今現在のそれぞれの御霊が歩んでいる段階が違うということでもあるのです。今後、御霊のアセンションする方々も出てこられると思いますし、それに期待しますが、これまで五階の景色しかわからなかった人が六階にあるいは六階に居た人が七階に上がりますと見え方も違ってきますね。是非これまでと違った景色を見て頂きたいと思います。そうすればなるほど万教は同根であったと心底わかるはずです。
……ただ違った景色と言っても、出来るだけ下の階には行かないようにしたくださいませね(¨;)



ではもう一つのご質問であります、自然界と諸法無我と色即是空は、中道に則っているのか…ということですが、答えはそうです、ということです。たとえば、この地上で生きていくためになくてはならないものに水があります。水になるためには酸素分子と水素分子が必要です。また空気の中にも酸素があります。この酸素は大切なものですが、いくら大切だからといって極端にこの酸素濃度が高すぎると、どうなるでしょうか。地上のあらゆるものを酸化させ、さび付かせてしまいます。人間の身体の細胞も傷つき、酸化作用によってあらゆる病気が発生し、人体は瞬く間に老化現象を現してしまいます。
水素というものもこれは大変な爆発力があり水爆まで作られたほどです。
どちらも、多すぎると大変危険なものですが、これが程良い割合でうまく調和いたしますと、水という物質に変化し、私達には欠かせないものとなります。
そしてその水は太陽の熱にさらされると気体となり上空へあがり、雲となり、その雲がさらに重なっていきますと雨となり雪となって再び地上へと舞い戻り、地上を浄化し川となり、やがて大海へと出ていきます。このように本質が変わらずに循環している姿を「諸法無我」と言うこともあります。同じように色即是空、空即是色などと言われることもあります。輪廻する姿を言ったものです。


ただ、こうした仏教用語というのは当時のお釈迦様が言ったことではなく、後々の人達が体系化していくなかに使われ、やがて学問化されていった用語ですから、こうした用語そのものに囚われて大局を見失ってはなんにもなりません。
この地球上の大自然というものもそれを包むところの大宇宙というものも、大調和の中にあって司られており、私達は人間が複雑に塗り固めた教えを取り去り、
大自然をよく観ていくなら、そこに自ずとどのようにこの地上を生きていくのが正しいことなのか、神の念いはどこにあるのか、ということがわかってきます。



では中道の生き方というのはどういうものなのか、また中道から外れないように生きるにはどうすればよいのかということであります。よく言われているのは中道とは、合掌の姿そのものであるとかこのように言われることがありますが、
抽象論よりも具体性のあるものが大切と思いますので、そのことについて次回お話してみます。ご質問にお答えしながら書きましたので、まとまりがなく書き進めてしまったようで、それこそ中道から外れたかもしれません。(¨;)
次回はもう少し簡単に要のところをご説明できるように努めます。



端的に簡単に言えるのが高次元の認識力なのですね(^_^;)「玉依姫」や「天乃河ます美」のお言葉をよくみてください。非常に簡潔に仰っておられるはずです。これが高次元の姿であるわけです。
わたくしの説明がわかりにくければ、それはわたくし自身の悟りそのものを現しているわけでありますから、それはご勘弁くださいますよう。



つづく



           出雲 拝

2014年3月 5日 (水)

御霊のアセンションについて 2

この中道というコトバは仏教用語でありますが、個人的には仏教用語はあまり好みません。と申しますのもどうも観念的なところに引っ張られるからであります。


仏教的には中道が出てくれば「空」という言葉も出てきます。これも現在では非常に複雑な観念として、哲学思考として扱われておりますが、この「空」というのは、すべてを生み出している元の元なる世界ということです。


即ち霊天上界、天国世界のことであり、この地上で表現するなら光一元の世界、ということなのです。ほんとうは何も難しいことではないのですが、複雑に考えないと気が済まない人達には、こういうことを申し上げても御納得出来ないことでありましょう。


中道ということもなるべく観念的にならないように述べてみたいと思いますが、いろいろな教えを遍歴されてきた方々、御霊のアセンションを果たしたいとお思いの方々にご納得頂き、かつご理解がさらに進むようにしたいと考えておりますが、さてさてわたくしにもその自信がございませんが、なるべく誰にもわかるような形にするよう挑戦してみたいと思います。



この「中道」とは何かということですが、これをもし一言でいうとすれば、「調和する」ということになります。中道と調和とは同義であるとお考えになれば良いと思います。それは大自然の法則に則した生き方であるということなのです。以前にこのブログでご紹介しました「天乃河ます美」のコトバをもう一度ご紹介いたしますと、



「中道」と申しますのは、誰彼他人の物差しで計られるものではなく、貴方々それぞれの個人の、つまり御自身の計りの中で生きるという事なのでございます。 頑張る事は良い事でありますが、無理をしますと失敗が多くなりましょう。その失敗を上手く使える糧に出来る御方は宜しいのですが、そういう方々は少ないのでございます。ですから、この「中道」というのは仏教的なものでありますが、自分の器を知り身の丈にあった生活をされる事によって、他人の器を知り、そこで1つの計りにかけず他人を理解し争わずご自分らしく生きていけば、この世を去る時に執着どころか、ああ、良く勉強させて頂きました、と感じる事が出来ますよ、という事なのでございます。仏教で云いますところの慈悲でありますね。右でも左でもなく、又、前でも後ろでもなく、ご自分を中におき一生を懸命に生きておりましたら、他人への妬み、恨み、争いの心をもつ事もなくなるのではないでしょうか、と、仏陀様がお考えだした、この世からの執着をたつ生き方の教えであったという事であるそうでございます。



すなわち、他人の物差しで自分を計り、一喜一憂するということは、自分は誰それのようになりたいという思いです。一見しますと、この思いは向上心に繋がるようでもありますが、実はこの思い自体が中道からはずれる場合がかなり多いということなのです。それはせっかく与えられたご自身の個性というものを放り去ってしまうということにもなりかねないからです。



その基準は他と比べて、自分に足りないところは学ばせて頂こうという思いであれば、それは軸を自分に置いた向上心でありますが、他に負けた、勝ったというような意識があるのであれば、それは自分自身の個性を蔑ろにしている中道からはずれた両極端の思いでもあるということでもあります。


『天乃河ます美』のこの中道のなかで仰りたかったことは、まずご自身と調和してください、ご自身の個性ある御霊を愛してください、ということなのです。ほんとうに自分らしく生きている時には他者への思いやりや、温かさや謙虚さというのが自然とついてくるものなのです。あなたという個性ある御霊はたった一つしかないのです。ある目的を持って神によって、そういうふうに創られたのであります。だから神の子とも尊とも呼ばれるのです。それを忘れ去ってはいけません。自分はユニークで個性ある御霊として、神がある目的を持ってお創りなられたという自覚があれば、他人への妬みや恨みや争う心など微塵も出なくなるものであります。


いろんなところで学ばれて来られている方々がおられるのでまだこの中道について続けます。





        出雲 拝
 
 

御霊のアセンションについて

これまで述べて参りました御霊について皆様方はどれくらいご理解されたでしょうか。世界中でうち続く自然災害、異常気象、戦乱、今年も世界中でいろいろなことが起きることと思います。


そしてこれから始まる大きな大きな地球の転換期がやがてやってきます。そのような出来事が待ちかまえているわたしたちがなすべきこと、知るべきことは「幸せを呼ぶ龍宮物語」をその純粋な心でお読みになればすべて読みとれるようになっております。

やがてやってくる地球の転換期はどうしても避けては通れないことでありますし、もしそうした大きな浄化がなければ、今後私達がこの地上で御霊修行をしていくことは不可能な星となってしまいます。

またこうした時期に合わせて生まれてきたことを後悔している方々もいるかもしれませんが、そうした方々も生まれる前にはこれからの時代がどのような時代になるか生まれる前にはあちらの世界でちゃんとレクチャーを受けてご納得の上で出てこられたのです。それはそうした時代であるからこそ、また御霊のアセンションも可能であるとそうお思いになって出てこられたのです。

しかし、いざこの次元に出てしまうとあちらの世界に居た時のことがいったん打ち消され、どの方もどの方も手探り状態でこの次元を生きていかなければならないというルールのために忘れているだけなのです。真実が見えず、人の心も見えず、善と悪が混在した中で人生を生き渡っていかくてはならないのがこの地上なのです。


だからこそ神の理(ことわり)を学ぶ必要性があるわけです。これを知るのと知らずに生きるのとではそれこそ天地ほどの差になるのです。まずそれをしっかりとご理解頂きたいと思います。

現代は暗雲たなびく時代であります。そういう時代はたしかに危機の時代でありますが、またその御霊が大きく飛躍するチャンスの時代でもあります。誰にもそのチャンスは用意されているのです。ではどうやったら御霊がアセンションできるのでしょうか、そもそも神の理とはどういうものなのでしょうか、そういうご質問を数多く頂きました。もう一度繰り返しになるかもしれませんが、このことについて少し掘り下げてお話させて頂きたいと思います。

御霊がアセンションするために、最も大切なことは「中道を旨とする」ということなのです。これがはじまりであり、すべてはここに帰結するのです。


中道とはどういうものか、それについて以前にも『天乃河ます美』のコトバをご紹介したしました。もう少しこれを掘り下げてみたいと思います。

この中道という意味が本当にご理解されれば、何が正しく何が中道からはずれているのか、世界はどうして混沌としてきているのか、自分はどうして苦しみや悩みから抜け出せないのかそれがごく自然にわかってくるようになります。



つづく




         出雲 拝